Posts

Showing posts from March, 2016

PATTY DUKE  DEC 14 1946 - MAR 29 2016

Image
PATTY   DUKE  DEC 14 1946 - MAR 29 2016 パテイー デユーク が昨日69歳で亡くなりました。まだまだの年ですが病歴を読むと壮絶な戦いだったようで,何とも胸が痛みます。一度だけ「コール ミー アナ」(90)と言う自伝をテレビ映画化した時に会ったのですが、残念 ツーショットは撮れなかったのでした。 ヘレン ケラーの少女時代を演じた「奇跡の人」(62)で当時としては史上最年少の16歳でアカデミー助演賞を受賞して、天才子役のタイトルを授かりました、がひいてはこれが重荷となって、精神不安定に。今でこそこれが、バイポーラー症候群、(昔は躁鬱症とも呼びました)となって、公共の席でものを投げたり、罵倒したり,引きこもったりしたようです。 今日のロスアンジェルス タイムスにケネス テユーラン記者が「マイ タイム ウイズ アナ」と言う題で想いでの記を載せています。 パテイーの本名はアナ マリー デユークで親しい人は皆彼女をアナと呼び、自伝もアナと言う名前のタイトルでした。 テユーラン記者はその自伝を共著したためと、数ヶ月近く,長時間一緒に過ごした時の思い出とその後も親交を続けていたと言う仲だったゆえの追悼記事と言えましょう。 ステージマネージャーにコントロールされ、両親さえパテイーに思うように会えないと言う状況から子役のパテイーがどんどんバランスを失って行く状況、30歳まで正式に精神病と診断されずに,結婚式から13日で別れたりの奇行を繰り返した話、しかしそれ以後は俳優組合の会長になったりして、ハリウッドのベテランとして尊敬される存在になります。本を書いた動機はただただ、精神病を見つめ,診断を仰ぐようにと同病の人たちや家族のためでした。 著書が好評だったので次に「ア ブリリアント マッドネス」と言う本も著したのです。 そして、映画に先行した「奇跡の人」のフィラデルフィアでの舞台では何と18回のカーテンコール(アンコール)となって、パテイーは共演者に「普通の役者がまず経験しない又と無い成功だから、じっくり味わいなさい」と言われた話、などが紹介されてます。 わたくしは息子のショーン アステインが大好きで特に、彼が主演の貧乏な少年が苦労して名門ノートルダム大のフットボール部に入団したもののサイズが小さくて水運びの役など任され、それでも

CELINE DION

Image
CELINE   DION セリーン デイオンはお好きですか? 声の体操選手とも呼ばれるアクロバテイックな高音から低音へ、目まぐるしい変化をする歌い方は、多少バーブラ ストライザンドにも似て、聞いているとこちらの方の喉の筋肉まで緊張することがありますね。 いろいろな歌手に会うのはほとんど映画の曲を作曲したり、歌ったりする時で、セリーンの場合は巨大ヒットとなった「タイタニック」(97)の主題歌、「マイ ハート ウイル ゴー オン」が2014年のテレビ番組「グレイテスト ムーヴィー ソングス トップ50」に選ばれた時だったと思います。 おなじみの長めの顔にかなり濃いメークにしっかりとセットされたブロンドのロングヘアー、長身で細い体にぴったりとフィットしたドレス、全てが完璧なスタイルで現れて、ソフトな、ほとんど弱々しい声で話をしてくれました。 老カメラマンが、カナダ東部に行くとほとんどの女性はセリーンと同じ、長めで顎のしゃくれた顔をしていると話していたのがおかしかったのを覚えています。 スーパースターの歌手は例外なく非常にデリケートで、敏感に反応します。その感性が歌に響くのでしょう。 今年の1月14日にセリーンの育ての親ともいえるプロデユーサーの夫君、レネー アンジェリが74歳で亡くなりました。長いこと癌を患って、セリーンの献身的な看護はいろいろ報道されてましたが、もっとかわいそうだったのは、その2日後に同じ癌でダニエルという兄上もなくなったことです。最初のお葬式には毅然として出ていましたが、兄上の時はもうボロボロでした。 セリーンは1968年3月30日にカナダのフランス語域のシャルマーニュに生まれ、14人の兄妹の一人として貧困の家に育ちました。父御は肉屋さんで、何もない子供時代、歌だけが楽しかったそうです。 地元ののど自慢などで頭角を現し、1980年に同じカナダ人のプロデユーサー、レネーに出会い、ここから「マイ フェア レイデイー」と同様のスター メイキングが始まり、それまで、無垢でキュートだったセリーンは金髪に髪を染め、みるみるうちにグラマラスに変身。二人は26歳の歳の差もお構いなく、87年に結婚、しっかりと3人の子供も生まれて、世界のアイドルとなりました。 89年にはベルリッツに通って、英語を学び、英語でも歌い始めたのです。 こうい

