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Showing posts from May, 2015

CLINT EASTWOOD 85TH BIRTHDAY!

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2014  12月  AMERICAN  SNIPER  まだまだ精悍!!最も最近のショット CLINT    EASTWOOD   85TH BIRTHDAY ! 5月31日はクリント イーストウッドの85歳のお誕生日!  今までの写真を載せてみましょう。繰り返しますが整理が悪いため,もっと素敵なツーショットがざくざく(?)あるのですが、1988年の「バード」で主演のフォレスト ウイテカーと3人で撮った写真から,彼の特徴の男らしさがほとんど変わっていないと言う奇跡的なスターです。例えばポール マッカートニーとか、クリストファー ウオルケンと言ったもっと年下のスターでさえ,かなりオバさん化しているのに。 クリントの風雪化をとくとご覧下さい。同時にわたくしのエイジングもばっちりと見て取れます。 2014年はミュージカルの「ジャージー ボーイズ」に始まり,年末には逞しくも哀しいマンリネス(男らしさ)を描いた「アメリカン スナイパー」と2本も監督し,妻と別れたかと思うとぐんと年下の女性と交際したり、見上げた心意気ではありませんか。 主演,監督,ばかりか映画音楽を作曲し,ピアノを弾き,歌まで歌ってしまい,ワンマンショウをやってしまう才能を持っています。 1983年にはショーン コネリーの後のジェイムス ボンドの役のオファーが来たそうですが、「この役は英国人に限る」と断ったそう。ま、オーストラリア人やアイルランド人がその後演じましたが,クリントのボンドはやはり,ちょっとざわつき過ぎで、わたくしも同感です。 おまけに「スーパーマン」の役も回って来たそうですが,これも拒否。嫌ですよね、クリントのタイツ姿など。 「メリル ストリープと一緒にお風呂に入った「マデイソン郡の橋」(95 )みたいなロマンテイックな主人公はもうやりたくない。「ダーテイー ハリー」の悪態をついて銃をがんがん撃つ役の方が遥かに楽しい」 と正直なのもクリントらしい白状です。 先日飛行機の中で久ーしぶりに「ダーテイー ハリー」 (71)の第1弾を観ましたが,ハリーの乱暴で,無謀で,反抗的で,暴力的な行為に快哉を叫んだものでした。ポリテイカリー インコレクト(政治的に全く正しくない態度)なトーンが又, いとも新鮮で、今見ても全く古く感じませ 2014  「ジャージー ボ

ELIZABETH MOSS

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ELIZABETH   MOSS 日本でのテレビシリーズ「マッド メン」の人気の程は知りませんが,07年からスタートして,60年代のマデイソン街の広告業者アドメンたちの昼間からウイスキーを飲んだり,グラマー秘書と情事をしたりの仕事ぶり,そしてファッションが大いに受けて,社会的トレンドとなって、この5月についに終わったのです。 このシリーズでもろもろの賞を受けたのが,男性尊重の時代に大志を持って広告の仕事に前進するキャリアー ウーマンのペギーでした。 それまで、ほとんど無名だったエリザベス モスは何処か古典的な顔立ちの為に、このペギーの役がぴったりで、ちょっと古くさい衣装も違和感なく似合って,現代の女性たちの注目を集め,すっかりお茶の間の人気者に。 1982年7月24日 両親共にミュージシャンという家に育ち,小さい時からベテイー デイヴィスを目指して女優になりたかったと言いますから,ずいぶん大人の感覚を持っている少女だったのでしょう。6歳の時からテレビに出て、「ウエスト ウイング」(99−06)と言うマーテイン シーンが大統領になるテレビドラマで大統領の娘を演じたのが最初のブレークでした。 「マッド メン」の会見で何度か会ってますが,何時も控え目で,もっとグラマラスな主役達の後ろで静かにして居ると言う欲の無い人柄と、優しさが感じられます。 今回のインタヴューは,ニユーヨークで行われ、「マッド メン」の終焉とブロードウェイの舞台で女主人公を演じる「ハイジ クロニクルス」(15)についての感想を語ってくれました。 「8年間もの長いシリーズが終わるのは家族と離れて,独りで大学に行くような,ひとりぼっちでの生活が始まる寂しさがあるけれど、今の私は舞台の主役と言う大きな挑戦があるので実は全く余裕がない状態なの。女優としてもっと成長するには数々の試練を経験しなくては,と自分に言い聞かせています」 としっかりと答えていましたが「ハイジ」は3月中旬にオープンして好評を博し,見事舞台のオスカー賞と言えるトニー賞にノミネートされました。しかし観客動員が思わしくなく,89年からジョーン アレンやシンシア ニクソンが手がけて来た,仕事を持つ女性の生き方を描いた,いわゆる女性ドラマの舞台劇は,8月までの上演期間が短縮され、5月上旬に閉幕となったのです。よくある事ですが,やは

