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Showing posts from May, 2014

MATTHEW BOMER

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MATTHEW    BOMER 最近のハリウッドは余り珍しくありませんが,マット(と普通は呼びます)ボマーはカミングアウトしたばかりか,パートナーの男性と結婚して3人も子供が居る堂々の同性愛俳優なのです。美貌と頭脳とスタイルとどれもがA+のスターのマットは現在,テレビ映画の「ノーマル ハート」(14)と言う80年代初期のエイズが台頭した時期のゲイの人々のドラマに主演,もともとスリムな体から35ポンド(!)と言う驚愕の減量をして,エイズ患者の壮絶な状態を見せつけています。このドラマは最初は85年に舞台劇として公開され,2011年に再びブロードウエイで上演されたジャーナリストで自身もゲイにしてエイズ患者のラリー クレイマーによる話題作でした。 今回ケーブルテレビのHBOが放映,監督はやはりゲイのライアン マーフィー,主演でクレイマーとおぼしきライター役はマーク ラッファロー,その恋人でニユーヨーク タイムズの記者をマットが演じ,当時の一流新聞社では、ゲイを隠して働かなければならない状況などもビビッドに描いています。その他に,ジュリア ロバーツが小児ポリオになって車椅子の女医,いつもは男っぽいアクシヨンものを手がけるテイラー キッチュが髪を金髪にして,ゲイの兵隊役,やはりオープンリー ゲイの俳優,ジム パーソンズがここでは、マークが怒りっぽいのとコントラストを見せる静かに,落ち着いてゲイの組織を運営する優しいゲイの男性を熱演しています。パーソンズは2011年の舞台でも同じ役を演じたそう。 マットは,それまでソープ番組の美男役や映画では,ジョデイー フォスター主演の「フライト プラン」(05),テレビでは「ホワイト カラー」(09−)で犯罪者転じてFBIの情報提供者と言ったスタイリッシュなアクシヨンものの役が多かったのですがここで初めて実際に存在したのゲイのジャーナリストの役を得て,一年発起。家で子供たちの前では不可能と独り住まいをして役作りに専念,ちょうど「マジック マイク」(12)で共演したマシュウ マコナヘイが「ダラス バイヤーズ クラブ」(13)で大減量を果たした為に彼に助言を貰って,医師の監視のもとに過激なダイエットをしたのだそうです。 「僕は自分を修道院に入ったと考えて,集中力を養い,体重が無くなるにつれ,頭の冴えが強くなって行くという,禅の修行の

MAYA ANGELOU

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MAYA   ANGELOU マヤ アンジェローが5月28日ノース キャロライナ州のウインストン セイラムの自宅で亡くなりました。86歳でしたが、その生き方は勇ましく,壮絶で,同時に美しく,劇的でしたから,普通の人の10倍ぐらい,800歳分ぐらい生きたような印象を受けます。 1993年クリントン大統領の初めての大統領就任演説の時,大柄な黒人女性が朗々と響き渡る声で,詩を朗読,最後に「グッドモーニング」と言って終わったのを覚えてる方も多い筈。易しい言葉を力強く使ってのマヤの詩は,教育の無い人にも強いインパクトを与え,教育のありすぎる人には,シンプルな共感を感じさせる,凄い影響力を持ったものでした。 わたくしは幸運にもパートタイムで住んでいると思われるニユーヨークのアパートで、マヤ本人に会ったのです。ケネデイー空港に行く途中にある非常に地味で,実用第一の部屋には世界のお土産や本が所狭しと飾られ,アーテイストの雰囲気がありました。 1928年4月4日セントルイスに生まれたマヤは,才気あふれる美人の母親を慕いながらも,その母親の恋人にレイプされ,この男が裁判前に殴り殺されたその瞬間から「自分が話したせいで,リンチにあった」と6年間余り声を失い、話す相手は兄だけだったそう。 運良く,街の黒人貴族のような存在の女性がマヤの才能を見抜いて,以来,マヤは言葉と発音,言い回しに特別な注意を払うようになり,たくさんの本や詩を読みあさって,言葉を愛するようになったのです。 若い時は舞台や映画で踊ったり歌ったりし、「ポギーとべス」の主役を得て,54年から55年まで22カ国の巡業をしたのでした。 50年後半にニユーヨークのハーレム ライターズ ギルドに参加して、ここからマーテイン ルーサー キングらと市民権運動を創立,この頃、南アフリカ人の自由民権運動家のヴズムジ メークと知り合い,カイロと言う息子を生みます。メークとの仲が終わってから、ガーナに移って,新聞の編集をし,64年米国に戻り,マルコム Xの組織で働きました。マヤが40歳のとき,マルコム X が暗殺され,次に彼女のストリーテリングの才能が花開き,有名な最初の著書「I  KNOW  WHY  THE  CAGE  BIRD  SINGS」が69年に出版,レープから,白人を見た事も無い辺鄙な田舎の暮らし,金髪と青い眼に憧

