STEVEN SPIELBERG

STEVEN   SPIELBERG

独断と偏見のアングルで、しかし大量の愛情を込めてスターのことを書くのが、このブログの基本なのですが、今回は今では押しも押される巨匠となったステーヴン スピルバーグについての思い出をちょっと紹介しましょう。

初めて会ったのはおそらく「レイダース」(81)の頃だと思いますが、当時はまだ、夢だった映画作りを現実に手にしての情熱と少年ぽい興奮にあふれていました。
「カラーパープル」(85)の時もオールブラックキャストの映画に大変な誇りと信念を見せていましたし、「フック」(91)では自分が永遠のピーターパンだという認識を白状していました。

「シンドラーのリスト」(93)の時、ワン オン ワンのインタヴューでユニヴァーサル スタジオのひと部屋に案内され、アットホームな居心地の良いインテリアはいかにもスピルバーグらしく、最初はアリゾナでの少年時代の話などをしてリラックスし、さて本題のナチドイツとユダヤ人の話になりました。
ご存知のようにスピールバーグはユダヤ系です。

私の祖父は帝国海軍の将校で第2次大戦直前にはベルリンに海軍武官として駐在しておりました。帰国の時にシェパード犬を連れて帰り(軍艦の旅ですからできたのでしょう)家族にこの犬はヒットラーの愛犬の一族だと話していたそうです。なんとなくその話をしましたら、スピルバーグは
「なんという恐ろしい話だ!実にフライトニングだ!」
と叫ぶではありませんか。
私は「それは興味深いエピソードですね」などという答えを期待していたのですが、ただの犬でもナチの血を引いているように反応する姿にびっくりしてしまいました。

もちろん私の側にも理解と繊細さが欠けていたとは思いますが、当時日本はドイツの同盟国でしたし、ちょっとした歴史のひとこまが身近にあったことを言ってみたのです。

さてさてスピルバーグには以来映画を監督する度に会っていますが、いつもソフトな語り口で、優しい表情を浮かべ、周囲に平和そのものの空気が漂う、柔和な人となりの性格が伺えます。
巨大な恐竜やヒーローが活躍するアクション映画や歴史ドラマ、SFもの、軽いロマンテイック コメデイーなど全てのジャンルの映画を張り切って作るスピルバーグですが、いつもどこかに彼ならではのセンチメンタルな情景が入ります。
例えば「戦火の馬」(11)の最後に近い場面で、戦火をくぐった愛馬を連れて家に帰ると両親が涙ながらに迎えます。
それまでの息苦しいほどの戦慄の場面のインパクトがここでぐーんとトーンダウンして、家庭ドラマのようになってしまって、なんだかなーと思ったり。

新作「ブリッジ オブ スパイズ」(15)は今年のアカデミー賞6部門にノミネートされてめでたしめでたしなのですが、ここでもせっかくのトム ハンクスの命をかけた東西の人質交換への苦労、静かにハンクスの行動を見ながら、諦念の表情で、祖国のロシアに戻っていくスパイを演じるマーク ライランスの力が抜けた肩、など最高の質の演技をこちらも身を引き締めて見てしまいます。
ところが使命を終えてアメリカの自宅に戻ったハンクスと彼の妻の会話のあまりにもの日常さにドラマの緊張が一挙に解け、さらになんとなく裏切られたような気持ちになってしまいました。苦み走った監督でしたら、こういう自宅に帰った後のシーンなど絶対に加えず、帰途につくハンクスの飛行機内のショットなどで終えると思います。

ドライで、ピリリと辛口が好みの私ですから、こういうセンチメンタルな場面がくっつくと、ああ、これがスピルバーグで、ナチの犬だから恐ろしいという反応が出るのだなーと思うのであります。

1946年12月18日オハイオ州シンシナテイー生まれですから69歳になったばかり。

次の映画は「The BFG」(16)、ビッグ フレンドリー ジャイアント というタイトルで、それまでスピルバーグの何度も出て欲しいというリクエストを断って「ブリッジ。。」でやっと出演を承諾したマーク ライランスが主人公の「優しい心を持った怪物」を演じます。なぜ優しいかと言うと。この怪物は少年と少女を食べないからだそうで、少年がこの怪物と仲良くなるというストーリーはいかにもスピルバーグの好みそうなものではありませんか。 
1991「フック」ロビン ウイリアムズ(左)と。


1997「アミスタッド」

2015「ブリッジ オブ スパイズ」
2011「戦火の馬」

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