JUDI DENCH 2016

Image
JUDI   DENCH   2016 あたりを睥睨するように見る視線におののいてしまう、と言う人もいるジュデイー デンチの貫禄と格調も、いざお孫さんが近寄ると可愛さ余ってのグランマの表情になってしまう瞬間を目撃しました。 一人娘のフィンテイーの息子のサム ウイリアムズという赤毛の素朴そうな若者で、二人のやり取りの優しい空気がなんとも微笑ましいのを思い出します。 そういうわけでこの日はデイム ジュデイーのほんわかと柔らかい面をたっぷり覗いたのでした。 丸い顔に背も低く、どちらかと言うとオバさんタイプの外見なのにジュデイーには培われた威厳が漂って、質問をする時にも失礼がないようにと気を使います。面白い事にヴァネッサ レッドグレーヴやマギー スミスなどは背が高くて,貴族的なルックスを持つにもかかわらず、会見などでは,気さくで、とても思いやりに溢れた表情を見せます。 昨年のロンドンでの「マリーゴールド ホテル 幸せへの第2章」(15)の会見では、思いがけなく 「インドが大好き!人々の優しさとコミュニテイーのまとまりと混乱、色の氾濫に雑踏、食べ物、何もかもが英国の秩序と正反対で、心身への大きな刺激になるもの」 と語ったり、 「最近目が悪くなって、闊歩できなくなったのよ。旅行に出かけるのもままならないし。頭を鍛えるために1日にひとつ,新しい言葉を覚えるようにしています」 とちょっと心配になるようなことを言ってましたが、女優魂はしっかり保っていて、間もなく「ウインターズ テイル」(16)に主演しますし、テレビのシェイクスピア劇にもベネデイクト カンバーバッチと共演、とスケジュールがしっかり詰まっています。 1934年12月9日 英国のヨークシャーに医師の父親を持って生まれたジュデイは、クエーカー教の学校で学び、信仰があつくなってクエーカー教徒になったそうです。そのあたりに彼女の潔癖なストイシズムがうかがわれます。 もう少し昔のツーショットには、彼女のもう少しおっかない表情のものがあるのですが、いつものように見つかりません。でも、もう今年の12月には82歳、まろやかな表情が板についてきて、大ファンとしては安心できるというものです。 2007   NINE 2005「ヘンダーソン夫人の贈り物」 2013 「あなたを抱きしめ