MY MOTHER EIKO OKADA PHOTO LIBRARY

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MY  MOTHER   EIKO  OKADA'S  PHOTOS カリフォルニア州ウッドランドヒルズの家の庭でスキと。下はサンフランシスコで。 2000年頃,上はアリゾナ州ツーソンの西部劇パーテイー,下はハンスとスキと 珍しく黒めがねの毋とわたくすとスキと2000年頃 毋,岡田叡子が生きていたら89歳のお誕生日の5月16日に東郷寺で法要と納骨をしました。その日は晴天、眩しい5月の光と木々の緑が映えて,もっとも親かった親戚だけが集まり、毋はさぞ嬉しかったでしょう。 今回はぐんと若い頃から,最近の写真だけで,中間は,黴臭いアルバムや山とある箱の中にあります。 「あら恥ずかしい!人様にお目にかける写真じゃないですよ!」と叱られそうですが,もう抵抗は出来ません。 どうぞ気にしないでショパンの曲を弾いたり,親友のオーシと気楽なおしゃべりをしていて下さいな。 逗子市桜山時代 ハロウィーンでは悪魔に! 前にも載せた結婚式 19歳 1944年 毋を昔からよく知っている方の記憶更新と最近毋と仲良くなってお世話をして下さった方々へ,若い頃の毋の写真を少しご覧に入れましょう。 KDD時代 1950年後半 20代から30代の頃

HOOK 1991

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HOOK    1991 大人になったピーターパンをロビン ウイリアムズが演じた「フック」(91)は題名のフック=鉤が表すように,鉄の人工腕を持った船長(ダステイン ホフマン)が大活躍を見せたのでした。 ピーターは血も涙も無い企業合併を専門にする弁護士で,妻はウエンデイーの子孫です。ある日フック船長から,テインカーベル(ジュリア ロバーツ)がお使いとしてやって来て。もう一度「ネバーランド」に戻って来なさい、と。 そしてピーターは再び,子供の夢に溢れたピーターパンの優しさを取り戻すと言ったような、いかにもスピルバーグ監督らしいストーリーでした。 今から23年前の会見では,おおぜいが長髪で、フェースヘヤーもばっちり、ジュリアはまだ23歳でしたが,写真でも伺えるように,むっつりで無愛想。アイドルなんてなってたまるか!と言う逞しい姿勢を既に見せていました。 スピルバーグが父親の友達と言うわけで映画初出演のグイネス パルトローがウエンデイーの少女時代を演じています。 今のハリウッドでは見られなくなった豪華スター勢揃いの古典劇大イベント映画でした。今は全てコミックのヒーローが活躍するアクシヨン映画のみがこの手の豪華キャストに巨大予算映画ですから。 ロビンもダステインもそして元祖のステーヴンもみんな、万年少年のピーターパン症候群だと言う微笑ましい事実も加えましょう。 「フック」(91)ダステイン ホフマンとジュリア ロバーツ まだとても若いグウェネス パルトローは若い時のウエンデイー役 「フック」(91)ロビン ウイリアムズとステーヴン スピルバーグ

