ALAN ALDA 2015

ALAN   ALDA


本名はアルフォンゾ ジョセフ ダブリッゾ と典型的イタリー名でちと複雑なのですが、やはり俳優だった父御がロバート アルダ と言う芸名だったので,アルフォンゾがアランとなってのシンプルなアラン アルダとなったのです。
父御は1914年生まれ、映画「ラプソデイー イン ブルー」(45)でジョージ ガーシュインを演じたり,多くの作品に出て,86年に亡くなっています。

アランは1936年1月28日ニユーヨーク生まれ,母御もミス ニユーヨークからショウガールになったと言いますから賑やかな家族だったことでしょう。しかし母御は精神病となり,かなり暗い時代もあったそうです。
アランは15歳の時に「アボット と コステロ」風な万才劇を父親と始め,舞台に出るようになりますが父親が息子に医者になって欲しいと訴えた為にフォードハム大の医学過程を専攻しました。2年の時にヨーロッパを訪れ、ここですっかり舞台劇の情熱を発見,父御の夢は果てませんでした。

アランが有名になったのは,映画からテレビシリーズとなった「M*A*S*H」(1972−83)のホークアイ医師の役でした。もともと才気溢れるアランは直ぐに脚本から監督まで手がけるようになりました。
何度か会見してますが,いつも自分のジョークをけらけらと発表して,ひとりで笑って,楽しむような,陽気な人となりを見せてます。

さて最近会ったのは「ザ ロンゲスト ライド」(15)で主役の恋人たち,スコット イーストウッドとブリット ロバートソンに助けられる老人と言う役で,ほとんどベッドに寝たきりの「楽な役」を好演した時。彼の想い出が現代の恋人たちとだぶって2本線のストーリーとなっているのです。
若い頃のアランを演じているのがジャック ヒューストン,その妻を先日紹介したウナ チャプリンと言う訳です。

「ギャラをもらうのが悪いような楽な役だった。おまけに若く美しいブリットにずっと付き添ってもらって,懐かしい過去の現像は僕よりずっとハンサムなジャックが出て来る。映画の役と同様、僕も幸運なことに愛する妻と長いこと一緒に暮らしている。ワイフは写真家で,音楽家で,その昔ヒューストン シンフォニー オーケストラでクラリネットを担当していたのだよ。僕は直ぐに恋に落ち,1957年に結婚して以来,ずーっと妻を愛して,仲良く,平和な家庭を共にして来た。ハリウッドではまさに奇跡的な成就だろうね」

クローゼット学者(クローゼット ゲイが隠れゲイの意味と同じように,隠れ学者)として、趣味の範囲より遥かに博識なのを認められて,色々な科学番組の司会や説明の役を買って出てますし,社会問題を担当する大統領顧問等の大役も果たし,テレビジョン博物館の理事や財団の理事などの役も進んで手がける,行動的な面もアランの積極的な生き方を見せてます。
2015  THE LONGEST RIDE


1989     CRIMES AND MISDEMEANORS   「重罪と軽罪」

1993 MANHATTAN  MURDER MYSTERY with Diane Keaton



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