MY MOTHER 'S MEMORY

MY   MOTHER'S   MEMORY




毋の岡田叡子が2月21日の朝、急逝しました。そのためにしばらくブログを書けませんでした。

1925年5月16日に麻布で生まれた毋はわたくしと違って、真面目な優等生で、スポーツにも勉強にも真剣に取り組み,母(わたくしの祖母)と同じ東洋英和に入学してからは、エコと呼ばれて,人気者だったそう。
帝国海軍の士官だった父の部下と結婚し、わたくしが生まれて、直ぐに離婚。その後はずっと国際電信電話(KDD)と言う大会社に勤め、当時の女性としては課長にまでなった程の仕事に励む毎日でした。
「映画の友」と「スクリーン」と毎月取っている程の映画好きで、海軍もの、西部劇は欠かさず見に行き、ミュージカルや恋愛ものにはわたくしも同伴。それが今の私のみなもとになっています。ハンフリー ボガードやジョン フォード監督が大好きで ジョン ウエインは勿論、ワード ボンドなどの鄙びた性格俳優にも注目し、ゲイリー クーパーも御贔屓でした。
「グレゴリー ペックは大根役者」と誰かと話していた毋のコメントが今も頭の中にしっかり保管されていて,勝手にわたくしもペックが嫌いになってしまったという、親の影響力の凄さも想い出されます。まだわたくしは小学生低学年でした。
毋は中年になってからは映画よりも、昔から好きだったピアノに再び精を出し,わたくしも一緒にレッスンに通い、ショパンを好んで弾いていました。あまりピアノ、ピアノと言うので,わたくしは高校生になって、ぷっつり止めてしまった程。毋は依然として鍵盤と向かってました。

読書も大好きで家中本だらけ,わたくしも小学生の時からそこら中の本を読みあさって,デイッケンズの「ほくめいくわん物語」などは戦争中の本のために、リチャードとかマーガレットと言った西洋の名前が、倫太郎などと日本の名前になっている本も夢中になって読んだものです。

西洋の映画に小説が主だった時期を過ぎ,母は司馬遼太郎に凝り、毋の祖父が斉藤七五郎と言う日露戦争で活躍した海軍中将だったこともあって、「坂の上の雲」が特別に大好きだったようです。
それから歌舞伎に凝ったり、時代劇が好きになって、最後の方では海音寺潮五郎などの小説を良く読んでました。都会的で瀟洒な文章を書く小説家やエッセイストが大好きでした。
こう書いていると、わたくしがいかに毋の影響を受けているか、ずしりと感じます。
ピアノこそ続けませんでしたが、本や映画、文章のこのみが同じではありませんか。
と言うわけで、この母にしてわたくしあり、のページを添えます。
天国で両親や大好きな従兄たち、エコと呼んでいたお友達と再会して、ピアノを弾いて、メゾソプラノの声で歌を歌っていることでしょう
80歳のお誕生日 バークレーで。

2013年 自宅で


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