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Showing posts from February, 2015

LEONARD NIMOY 1931-2015

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LEONARD   NIMOY    1931 -  2015 「スタートレック」の耳の大きなドクター スポックで親しまれていたレオナード ニモイが昨日 2月27日 ベルエアーの自宅で亡くなりました。83歳でした。 1989年の映画版「スタートレック:ファイナル フロンテイアー」のときに初めて会ってから,3回ぐらいインタヴューしてますが,いつも理知的な話し方をする,大変なインテリ・アーテイストで、 「子供だましのテレビ番組だと思っている人が多いいだろうが,科学に興味を誘導して行く,素晴らしいドラマだと信じている。何よりもこの役のおかげでもう2度と家賃や次の食事の心配をしなくて住むようになった。これほどの恩恵を受けて,言えるのは感謝の言葉のみです」 とあくまでも謙虚な姿勢から,ドクター スポックの役を遥かに越える演技力や才能が溢れ出しているのが覗けました。 あの有名な V 型の指のサイン、LLAP  Live Long And Prosper 長生きして繁栄あれ!(おそらく日本語ではもっと気の効いた役になっているのでしょうが)などのキャッチ フレーズはニモイのアイデアだったそうですし,監督なども数回手がけたり,撮影がない時は,詩を書き,写真家としても名高く,歌手,良く響くバリトンの声を活かしてのナレーションをし、ユダヤ人の社会活動を支援し、更に俳優を目指す若者達の為の演技塾も手がけていたという情熱の人でした。 1931年 3月26日ボストンにウクライナのユダヤ人移民の両親のもとに生まれ,父親は理髪師,小さい時からパーフォーマンスが好きで,特異なルックスを利用して,役を得たそうです。 「 A Life is like a garden. Perfect moments can be had, but not preserved except in memory.  LLAP 」 2014年にCOPD (肺の病気)と診断され、以来死を覚悟して,毎日,身の回りの始末をすると言う日々を送っていたとあります。この文も彼なりのメッセージとして,綴ったものです。 ドクター スポックを新作版で演じているザッカリー クイントもニモイにはなむけとしてシェイクスピアを引用してました。 「僕の心は千路に破れてしまいました。あなたを僕の友として、心から,強く愛

DAMIAN LEWIS

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DAMIAN   LEWIS ロンドンで会ったダミアン ルイスはロスアンジェルスで会う時より,ずっと気楽な感じで,毛皮の襟が付いたコートの下はポロシャツと言ういかにも自宅から,子供を学校に降ろして,そのまま来た、と言う日常感が溢れてました。 前からわたくしは言っているのですが、いつも口をすぼめて, おちょぼ口にするあたり,顔の形,しなやかな動作,などがステイーヴ マックイーンに似ていると。あの伝説のハリウッドスターの熱狂的ファンには説得出来そうもありませんが,何と言ってもあの口すぼめです。他の男優で,あそこまで頻繁にこの表情をする人は居ないでしょう。 ともかく今回は,赤ヒゲのヘンリー8世を演じている「ウルフ ホール」の会見です。少し前に書いた英国稀代の舞台俳優マーク ライランスが主役の英国時代劇で、少し前まで,話題のテレビ シリーズ「ホームランド」(2011−)で、米国軍兵士としてイラクで捕われ,帰還するとアメリカのヒーローとして,政治家に推されるものの,実はモスレムに改宗してのテロリストでは?と言う役で大人気でした。まだ主演のクレア デーンズの CIA エージェントが張り切って放映中ですが,残念!彼は殺されてしまいました。 「テレビのレギュラーをしていると規則正しい生活が出来るが,拘束時間は長い。面白いことにニユーヨークなりロサンジェルスからロンドン行きの飛行機に載るといつも顔見知りの英国人俳優達に会うんだ。みんなアメリカの作品に出て,多少の休暇が取れると家に帰るから」 ファーストクラスかビジネスクラス内での同国人でなじみの人達との挨拶なり会話を覗いてみたいものです。 「ヘンリー八世の役で先っぽが四角いブーツを穿いているのだが,これが良くてね,そのうちスクエア トーのブーツが流行るかもしれないよ」 1971年2月11日ロンドン生まれ。保険会社の重役の息子として、有名なアビーロードにある家とサセックスの家の両方で裕福な育ちをし、サッカー,クリケット,ゴルフで大活躍のスポース少年だったとか。名門校イートンでもスポーツと演劇に熱心で,ギルドホール演劇学校に進みます。 98年にはオートバイの事故で脳の前葉部にダメージを受ける大怪我をしましたが,直ぐに復帰。この辺りもマックイーンに似ているではありませんか。 初めて会ったのは「バンド オブ ブラ