TILDA SWINTON 2016

Image
  TILDA  SWINTON  2016 2013「スノウピアーサー」 若い恋人はトム ヒドルストン 2007「フィクサー」オスカー助演賞受賞の弁護士役 1992「オルランド」右はクエンテイン クリスプ(女装を得意とした名優) 2014「グランド  ブタペスト ホテル」のリッチな90歳のおばば役 TILDA   SWINTON ノルマン征服時にさかのぼるスコットランドの貴族の家柄に生まれたテイルダ スウィントンはいつも毅然として、男女性別が定かで無いような、へんてこな役を手がけるわ、フォーマルドレスにごついオジサン サンダルを履いたり、突拍子も無い髪型に年齢不詳でエキセントリックで、それでいて最も優しい宇宙人のようなスターです。 高い家柄に生まれて、究極の自由人となった、ままにあるケースの一つでしょう。 まさに崇高に自らの道をカラカラと笑いながら前進しているようで、スターの中ではユニークな存在で、私の大好きな女優の一人です。 初めてテイルダの勇姿を見たのはおそらく「オルランド」(92)でしょう。何世紀にも渡って性を変えて生きている妖精のような、化け物のようなオルランドを完璧に自分のものにして演じてました。 「ナルニア国物語」(03)での雪の女王、「オンリーラヴァーズ レフト アライヴ」(13)での吸血鬼、などなどのおどろおどろしい専横的な役から、「猟人日記」(03)などでは地味なおばさん役もリアルに演じてしまい、「ミラノ 愛に生きる」(09)ではイタリア語を流暢に話し、「グランド ブタペスト ホテル」(14)では90歳のおばばの役! 「フィクサー」(07)の集中力の権化のような弁護士役でアカデミー助演女優賞を受賞。 最近では「ヘイル シーザー!」(16)でハリウッドの名物コラムニスト ヘッド ホッパーをパロデイーにした役を双子に仕立て上げて2役を嬉しそうに怪演中です。 今年の終わりにはベネデイクト カンバーバッチ主演の「ドクター ストレンジ」(16)に「古代人」という役で出演、またもやの奇抜は衣装、ヘヤー、言動が期待されます。 1960年11月5日ロンドン生まれ、ケンブリッジ大学を卒業、ロイヤル シェイクスピア カンパニーで演劇を学んだという優秀な学歴の持ち主でもあります。

BEN AFFLECK 2016

Image
BEN  AFFLECK   2016 With Henry Cavill( Superman ) 日米同時公開と騒がれている「バットマン 対 スーパーマン」(16)でバットマンを演じたベン アフレック。役が決まった途端に、反対の声が大きく上がったり、最近は妻のジェニファー ガーナーと別れたり、いろいろとネガテイヴな出来事が起こっているために、会見に現れたベンはどことなく疲れ気味でしたが、そこは人の良さが身上の彼ですから、ユーモアを込めて質問に答えていました。 生真面目で、体も角ばっているスーパーマン役の英国俳優ヘンリー カヴィルの正反対のお気楽で、顔も体も順応性が高そうな典型的アメリカンのベンとのコントラストが会見でもよく現れていて、どちらもそれなりの男性的魅力があります。 監督のザック スナイダーは、バットマン役には何よりも身長が高い俳優が欲しかった、見上げるような大男の逞しさが良いと言って、大男とは程遠いものの、背は高いベンが配役されて満足した様子でした。身長さえあれば、あのバットスーツを着ると誰でも逞しい大男になりますし。 1997年の「グッド ウイル ハンテイング」からよく知っているベンだけに、親戚の甥っ子のような気分で接しています。オスカー授賞式の夜のトーク番組で、その夜の主演賞候補だったマット デーモンを抱っこして、お腹にくくりつけた袋に入れて、コアラベアの親子のように登場したのには大笑いしました、と言っている私たちの会話のシーンをご覧ください。ベンもマットも授賞式からのタキシード姿のままで、二人とも大汗かいて、その姿が昔からの親友同士の慣れ親しんできた様子をよく見せてました。 「ライフ イズ グーッド!後悔などしないよ」(人生は楽しい)と繰り返すベンのポジテイブなエネルギーが感じられ、デビューした頃の三白眼がちの目が、黒目が大きくなったのか、まぶたが垂れて白眼の面積が狭まったのか、ずっと落ち着いた目になって、ベテランの余裕も感じられたのです。 1972年8月15日にカリフォルニア州の大学街、バークレーに生まれていますが、育ったのはボストンで、ここでマットと知り合ったのでした。 ちょっと照れ屋のマットと違って、ベンはお気楽でスキンシップが大好き、昔のツーショットの中にはガシッと抱き合っていたり、おふざけの写真も数枚あ