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Showing posts from April, 2013
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ROSAMUND  PIKE 父親はオペラ歌手,母親はクラッシク ヴァイオリニスト,生まれたのは1979年1月29日ロンドンのハマースミス,一人っ子と言う恵まれた環境でヨーロッパを転々として成長したロザムンド パイクは,ドイツ語とフランス語がぺらぺらですと。おまけにチェロはプロ並なのですって。 2010 「BARNEY'S  VERSION」 最近ではトム クルーズ主演のアクシヨン作に出演、知的で敏捷な検事と言う役どころでトムの相手役を演じた「アウトロー」(「ジャック リーチャー」)(13),少し前では「ファクトリー ウーマン』(「メード イン ダゲンハム」)(10)や「17歳の肖像」(09)でのリッチでシックなドミニック クーパーの恋人 役,「バーニーズ バージヨン ローマと共に』(「バーニーズ ヴァージヨン」)(10)ではポール ジアマッテイの相手役とハリウッドと英国で,美しくて,頭が良くて,プロポーシヨンが良く、しかもどこかに謙虚さが漂って,不必要に自己主張をしないタイプの役がおはこになりつつある女優です。 前回のブレーク リトソンと同様,ロザムンドもしっかり教育を受け,ブリストルのバドミントン スクールに奨学金で入学,ここで「ロミオとジュリエット」等の古典劇を手がけ,オックスフォード大に入り,英文学を専攻して,マグナ カム ロードと言う優等生のレベルで卒業。 「両親が舞台で活躍するのを子供のときから観ていて,私もそうなると自然に思っていました.ダニエル デイ ルイスの「父に祈りを」(93)を観て衝撃を受け,こう言うインパクトを与える俳優になりたいと思ったのです」 初めての映画出演が「007ダイ アナザー デイ」(02)のボンドガール役と言うのもこそばゆいですが,ここでミランダ フロストと言う女性を演じました。 2011年の「ジョニー イングリッシュ 気休めの報酬」と言う007ボンドのスプーフ(ボンドをからかった喜劇)で英国喜劇役者のローアン アトキンソンの女親分を演じているのもおかしな配役でした。 撮影技師との間に2012年5月生まれのソロと言う名前の男の子がいます。 「ザ ワールズ エンド」と言う今年公開の映画のほか,出演作が目白押しなのは,彼女の才能と育ちの良さに由来するエレガントな女らしさと格調がスクリ
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BLAKE    RITSON 英国以外ではまだまだ無名ですが,頭の良いエリート悪人,デカダントな貴族,毛並みは良くても,目下のところは駄目男のアーテイスト,と言った役を演じると,もう溢れるばかりに豊かに,ヴィヴィッドにこなしてくれるのが,ブレーク リツソンです。 新テレビドラマ「ダ ヴィンチズ デーモンズ」(13−)(余り知られてないダヴィンチの若い時のお話)ではヴァテイカン法王の息子役を横暴にして,エレガントに,怪しくも妖しく,凶暴にして,毅然と,演じていますし,英国人気テレビドラマ「アップステアーズ ダウンステアーズ」(10−12)では主人公の親友のケント公をいたずっらぽく,格調高く演じています。 1978年6月14日英国はバークシャーのレデイングに骨董商の両親の元に生まれ,成績優秀で西ロンドンの名門,セントポール校にアカデイミック奨学金で入学,お次ぎはケンブリッジ大で英語と中世期のイタリー文化と国語を専攻,ダンテについては大変な専門家とか,在学中に演劇に凝り,「ホワイト カメレオン」,「マクベス」のフリアンス,「アーケデイア」のオウガスタス等の古典劇を手がけて,2000年に大学をしっかり卒業。 兄貴のデイランもケンブリッジ大を出て,一緒に脚本を書いたり,監督を手がけて,リツソン ブラザースは英国映画と舞台の次のホープと囁かれています。 