JUDI DENCH 2015

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JUDI   DENCH 久しぶりに会ったデイム ジュデイー デンチは冬のロンドンだと言うのに、白いTシャツに薄ーいグレイの上着と言う寒そうな格好でホテル クラリッジスに現れました。真っ白なショートヘヤが全体の薄い色に更に優しい効果を上げてます。 少し前に紹介した「セカンド ベスト エキゾテイック マリゴールド ホテル」(15)ではインドの織物を買う商売を始めるのですが、映画全編で、風通ししの良さそうな木綿のトップとパンツに必ずマフラーと言うのか、長いスカーフを肩にかけて、颯爽と歩いてます。 友人はジュデイを見ると 睥睨 と言うコトバが頭に浮かぶと言ってましたが、なるほど、威厳に満ちています。近付き難いと言うより、我が道を行くから、邪魔をしないで!と言う無言の命令が感じられますが、同時に、ソフトな丸い顔からは寛容と忍耐が漂っていると言えましょう。 一時,目が悪くなって脚本が読めない、と言った報道がありましたが 「大丈夫。良くなりましたから御心配なく」 と答えてました。原因とかを説明する気が毛頭ない,毅然としてもので,伝統の英国人の自分のことをベラベラ話すべきではない、と言う姿勢が感じられました。 ところがつい3日前の英国紙に 「もう独りで旅行に行かれない。目がどんどん悪くなって,階段や道が見えないから」 と告白した記事が載ってました。 何とも寂しいことです。 共演のマギー スミスとは16歳ぐらいの時からの共謀者同士で、ほとんど同い年、同じ頃に夫を失くしたりと女優としても、友人としても似たような生き方と境遇だったので、今回もお互いに相手の健康状態などに気をつける、ほとんど戦友のような仲です、と言ってます。 念のためにマギーは1934年12月28日 エセックス生まれ,勿論デイムの称号を受けてます。 ジュデイーは1934年12月9日 ヨーク生まれ。 どうしても風雪の皺の数、長い顔、不自由な動作などのマギーの方が年上に見えますが、のっぽなのとパセドー氏病ではないかと思われる出っ張った目のせいでもあるでしょう。 ここだけの話,目がロンパリになって、大昔の喜劇俳優、ピーターに似て来たような! その点ジュデイーは小柄で丸顔、ちんまりとした目鼻立ちがほとんど日本人のようなだけに、小さくまとまって、老人化が停滞しているのでは、と思われます。