BILL NIGHY AT BACKSTAGE

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BILL  NIGHY   AT  BACKSTAGE 舞台の楽屋を訪れたことは数回ありますが,いつもジャーナリストとしてだったので前もってのお膳立てがしてあり,自分でリクエストなどしたことがありません。 今回はビル ナイの大ファンですし、せっかく切符も自分たちで買い,想い出をさらに強めようと楽屋訪問を試みました。まず彼のロンドンのパブリシストにメールを入れると 「そんなもの(楽屋パス)などと言うものはない!」 とケンもほろろの冷酷さ! 諦めていたところに,先輩がプロデユーサーのひとりを知っているからリクエストを送ってあげると言ってくれ,待つこと2週間、 「ビル ナイが良いと言って来た。芝居がはねた後,劇場の左側のドアで門番に名前を言うとビルのドレッサーが案内してくれる」 と言う躍り上がるような返事が来ました。 昔の映画、トム コートニーとアルバート フィニーの「ドレッサー」(83)を思い出します。今だに古き良き時代のように "ドレッサー"(衣装係 と言っても身の回りの世話全てをする従者)と呼ぶのだなーと。 さて見事に2回のスタンデイング オヴェイションを果たした舞台を見終えて,一応背広姿ですが用心棒のような男性に楽屋に招かれていると言うとリストに名前がないと言うではありませんか。 「ちゃんとある筈です。調べてみて下さい」とていねいに頼むと「ここで待っててくれ」と柵の中に入れてくれました。柵の外にはサイン帳やカメラを持ったファンが大勢待っているので,ちょっとこっ恥ずかしくもあります。 しばらく待つと小柄な男性がドアから顔を出して「どーぞ!」と。 「あなたがビルのドレッサーですか?」と聞くと 「まあそうですが、プロダクションに勤めていて,個人のドレッサーではありません」 とソフトに答えてきました。あの映画のように長いこと同じ俳優に付くようなシステムはもうほとんど無いのでしょう。 非常階段のような狭くて、急な階段を、てっぺんの5階まで登ります。小さな質素な部屋がひとつ,ドアに「ビル ナイ」と紙の札が。 階段と波いる興奮で息も絶え絶えに私がビルに挨拶すると 「おー済まない。階段はきついから私が下まで行くべきだった」 といつものような爽やかで,ゆったりとした態度でしっかりわたくしをハッグしてくれました。 おそらく

BILL NIGHY IN SKYLIGHT

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BILL  NIGHY   IN  SKYLIGHT さてハイライトのブロードウエイの舞台劇「スカイライト」は,弁護士の父親を持って中流以上の育ちをしたカイラ(ケアリー マリガン)とおそらく中流以下の家庭に育ち,しかし現在は高級レストランを数軒持つリッチでエレガントなトム(ビル ナイ)の鮮やかな会話が最高でした。 ジョン ゴールデン劇場は日曜日のマチネーの上に,折からのメモリアル デーの祭日が重なって超満員。 ロンドンのスラム街のアパートに住んでいるカイラは問題児の学校の教師をしています。ビニールのスーパーの袋を提げて家に戻って来るところから劇は始まり,突然 若いエドワード(マシュウ ビアード)が訪れ, 毋が死んでから父親が鬱になったので助けて欲しいと訴えます。カイラは小さい頃のエドワードの世話をしていたこと、父親がトムで,ふたりの会話からトムのキャラクターが説明され,エドワードが帰ると突然,高級そうなロングコート姿のトムがカイラのブザーをがんがん押して入ってきます。ビルの颯爽とした、たたらを踏むような登場で,観客は大いに拍手を送ります。 ふたりは6年間も恋人関係にあって,トムの妻に知られた瞬間にカイラは無言でトムのもとを去ったのでした。妻が死んで数年,トムはカイラと再スタートを願ってますが,カイラの貧乏な暮らしぶりや救世主のような考え方をウイッテイーに批判します。 「こう言う場所に住むような、ヤカラは抜け出したいと一生懸命なのに,きみは一生懸命にここに入って来て、なじもうと努力している」 罪悪感を人助け・福祉で償おうとしているカイラとブルジョアの自信とやはり罪悪感を持っているトムとのやりとりが知的で,的を得ていて,さすが英国最高峰の戯曲家,デイヴィッド ヘアの脚本,ステファン ダルトリー監督の極上の舞台劇でした。 1995年の初演はマイケル ガンボンがトムの役を演じ,ロンドンのウエストエンドからブロードウエイに進出,しかしベテランのガンボンでさえ「この役は今まで演じたどの役より疲れる。もう疲労困憊だ。家に帰りたい」と言わしめたそう。そして「あのビル ナイとか言うハンサムな俳優にこの役をしてもらうと良い」と戯曲家ヘアに勧め,2年後にビルがステラ ゴネットと初めて「スカイライト」をロンドンで公演したのです。 ガンボンは太い体にタフなインテレク