2013 フィレンツエでの夕食会で。 2013「ダヴィンチ」のポスター 「ワールド ウイザウト エンド」(英国テレビのミニシリーズ,2012年)では英国王エドワード3世を演じて,人気を得ました。同じ年に「私が愛した大統領」(「ハイド パーク オン ハドソン」,今年の秋日本公開)と言うハリウッド映画では,ビル マーリーが車椅子のルーズヴェルト大統領の主役,ブレークはちょい役で顔を出しています。 イタリーのフィレンツエで「ダヴィンチ..」の会見が行われ,プレミアの夜、舞台に上がった出演者の挨拶でブレークひとり流暢なイタリー語で何やら結構長いスピーチをしてました。後で聞くとイタリー語の他に5カ国語もしゃべれるのですって。 「実はほんの少し前に日本から帰って来たばかりで,京都とか奈良の文化にすっかり参ってしまった.瀬戸物に魅かれて約10キロぐらいも買ってしまい,持って帰るのに苦労したけれど,一
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LILY  TOMLIN リリー トムリンはもう42年間,脚本家の女性とレズビアンの関係を保っているのです。 「父と母のことを考えて,最初のうちは,わざわざ公言したりしなかったけれど,いつも私のパートナーのジェーンと一緒に住んで,何の脚本を共同で書いたの,制作しただのと言ってたのよ.でも一昔前の記者たちは,そう言う事に慎みを持っていて、書く事を控えていたのね」 1939年9月1日にミシガン州のデトロイトにギャンブルが好きなブルーカラーの父親と同じように無教育ながら,とびきり頭の良い母親の間に生まれたリリーは,3、4歳ぐらいからコミカルな仕草をしては,人が笑うのが楽しくて仕方がなかったそう。 「少し大きくなってからは,競馬狂の父親について馬券売り場に行き,父親が指図する馬は絶対に当たらないと分かっている私は馬券を買わず,結局その馬ははずれで,使わずに隠し持った現金を母にあげたりしていましたね.もし父が注文した馬が勝ったりしたらどうしようと思いましたが,全くそう言う事がなかったように覚えています」 リリーの事を最新号(5月上旬)のキネマ旬報に書きましたので,細かい事は本屋さんでどうぞ。 2013   [ADMISSION] 最近彼女の「オール オブ ミー・突然下半身が女に!」又何と言う邦題ですか!(84)でステイーヴ マーテインと共演した映画を見たのですが,二人の呼吸がぴったりあって.マーテインの下半身が勝手に動くさまが,なんともおかしい、いかにも80年代の喜劇でした。 2004「ハッカビーズ」 ともかく最近リリーに会ったのは「アドミッシヨン」(13)と言うプリンストン大学の入学資格を決定する部署に働くオールドミス(テイナ フェイ)の母親役を演じた時。 74歳とは見えない,(しかし皺伸ばしをしたような)ルックスに,スリムな体,人なつっこい,嗄れ声で,けっけと自己虐待のジョークを軽くこなす,知的で,苦労人の配慮に溢れた極上の喜劇女優の姿を見せていました。
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JAMIE     FOXX 「ジャンゴ」(12)では,鞭で打たれ,逆さに繋がれて虐待を受ける奴隷役,そして今年の「ホワイト ハウス ダウン」ではなんとアメリカの大統領役! 俳優をやっている楽しさを激しく見せてくれるジエイミー フォックスはすぐに人の物まねをし,即興で歌を歌い,そこにピアノがあれば,じゃんじゃん弾きだし,スペースがあれば軽快に踊りだすと言う,パーフォーマンスが楽しくてならないと言う生まれながらの芸人です。              ダウン」のセットを訪れたとき 1967年12月13日, テキサス州のテレルと言う町に生まれたジェイミーは生後7ヶ月の時に祖父母の養子となり,厳格に育てられたそう.3歳から祖母にピアノを教えられ、教会の聖歌隊に入り、ボーイスカウトに入隊し,高校ではアメフットのクオーターバックを努めたと言う健気な青春を送っています。 