ALEC BALDWIN AND OSCAR CHANCE

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ALEC   BALDWIN  AND  OSCAR  CHANCE タイミング良く、アレック ボールドウィンがこう豪語しています。 「「ブルー ジャスミン」(13)で僕はケイト ブランシェットの夫を演じてケイトは見事にアカデミー賞を受賞、今年は「アリスのままで」(14)でジュリアン ムーアの夫を演じて、ほら、ジュリアンも主演女優賞をゲット。つまり僕が夫を演じるとアカデミー賞を獲れるチャンスが大きいって言うこと!是非僕を夫役に選んで下さいね」 その昔「ワーキング ガール」でメラニー グリフィスの夫だか恋人を演じて、メラニーにセクシーな下着ばかりプレゼントし、「たまには外に着ていけるものが欲しいなー」などと文句を言われていた当時のアレックはひょろっと細くて,適度に濃い,美青年でした。 トール、 ダーク アンド ハンサムの理想の男性像は、往年のスター、ロバート テイラーが典型でしたがアレックも正統派美男男優と言えましょう。 ショーン コネリーが堂々のロシアの艦長を演じた「レッド オクトーバーを追え」(90)で米国海軍士官にして、スパイのジャック ライアンを演じましたが、この大役をこの1作で降りたのは、彼の負けじ魂だろうと思います。結局, ハリソン フォードが後を引き継ぎ,ベン アフレックからクリス パインとジャック ライアン シリーズはスタイリッシュな米国版ジェイムス ボンドとなって大人気を博しました。 1958年4月3日にニユーヨークのロングアイランドに生まれ、ステファン、ダニエルとウイリアムの弟達も全員俳優となりましたが,どうも成功しているのはアレック一人の様で,俳優業の困難さを見せてます。 強力なリベラルで、政治的発言も激しく、一時は政治家に担ぎ出されそうになりましたが、ライアン役と同様、これも降りてます。 拘束されたくない、一匹狼の性格が伺えます。 40代から貫禄がでて、二枚目の主役から、社長、検事、医師、教授と言う役が増え、アレックの自己中心とレデイーキラーのイメージを活かして、テレビのシリーズ「30ロック」(06−13)でお茶の間のスターに。 何度もインタヴューしてきましたが,信念を貫き、義理堅く, 礼儀正しいトルー ジェントルマンで、おふざけのイメージを見せず、これは仕事のうち、真面目に対当するべきと言うプロ意識の固まりです。

PATRICIA ARQUETTE

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PATRICIA    ARQUETTE オスカー助演賞受賞! 本命とは言え、毎年、投票用紙に事前に名前が印刷されているに違いない、候補19回目のメリル ストリープが受賞するかも、と最後までスリリングでした。パトリシア アーケットの妙に素人っぽい演技(それが又リアルで)が「6歳のボクが大人になるまで」(14)で大きな効果を上げたのだと思います。 おまけに俳優一家に育って、誰もがエキセントリックで、演技賞を狙うと言うより、好きな役を好きに演じてお気楽毎日と言う印象を与えてますし。 受賞のスピーチが又、彼女らしく、独特の南部訛りのような, 甘ったるいスロー しゃべりで、メモを読み上げ、最後に女性の賃金を平等にせよ! 男女差別、黒人差別はノーモア! と言ったスローガンを発表して終えました。最前列に座っていたメリル ストリープは立ち上がって、腕を振り, 指を突き出しての大賛成のアピールをし、会場も総立ちとなったのです。 オール ホワイトと批判された候補者の授賞式を少しでもカラフルにと黒人のプレゼンターやパーフォーマーを大勢選んだ式だっただけに、この夜はいやが上にも人種問題に焦点が集まり、パトリシアのスピーチも雰囲気にマッチしてました。ところが一夜明けると白人の女性が何が分かる、女性は向上心が無いから給与が上がらないのが分からないのか! てな批判が轟々。ま、何でも意見に異見が飛び交うアメリカですから、そのぐらい予期していたでしょう。 一時アカデミー協会は政治的意見をコントロールしていましたが最近は窓口が広くなったようです。 さてパトリシアは1968年4月8日にシカゴに両親が俳優, 姉のロザンナ,弟のデイヴィッドなど5人兄妹も全員俳優と言う家庭に育ちました。一人一人が個性的な姉弟ですが、パトリシアが一番、ソフトでスターメイキングなどにこだわらない素朴な性格をもっていたと見えます。 95年には更にエキセントリックな、そしてやはり芸能一家に育ったニコラス ケイジと結婚して人々は、好奇心の固まりでふたりを眺めていたものです。吸血鬼が住むような古いお城のような館に住んだりして、話題はいつも豊富でした。01年には離婚。そのあとハンサムながら,余り存在感のないテレビ俳優のトーマス ジェーンと06年に結婚して、 11年に離婚、と淡々とくっ付いたり、別れたりしています。