NEW YORK MEMORIAL DAY #2 MAY 24 2015

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NEW  YORK  MEMORIAL DAY #2  MAY 24  2015 ニユーヨーク2日目の朝は寝不足のまま目が覚めました。外の通りで午前4時まで大勢の人が騒いでいて,おまけに救急車のサイレン,車のクラクション、と昼夜を問わない天下の大都市の息遣いをたっぷりと味わったのでした。 クリントン公園 クリントン公園 5月24日 ブロードウェイ ミュージカル「キンキー ブーツ」の頭を突っ込む看板 「フリート ウイーク」の看板とワンコたち ヘルズ キッチンの蚤の市 マスコットはヘル(地獄)から,悪魔です。 5月24日ドレスアップしていざ出陣 劇場での本番前 劇場の中 左方に舞台の装置が見えます。 名店街のようなマーケットなんとかで夜ごはんはラーメン。 右後ろに「アイヴァン ラーメン」が。 朝の劇場 ジョン ゴールデン劇場 散歩中に寄った時 まずホテルから「スカイライト」を上演しているジョン ゴールデン劇場まで歩いて、距離と時間を確かめます。約10分,暑くなりそうなお天気。朝食兼昼食を近所の「ガザラス プレース」(GAZALAS PLACE)と言うカザキスタン,つまり中東料理のレストランへ。 「ガザラス」額の写真はオーナーご夫婦の若かりし頃 友人の未来クンに似ている,知的ウェイターは大学院で国際学を勉強している将来は外交官か、教授になりそうな優等生タイプで、是非ともアメリカと見知らぬ国(映画「ボラット」ぐらいしか、この国のことをわたくしも知らないのです)の架け橋になってもらいたいものです。 それから近所のヘルズ キッチンの蚤の市を覗いて,綺麗なオレンジ色のネックレスを娘が買ってくれました。 クリントン公園と言う英国のお庭のように細かくデザインが施された花園で、あの元大統領のクリントンと関係があるのですかと訪ねたら,「クリントンと言う地域の名前なのです。ビル クリントンはハーレムに事務所を持ってましたがね」 と言う答え。 それから日曜日3時のマチネー公園ですからホテルに帰って支度をし,30分前に劇場に着いたら凄い行列。開演後の入場禁止の警告をしっかり守るシニアの観客層ばかりでした。 トニー賞7部門候補の大人気ですから,ひとり160ドルでもオー

NEW YORK MEMORIAL DAY WEEKEND MAY 23 - 25 2015 NO.1

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NEW   YORK  MEMORIAL DAY  MAY  23  -  25    2015 NO.1 今年の母の日は今までにない歴史的なものになりました。 娘がいつも何が欲しいと聞いてきても,喉から手が出そうに欲しいシロモノなど、ほとんどの場合余りに高価すぎて不可能です。結局,サングラス,とかセーターになってました。 ジャーン! 今年は即座に「ビル ナイが出ている舞台の切符」と答えたのです。 「スカイライト」はブロードウエイで再演,共演はケアリー マリガンと言う大好きな俳優ふたりが主演の舞台劇。 人気演し物なのでかなり高い席でももう舞台に近いところはありませんでしたがアメリカの祭日,メモリアル デーに娘が休みを取れると言うので,日曜日24日のマチネーの切符を買ってくれました。 本番の日はあとで報告します。それまでのニユーヨークでのゆるゆるとした休日の様子をまずお目にかけましょう。 飛行機はマイルで取り,季節は最高、祭日のため超満員のニユーヨークのホテルは安ホテルでも高級ホテルのお値段でしたが、まあ歴史的イベントですから、母親が払いました。 ホテルの近くにハドソン川が流れていて、ここに博物館として停泊している航空母艦イントレピッド(INTREPID)は戦死者を弔う「メモリアル デー」と折からの「フリート ウイーク」と言う海軍, マリーン、沿岸警備隊、等の水兵さんを歓迎する週の為に大変な賑わいです。 日が燦々としたお天気の日に国旗がそこかしこにあって、愛国心を煽られますし、大勢の若い水兵さんたちが歩いている風景はノスタルジックで、まるで古い映画のようでした。 まもなく公開される「スパイ」の宣伝用Tシャツがピンク色で猫がついた可愛いものだったので,ちとひるんでいる娘にも半ば強制的に着せて、出かけた為に「可愛ー!」と言った反応が多かったのも想い出です。ジュード ロウとジェイソン ステイサムが007ボンドもどきをパロデイーで演じる愉快な映画で主人公のメリッサ マッカーシーが猫おばさんに変装するシーンからの景品です。 夕食は娘が調べた評判のタイ料理屋へ。パドタイもポークと野菜も海の幸麵も大変おいしかったのですがアルコール無しだったのでホテルの近くの小さなバーへ。 その名も「ポケット バー」と言い,若い女性のバーテンダーがお洒落なゲイのお