MATT DILLON #2

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MATT    DILLON   #2 つい最近,マット デイロンがジーン ハックマンの息子を演じる「ターゲット」(85)を28年ぶり!!に見て、改めてマットの美少年ぶりにほれぼれしました。全く似ていないじゃがいものような父親なのですが。金物屋のオーナーという冴えない父親とパリで失踪した母親を捜しに,フランスに向かいます。到着したパリの空港で突然父親は怪しい男をピストルで平然と撃ったり,切れの良いアクシヨンを繰り広げて,息子は呆然とするのです。実は父親はかつて優秀なスパイだったのでした。 濃い眉毛をひくひくさせて,「ダデイー! 一体全体どうなっているんだよ!僕を独りで置いて行かないで!」などと訴えるマットのひたむきで,無邪気で,可愛いこと! そしてじゃがいもダデイーは,渋いベテランのスパイに変身して,セクシーな昔の恋人の家などに行き,眠ったふりをしている息子のそばで彼女に言い寄られたりし,それを手慣れたプレイボーイのように巧みにかわすのです。そうです、ジェイムス ボンドのようになったジーン ハックマンの魅力的な事と言ったらありません。 マットは今年の2月18日に50歳!! 「テックス」(82)で初めて会ってからもう32年もたったのです。高校に凄い美少年が居るとスカウトが押し掛けて,しぶしぶ映画に出たマットのアイドル時代は有名ですが,母親が「マットよりハンサムな息子が居るのに」とつぶやいたそう。どうも美人美男家族らしいのですが、後に俳優になった弟のケヴィンを見るとかなり異色のルックスも居るようです。 ともかくマットは一時キャメロン デイアスと恋仲で,お互いに愛情を隠さずに,長距離ロマンスを楽しんでいましたが,自然に終わってしまい,面白い事にこのふたりは今でもハリウッドでも珍しい無傷の独身なのです。 マットはこだわりの男で,ビニールのジャズのレコードのコレクシヨンでは類を見ない程で,家に入りきらない為に空調付きの 1980年代 2005「酔いどれ詩人になるまえに」 倉庫を借りているそう。家具や自分の洋服もアンテイークやビンテージを好み,頑固として,トレンドに妥協したりしません。 「ワインに凝り出し,客室にワインを並べてワインセラーの温度にする為,強力なエアコンを付けていてね。友人が来るとこの部屋に寝かすのだが、みんな

お知らせ  5月13日

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お知らせ  5月13日 大雪の直後,2月21日に逝ってしまった毋の納骨やその他のセレモニーともろもろの名義変更などの雑事をする為に 5月13日にこちらを発って,14日到着,それから2週間日本に参ります。 気が重い旅ですが,5月の爽やかな季節を精一杯楽しみましょう。生きていたら5月16日は毋の89歳のお誕生日でした。誕生石の小さなエメラルドの指輪を「もう使わないから」と貰ったのがもう5年ぐらい前。時どき指にはめて,緑の光りを確かめてます。 と言うわけでしばらくお休みです。。 19歳で海軍の士官と帝国ホテルで結婚式を挙げた毋

DEVIL'S ADVOCATE 1997

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DEVIL'S  ADVOCATE 邦題は「デイアボロス「(97)と言うタイトルにある悪魔をアル パチーノが楽しそうに怪演する映画でした。パチーノは大声で,強い言葉が満ちた台詞を言う役がこの上なく好きなようで,地元の新聞,LA タイムスの映画記者は,パチーノの独壇場が大嫌いと来てますから、何時もパチーノに反発した記事を書きます。 フロリダに住む若くて,未経験の弁護士にキアヌ リーヴス,もう少し世間を見る目がある妻をシャリーズ セロンが演じて,この3人の珍しい顔合わせが注目されました。 ニユーヨークの摩天楼にオフィスを構えるエリート弁護士事務所からオファーが来て,キアヌは、突然,自宅用にと豪華なアパートを与えられ,所長のパチーノのチームに迎えられます。グラマラスなアシスタントが付いて,キアヌは有頂天,妻は早く赤ん坊を作りたいとそればかり考え,ふたりの間にはすきま風が。 そう言う夫婦の生活を覗いては,密かにうすら笑いを浮かべるパチーノは、キアヌにもろもろの挑戦を仕掛けます。 原題の「デヴィルス アドヴォケート」と意味は,討論の為に討論を仕掛ける、と言う議論好きで、これでもか、これでもか、と反論したり,斜めな観点を出したりする論争で、これとパチーノの本ものの姿(ルシファー)のダブル インパクトと言うわけでした。 キアヌのほわほわとした自信に欠ける存在が、自信過剰のパチーノと良いコントラストを見せ,シャリーズのタフな女性のイメージも効果を発揮してます。 監督はテイラー ハックフォードで、ちょっと変わった弁護士ドラマでした。 会見でのキアヌは頼りない声で,あーとかうーとか言ってばかり。シャリーズは気張った口調で,パチーノとの共演がいかに勉強になったかなど言ってました。 当のパチーノは,こんな役など朝飯前と言った風情で,5センチは背が高く見える(と当人は信じている)逆毛の髪型をしきりに確かめるのでした。 1997   アル パチーノ テイラー ハックフォード監督と妻のヘレン ミレン 当時のキアヌは33歳、シャリーズはたった22歳,パチーノは57歳。今年の9月にキアヌは50歳!!となるのです。 1997「デイアボリス」キアヌ リーヴスとシャリーズ セロン