2013「ホワイト ハウス ダウン」 「僕が育った町には汽車の線路があって,これを境に白人と黒人が別れて住んでいてね,たまさか白人がこれを超えて僕らの境界に入って来る時は,警官か,保険屋か,と言うもの凄く差別された環境だった」 その後も黒人としての差別を受けた事が,後に歌手のレイ チャールズを演じてオスカー賞を受賞した土壌になっているとか。もちろんずっと後の「ジャンゴ」でもタランテイーノ監督が,差別語のN ワードを連発する事や白人の凄惨な仕打ち等をすすんで支えたと言う揺るぎない誇りと自信を持っています。 スタンドアップ コメデイアンとして売り出す時に,女性の方が優先して採用されると気がつき,エリック マーロン ビショップと言う本名を性が分からないジェイミーと言うファーストネームと狐のようにすばしこいフォックスにXを2個付けて、ちょっとばかりXXのサイズをヴィジュアル効果として,芸名にしたのだそう。 盲目のレイ チャールズを演じたとき,まぶたにプラステイックの破片を付けて,目が見えない状態にしたそうで 「次第に目が見えなくなっても嗅覚や聴覚が鋭くなって来てね.人間の体の力は凄いなと痛感したのだよ」 と当時話してました。 有名になっても,気取ったりせず,会見でもふざけたり,自分が黒人と言う事を逆手に使ってのブラック ジョークを連発したり,とびきり楽しい性格を見せてます。 「ほ
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AIDAN    QUINN アイルランド生まれだと思ってしまう程,アイリッシュの役をし、巧みにアクセントをこなし、何と言っても,アイルランドの紺碧の海の色の瞳を持っているエイダン クイン。 最も両親はアイルランド人,英文学の教授だった父親の職場の為にエイダンはアメリカで生まれ,親の希望もあって,アイルランドで教育を受けてますから,あれほどの詩情を湛えているのでしょう。 1959年3月8日,アイルランドの聖人のお祭り、聖パトリック祭を町の川の緑色に染めて盛大に祝うシカゴで生まれています。 ブラジル人の監督,ヘクター バベンコの「アット プレイ イン  ザ フィールド オブ ザ ロード」(91)と言う映画で,頭でっかちな宣教師を演じた時に始めて会見。 「アマゾンのジャングルでの撮影は赤道直下,怪獣がうごめく川で余りの熱さと現地人が平気で飛び込むので,僕もたまらなくなって飛び込んでしまった.一応ホテルに泊まる予定だったが,川を下っての時間がかかりすぎ,テントで夜を過ごす事も度々だった.夜になると得体のしれない叫び声が聞こえて来て,都会人としては,またとない経験になった」 共演はトム ベレンジャーとキャシー ベイツ (この映画で半裸になっての狂演を見せてます)。 「エコロジーと言う言葉を身にしみて感じた最初だった.ヘクターの逞しいリーダーシップがなければとても仕上がらなかっただろう.文明と言う名のモンスターを強烈に見せている内容だから,僕自身も何度も考え込んでしまった」 次は「レジェンド オブ フォールズ」(94)でアンソニー ホプキンズが父親,ブラッド ピットが弟になった米国の市民戦争時の家族の葛藤を描いたドラマの会見の時。 金髪に透き通るような碧眼のエイダンは,当時,美男子と言うレッテルを付けられて,大反抗しては,ひげぼーぼー,髪はいつ洗ったのか,おまけに鼻毛迄,覗かせて現れたプラッドを遥かに凌ぐハンサムぶりでした。 「家族のダイナミックスって不思議だよね.親としては息子たちを平等に愛したいのに,どこかでえこひいきが生まれてしまう.自分に似た子供だったり,どうしようもない駄目な奴だったり.僕の役は,父親の愛情に飢えて,ブラッドに嫉妬を感じると言う複雑な感情を持っている.僕自身の家族だって,時折そう言う現象が起こるよね.最もホ
