CAROL BURNETT

CAROL  BURNETT

キャロル バーネット。1933年4月26日,テキサス州のサン アントニオ生まれですから,まもなく81歳。顔をご覧になると思い出す筈の喜劇女優です。クイーン オブ コメデイーのタイトルを持つ古き良き時代のボードビル タイプのお笑い芸人と言えましょうか。清川虹子とか、エノケンとか(古ーいですねー)とかの、どさ回りを重ねて来た人情と哀愁がこびりついているというか。庶民的で,貧乏人の味方をする,演歌のセンチが漂うのです。

両親がどうしようもないアル中で,祖母がキャロルを引き取って,孫のお笑い能力を見た祖母は彼女をロスアンジェルスに連れて,寄宿学校に入れたそう。1950年には,ポール ウインチェルの番組で腹話術の真似をしてうけ,エド サリバンやジャック パーと言ったヴァラエテイー番組に顔を出すようになり,1959年にはブロードウエイの「ワンス アポン ア マットレス」と言う喜劇に出て喝采を浴びました。次はジュリー アンドリューズ(「サウンド オブ ミュージック」(65))とコンビを組んで「ジュリー アンド キャロル アット カーネギー ホール」(62)と言う歌って踊っての舞台を成功させ,当時のぴかいち喜劇女優、ルシル ボール(ご存知「アイ ラブ ルーシー」のスター)に認められ,同年にゲスト出演を果たします。
そしてキャロルのスターメイキングの「キャロル バーネット ショウ」がスタート,67年から11年間も好評で続きました。ここでキャロルはグローリア スワンソン,ヴィヴィアン リー,ジョーン クロフォードと言った大女優のパロデイーと物真似をして大いに人気を博します。
キャロルはテレビ史上初の女優として自分の名前を冠した番組を持ったのでした。
オーイェーイェー!とターザンの雄叫びをするのが彼女のトレードマークでもありました。

映画にも出て「フレンドリー ファイアー」(79)ではベトナム反戦活動家の役を演じたりと喜劇を脱して、真面目で,深刻な役に取り組んで,演技力を認識させたのです。

「ドラマを演じるのは,喜劇に比べるとずっと易しいのだから。喜劇は悲劇でもあって,その辺りのこつがとびきり難しい。喜劇の脚本を書くのは,最も困難にして,究極のアイデアが必要なのです」
とベテランの俳優なら誰でも同意する,喜劇イコール苦労のパターンを述懐していました。
「アニー」(82)ではみなしご,アニーをしごくミス ハニガンの役を熱演、と言うか怪演,アニーの父親代わりのダデイー ワーバックス(この名前は,戦争とドルが合わさった戦争成金の意味が込めてあるのです)の役はアルバート フィニーで、主題歌の「トウモロー」と共に,記憶に残るミュージカルでした。

70歳を超えても、もろもろのテレビ番組のゲスト出演をし,左の耳のイヤリングを必ず見せます。彼女を育てて,芸能界に出してくれた祖母への感謝のシルシなのですと。

1962 ジュリー アンドリューズと
1980 エリザベス テイラーと
今の喜劇女優はもっとドライで,シニカルですが,キャロルの時代の喜劇を見ると何となくほっとしますから、古き良き時代の芸能は精神安定剤の効果もあると信じましょう。
1987年頃






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