LOGAN LERMAN

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LOGAN  LERMAN ローガン ラーマンは1992年1月19日にカリフォルニア州のビバリーヒルズで誕生と言う俳優としては珍しいリッチでトレンデイーな場所に生まれました。代々ユダヤ系の家族で父親は医薬用品の会社の社長と言う恵まれた環境に育ちました。姉弟3人,彼以外はみんな医学か医薬業についているそう。 2歳半で母親に僕は俳優になると宣言,4歳でメル ギブソン主演の「パトリオット」(00)に息子役で映画初出演,テレビシリーズからコマーシャルまでどんどんこなし、「パーシー ジャクソンとオリンポスの神々」(10)では見事に主役,続いて「三銃士」(11)では歴代のスターが演じて来た颯爽たる剣士,ダルタニアンの役に抜擢。とは言え何と言っても脇を固めるベテランの俳優たち,マシュウ マクファイジェン,ルーク エヴァンズ、オーランド ブルーム,ミッツ ミッケルソン、テイル シュワイガー、達が時代劇の重さを添えて,ローガンを引き立てていますが。 「パーシー ジャクソンとオリンポス」シリーズは13年に続編が創られて、ここでも活躍。 「ウオール フラワー」(12)では過敏な神経の内気な高校生を当人は20歳と言うのに,びっくりする程にリアルに演じてました。 今年(2014)は「ノア 約束の舟」でラッセル クロウのノアの反抗的な息子を健気に演じてます。 目がつぶらで頬っぺたが赤く,妙に幼い表情を浮かべるので,実際の年よりずっと若く見えるのもプラスになっているのでしょう。 時間がある時は「インデイゴ」と言う自分で06年に結成したバンドで,キーボードとギターを担当。映画の次に大好きなのが音楽で,ひとりでピアノに向かっては作曲に情熱を注いでいるとか。 お次ぎはブラッド ピットと共演の「フエリー」(FURY) (14)と言う第2次大戦中のドイツ軍と戦う米軍タンク隊の活躍を描いた作品。楽しみです。 2014「ノア 約束の舟」

RISING SUN 1993

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RISING    SUN  ( 1993 ) 「ライジング サン」(93)はショーン コネリーが日本の研究にかけてはめっぽう強い刑事,ジョン コナーと言う役どころで,畳の上で妙な坐り方をして,習字だか書き物をしたり,何やら嘘っぽくて、面白い映画でした。大体あのスコットランド訛りで,何もかもやってしまう,度胸と言うのか,大胆と言うのか,痛快でした。 もちろんショーンとの,この映画での写真は何処かにあるのですが今回は脇役の団体写真を紹介。 コナーの部下になるのがウエスリー スナイプス,ケリー ヒロユキ タガワにテイア カレラ(ハワイ出身のフィリッピン系のグラマラスな女優)にこの写真には出ていませんが,ハーヴェイ カイテルとマコと言うユニークなキャストでした。 監督はフィリップ カウフマン,原作はマイケル クライトンと一級揃いです。 日系企業のパーテイーでエスコートガールが不審死,その捜査に当たるのがウエスリーと親日家のショーン,パーテイーでは女性の裸体の上にすしが乗っていたりの奇抜にしてまずそうな演出が多くて我々はちと仰天したり,白けたりでした。 ショーン コネリーとカウフマン監督 ショーンは引退し,あとのキャストも殆ど余りアクテイヴではありませんが,懐かしい想い出の写真です。 1993「ライジング サン」左からケイリー タガワ,わたくす、テイア カレラ、ウエスリー スナイプス