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JENNIFER    GARNER J.ガーナーと言えば,わたくすにとっては、ジェイムス ガーナーです。 彼にも2回会ってますから、いつか書きましょう。今回はもっと若くて,あまり面白くない(と書くとファンから攻撃されるかもしれませんが,このブログを読む方は,そう言うスター批判に寛容な筈と敢えて告白します) ジェニファーの方を紹介。 ま,ベン アフレック夫人として、もてはやされていますが。 1972年テキサス州ヒューストンに生まれ、ウエスト ヴァージニア州 チャールストンで育ったジェニファーは,父親が化学技師,母親は英語の教師,日曜日には必ず教会,16歳迄耳をピアースしたりビキニを着るのを禁じられていた超保守的な家庭で,「アーミッシュの一歩前だったわ!」と話してました。 将来は医者か,図書館の図書になりたかったジェニファーですが,デニソン大学で,父の専門の化学を専攻したものの,演劇に興味が湧き,小さい時にバレーをしていたこともあって.演劇部に移行。 卒業して,舞台を手がけているうちに,テレビの仕事が入り始め,「エイリアス 2重スパイの女」(2001−2006)と言うアクシヨン ドラマの主役を得て,ぐんと人気が出ます.共演したスコット フォリーと言う俳優と2000年から04年迄結婚,この頃「パール ハーバー」(01)に出演し,主役はベン アフレックとジョッシュ ハートネットでしたが,この時,ベンは同じジェニファーでも,ラテンの情熱で迫る ロペスと熱愛中でした。 「デアデビル」(03)で再びベンと共演、 「テレビで鍛えたから,アクシヨンには自信があるの.スタントなんか要りませんよ.全部自分でするのですから」 等と息巻いていたのは,ベンに対する愛情の一種の挑戦だったかも.敢えてタフな女性として,ただの可愛いお姫様用では無いのですよと。 2005年にベンと再婚。 二人の間には,ヴァイオレット(娘),サミュエル(息子)とセラフィーナ(娘)の3人の子供が次々に生まれてます。 やはり保守的な育ちの影響か、無難な答えしか返して来ませんが,あるとき シェイクスピアの劇に出る事になり、 「私だって舞台を経験しているのですから.古典劇の台詞を暗記したこともあるのです!」 と不必要な迄に,自分を弁護していたのが,彼女の女優としての少なからぬ不安を垣
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GIOVANNI    RIBISI 98年のスピルバーグ作品「プライべート ライアン」はびっくりする程大勢のいける若手俳優を生み出してます。現在は中堅俳優ですが。 まずマット デーモン,エド バーンズ,トム サイズモア,バリー ペッパーとヴィン デイーゼル(ちょっと前に紹介した二人です)、ポール ジアマテイに今回紹介するジョヴァンニ リビシ と御大トム ハンクス。 オペラに出て来る名前のようなジョヴァンニは1974年12月17日にロスアンジェルスに,アルバート アンソニー リビシと言うミュージシヤンの父と俳優とライターのマネージメントをしている母と言う芸能界に近い家庭に生まれました。苗字から察せられるように,イタリーはシシリーが先祖の出身地、 4歳の頃から芸が上手で,ビバリーヒルズの劇団に入り,テレビに出るように。 ハリウッドのスター,トム クルーズやジョン トラヴォルタなど多く信者が名を連ねるサイエントロジー今日の敬虔な信者で,祝祭日には積極的に参加するそうで,家族も信者だそう。 「ハイウェイ ツー ヘヴン」(85)、「X ファイル」(95),などのテレビで,ちょっと変わったルックスを印象づけてから,例の「プライヴェート ライアン」の衛生兵役で目を付けられ,「モッド スクアッド」(99),「ボイラー ルーム「(00),「60セカンズ」(00),「ロスト イン トランスレーシヨン」(03)では東京で仕事に多忙で妻(スカーレット ヨハンセン)を放っとく夫(現実にはちと信じられないカップルでしたが)を演じてました。 「演技は美術, 僕らはアーテイストとしてピカソになるべく励むのだ。作品の成功は主役がハンサムだとか,絶世の美女だからなどが勝因ではない。脚本と登場する俳優たち全員のチーム ワークだと信じている」 と殊勝と言うか,脇役専門ならではの思慮深い意見を言ってます。 97年には娘が生まれ,オペラの「ドニゼテイー」からルチアと名前をつけてますが,この結婚は終わり,2012年に英国人のモデル,アグネス デイーンと再婚したとか。 2009「パブリック エネミー」 ジョニー デップと共演した「パブリック エネミー」 (09)の縁で再び「ラム ダイアリー」(11)にも出ていますし,「アヴァター」(09),「テッド」(12),「コ