NEIL PATRICK HARRIS

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NEIL   PATRICK  HARRIS 昨夜のアカデミー授賞式の司会役を下着1枚になって、「バードマン」のマイケル キートンをパロデイーして張り切っていたニール パトリック ハリス。 自分が出ていた「スマーフ」や「ゴーン ガール」の役が受賞からほど遠いのも自虐的にしゃべってました。 何と言っても1988年の「クララズ ハート」でウッピー ゴールドバーグと共演した15歳の時から会ってますから,息子のように、いじらしい存在です。 唄って踊って、が大好きだった少年は、小学生の時から学芸会で主役、成長して、映画に舞台に活躍、テレビシリーズ「ドギー ハウザー M。D.』(89−93)で少年の医者を演じて一躍テイーンの人気者。2006年にカミングアウト、2011年に俳優のデヴィッド バートカと婚約、2014年9月8日に晴れて結婚しています。 スレンダーな体に小さな頭のニールは俳優としては、存在感がちと軽量ですが、それなりに喜劇や軽いテレビ ドラマで器用に役をこなし、ブロードウエイのトニー賞、テレビのエミー賞などの司会業を連続投球のプロの司会者でもあります。 おまけに手品が大好きで、ハリウッドにある、往年の観光名所・現在は資金繰りの為に閉鎖していたマジック キャッスル(魔法の城)を購入して、昔の栄光を取り戻すべく、改築工事をすると言う熱血漢。 会う度に新鮮な息吹を感じさせる,可愛いやつなのです。 昨日のパーフォーマンスは賛否両論ですが、迷わずに堂々と舞台を自分のものにして行く決意と自信は見上げたものだと思いました。 2014 「ゴーン ガール」タイラー ペリーと。 2013 「スマーフ 2」 2011 「スマーフ 1」 1988「クララズ ハート」」 オスカー授賞式  魔術師もどき タキシードを少なくとも5回は替えてのダンデイーぶり。 ブリーフ1枚で登場!

MARK RYLANCE

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MARK   RYLANCE 英国舞台の重鎮俳優、マーク ライランスが今、テレビシリーズの「ウルフ ホール」(15)に主演中。原作は同題のベストセラー小説で、英国人が大好きなヘンリー八世と忠臣トーマス クロムウエルの国王の離婚、首きり、毒殺、などなど1520年頃の波瀾万丈のストーリーですが、今回はクロムウエルが主人公で、いぶし銀の職人役者、マークが激演しています。 他の宮廷役人達と違って、クロムウエルは鍛冶屋の息子と生まれが卑しく、強靭な意志と努力で弁護士となって頭角を現しただけに、視点が異なり、そこらのぐうたら大臣達と大違い。今回のヘンリー八世はテレビ シリーズ「ホームランド」で一躍人気が出たダミアン ルイスが演じ,もともと赤毛ゆえに、赤ひげの国王が良く似合ってます。 マークを知ったのは、ロンドンに行く度に、もろもろの舞台劇で絶賛され、オリヴィエ賞2回などの栄誉を受けていたこと,そして初めて会ったのはベルリンで撮影中の「もうひとりのシェイクスピア」(11)と言うシェイクスピアの戯曲を書いたは実は文学好きの貴族だった、と言う映画に出演した時でした。 「ウルフ ホール」つまり ‘狼の広間’ と野獣達の集まりを表現しているように宮廷は王の懐を狙う野望が充満し、明日は我が身で首を切られるかもしれないのです。 マークは1960年1月16日、英国のケント州に英語の教授の父と校長の母のもとに生まれ、両親の転勤でミルウオーキー州での生活も経験しています。英国に戻り、王室演劇アカデミーを卒業、古典劇に新しいデイメンションを加えて演劇界に新しい波を投じました、 映画では「プロスペロの本」(91)、「エンジェルとインセクツ」(95)では知性とロマンスを見せたり、「ブーリン家の姉妹」(08)では姉妹の父親役など、控え目に、しかしきらりと光る存在感を見せる達人です。 ロンドンのグローブ劇場の第1回の総監督に選ばれ、95年から05年まで務め、シェイクスピアの劇の人気を更に高める功績を遂げ、多くの評論家や俳優達は現在の舞台俳優のベストとマークを讃えています。 当人は写真でもお分かりの通り、注目とか自分を前にだすことを避け、ひょろりとした枯れ木のような、しかしするめのように味がある(比喩が野蛮ですが)気さくな芸人です。 役と言う仮面をかぶって,全く別人を創り上げる贅