BRANDON LEE

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BRANDON    LEE 父親のブルース リー(1940−1973)は,脳溢血の為に32歳で死亡,息子のブランドン リーは撮影中の銃の事故で28歳で急死、とマーシャル アーツのチャンピオン スター親子は共に若くして死に急いでしまった悲劇でした。 ブランドンは1965年2月1日にカリフルニア州のオークランドに東洋のドラゴン,ブルースとリンダ リー カドウエルの間に生まれ,すぐに香港に移住、ここでブランドンは中国語をマスターします。10歳の時に父親が急死。 香港とアメリカを行ったり来たりの生活を送り,ブランドンは小さい頃からマーシャルアーツの稽古に通っては,父親との比較を極力避けて来たそう。道場で色々と褒められ,ふと壁を見るとブルース リーの巨大な写真が飾ってあって,一目散に駆け出して,その場を逃げたとか色々としがらみがあったのでしょう。 初めてブルースに会ったのは「ショウダウン イン リトル トーキョー」(91)というB級アクシヨン映画で主演はドルフ ラングレンでした。ブランドンは,内気そうで,何となく悲劇的な運命を漂わせていたような気がします。次に「クロウ」(94)を撮影中の時,つまりその直後に事故が起きて,誰もが信じられないと言うショックを受けたのです。結局ブランドンの出番はコンピューター グラフィックスで補充して映画を完成させたのですが何とも後味の悪いものでした。ノースキャロライナ州のウイルミントンと言う街でのロケ先で,小道具係と銃砲担当のずさんな扱いが原因だったのです。 会見の時に「父の自伝映画には絶対に出たくない!」と頑な態度を見せ,何となく不幸せな父子だったのだろうなと言う印象を受けました。結局ブルースの役はジェイソン スコット リーと言う俳優が演じました。 183センチの長身に父よりずっとハンサムで,おまけにその年の4月17日にはエリザ ハットンと言う女性と結婚する筈だったのです。 「クロウ」の現場ではその他にも色々と不吉な出来事が会ったそうで,映画は注目はされたものの,大ヒットとはなりませんでした。 ポール ウオーカー(1973−2013)の急死後の映画も実弟を起用したりして撮り終えたそうですがやはりファンでさえもどのシーンがそうなのかなどと気になって、何処か居心地の悪い気分がするでしょう。 1993「クロウ」撮影中

ALLISON TOLMAN

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ALLISON  TOLMAN 全く無名ですが、実に気持ちの良い,ちょっぴり太目なのが又新鮮なアリソン トルマンです。 目下アメリカで人気上昇中のテレビ版「ファーゴ」(14−)で映画版では臨月のお腹を抱えて血みどろの殺人事件を捜査する婦警フランシス マクダーモンドの役を手がけています。テレビ版は題名を借用してますが,ストーリーはかなり変えてあって,アリソンの演じる婦警は独身で父親は喫茶店のオーナーのキース キャラダイン,何時も娘が危険な状況を顧みずに乗り出して行くのを不安そうに見ていて,その親子関係が又微笑ましいのです。 アリソンはこの役を得るまで,獣医のレセプショニスト,子供劇場の先生,電話セールス,ヴォーカル コーチ,ドッグ ウオーーカーとあらゆる種類のテンポラリーの仕事をして,役を得た暁にはすぐに辞められるようにと待機して,「ファーゴ」のオーデイシヨンに受からなかったら,もう女優は辞めようと言う分岐点にいたのですって。 瘦せた体が売りのハリウッドで,しっかりと自分の信念を貫いた,誇りと優しさが感じられて,とても良い印象を受けました。 同じく太目の「アニー」と言うなの猫とシカゴでアパート暮らし。ボーイフレンドも何となく存在しているようですが,まだ公式に言う程の歴史は無さそう。 生まれたのはテキサス州のシュガーランド,父親は地理学の学者,母親はコンピューターのソフトウエアの専門家と学者の遺伝子を持ちながら,小さい時から階段で失神するドラマなどを激演して親を驚かせたり,笑わせたりしで、その頃から将来は女優と決心していたのですと。年齢はまだ言いたくないと,こだわっているのも,長いこと役が来なかった後遺症かもしれません。両親について子供の頃はロンドンで暮らした事もあると言ってました。ベイラー大学では演劇学を学び,卒業後はシカゴに移って,劇団で下積みを続けてました。 「「ファーゴ」の役を貰って,いざ衣装部に行って,かっこ良い制服を着るのかなーと期待したら,ぺらぺらの化繊の安っぽい制服で,とてもクールには見えないなとちょっとがっかり。それからロケ先のカナダのアルバータに行ったら一面の雪,寒いのなんのって! 凍傷にならないように懐炉を入れたり,苦労が多いのだけれど,もの凄く嬉しい!毎日が演技のマスタークラスみたいなのだから。ビリー ボブ ソーントンの無表情の