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JUDY    DAVIS 内気そうでいて、内面に強靭な意志を持つ女性を演じたらぴかいちのジュデイ デイヴィスは私めの大好きな女優の一人です。 「わが青春の輝き」(「マイ ブリリアント キャリアー」)(79)はジュデイが最初から最後迄,ピカピカ光ってます。金持ちの子息と結婚する筈で,彼を愛しているにもかかわらず,無学な家庭の家庭教師になって,独立精神を貫くと言うストリーは,若い女性必見の心が弾み,勇気が湧いて来る映画です。 1991ごろ おまけにこの子息を若くて,細身のサム ニールが健気に演じているのですから。原作はマイルス フランケン,監督はジリアン アームストロング,共演のヘレン 伯母さんをウェンデイー ヒューズとオーストラリアの才能が一挙に集まった美しい画面の作品。24歳のジュデイーは,若々しく,知性にあふれ,華奢な体に,巨大な信念を持つシビラを彼女になりきって演じて,色々な賞の候補になりました。 1955年4月23日,オーストラリアはパースに,1831年に英国からパースに移住した家族の子孫を両親に持ち,強いカトリック信者の両親はジュデイーを修道院に送ります。押し付けられるのが大嫌いな彼女はすぐに退学して,ロックバンドに入り,アジアを巡業したとか。 女優を志したジュデイーはシドニーの演劇アカデミーに入学して、メル ギブソンと同級生になり,二人で「ロミオとジュリエット」を演じたそうで,このビデオが残っていたら是非見たいものです。 ギブソンを始め回りの映画人仲間と組んでこの後,オーストラリアに「新しい波」を巻き起こしたのも彼女の新しいものへの挑戦のスピリットの現れでしょう。 「インドへの道」(「ア パッセイジ ツー インデイア」)(84)の主役を可憐に演じて,最初のオスカー主演女優賞にノミネートされました。この映画は巨匠,デヴィッド リーンの遺作となってしまいました。 「優秀な監督は得てして,殺人者のような本能を持っている。彼らの目的を遂げる為に私たちは,刺だらけの荒野を裸足で行進するのよ」 とコメントしたりしてますが,果たしてリーンの事でしょうか? 「即興曲 愛欲の旋律」(「アンプロンプチュ」)ではヒュー グラントのショパンのパートナー(?)になる男装の麗人,ジョルジュ サンドの役をエレガントに,デカダントに,
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CHIWETEL     EJIOFOR 日本語表記は キワテル エジオフォア ですと。 アフリカの名前はエキゾテイックですが,覚えるのは大変です。 英国黒人俳優の中でも,際立って良い仕事をしている演技派。セクシーさではエドリス エルバ(「ルーサー」)でしょうが,キワテルには誠実さと感傷が漂って,画面に重みが加わると思います。 ナイジェリア人の両親,父親は医師,母親は薬剤師,と言う知的家族を持って,1977年7月10日にロンドンのフォレスト ゲイトで生まれたキワテルは13歳から俳優になる決意を持つのです。 演劇学校でも優秀で,テレビや舞台に出ていた1996年、 ステイーヴェン スピルバーグに見出されて「アミスタッド」(97)に出演したのが,キワテル20歳の時。 以来「ダーテイー プレテイー シングス」(02)ロンドンの移民たちの生活を明るく描いた映画で,キワテルは主役を上手に演じています,「ラブ アクチュアリー」(03)、「キンキー ブーツ」(05),話題作「チルドレン オブ メン」(06)とハリウッドと英国の映画に次々と出て,評判を呼ぶようになり、 舞台でも「オセロ」(08)でもちろん主役,イヤーゴをユワン マグレガーが演じて,ウェストエンドを騒がせました。この役で晴れてローレンス オリヴィエ賞を受け、 次は「ソルト」(10)でアンジェリーナ ジョリーと共演,今や黒人俳優,いや俳優として中堅の演技派となりました。 「役の背後に忍び込んで,役になりきれた時の興奮と成就感は,まさにドラッグ中毒のハイと同じかもしれない」 と言うキワテルは 「レイジング ブル」(80)と「ファーゴ」(96)を大好きな映画と言ってました。 2013年は「HALF OF A YELOW SUN 」「 12 YEARS OF SLAVE」と言う2本の話題作に出演,面白そうな映画になりそうで楽しみです。 2006「CHILDREN OF MEN」
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JESSICA    ALBA 日本人に大変人気があるキュートなジェシカ アルバ。 細めの体の割りに豊かな曲線美、大きな眼と可愛らしい顔立ち,センスが良くて レッドカーペットでも会見でも,自分に合った,エレガントで,華やかな雰囲気のドレスを上手に着こなしてます。 プロのスタイリストがいれば,誰でもスーパー スタイリッシュになると思ったら大間違いで,もともとださいセンスの人とか,全く興味がないタイプなどは、どこか,ぴりっとしないのです。名前を挙げたいのですが,ただのジャーナリストに何が分かる,つけあがるのではないぞよ!と脅迫状が来るかもしれないので止めときます。 ブレーク ライブリーやキャメロン デイアス、ナオミ ワッツなど,いつもエレガントで,見栄えのするスタイルを維持している人達は,トレーナー パンツとTシャツの普段着でもどこかにお洒落っ気を見せているでしょう。 さてジェシカですが,庶民的と言う形容詞がぴったりのどこにでもいるルックスとボデイーですがその自分の長所を充分に心得て,妙に張り切りすぎない,見ていて落ち着くデザインのドレスを着ています。背中全体のスペースをしめる巨大なリボン等がついた奇天烈なドレスなど見向きもしないようで,その選択眼は評価されて良い筈。 1981年4月28日カリフォルニア州のブルーカラータウン、ポモナにメキシコ人の父親とデンマークとフランスの血が混じった母親のもとに生まれたジェシカは,小さい時にひどく病弱で,肺病になったり,喘息もひどく入院,退院を繰り返し,その為に学校に行けなくて,お友達がいない寂しい少女だったとか。 敬虔なカトリック教の家庭に育った為に,女優になっても絶対に裸にはならないと言う条項を契約に入れて、 「役の為なら何でも」と言う生き方の逆を行って古風なのです。 セックス シンボルとして扱われる事もあるのに,この辺りの頑固さが彼女の清楚な魅力につながっているのでしょう。 「ダーク エンジェル」(00−02)と言うテレビ シリーズの主役を演じ,お茶の間のスターに。 共演した12歳年上のマイケル ウエザリーと婚約をしましたが、結婚迄には至りませんでした。 「処女だった私は年上の彼が全てだと思ってしまった。全世界にマイケルしかいないと。両親は祝福してなかったので,結果としては良かったと思う」
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CHAZZ    PALMINTERI マフィアのドラマには最適なダークで,ちょっとおっかなく,ちょっと面白そうなルックスを持つチャズ パルミンテリを覚えてますか? 「ブロンクス テール」(93)を新人ながら、 脚本から制作,主役迄挑戦した作品で,ロバート デ ニーロがオリジナルの舞台に感心して友情出演,チャズの名前はハリウッドで,あのイタリー系の俳優はやれる,と囁かれたのです。 チャズは1952年5月15日にニユーヨークのブロンクスに,カロジェロ ロレンゾ パルミンテリとして生まれ、チャズと言う愛称がついたそう。祖父母はシシリーからの移民で,父親はバスの運転手,主婦の母親との生活は,貧しく,悪ガキと一緒に悪い事にひたすら励むと言う子供時代を送りました。 一時は「ラザマチャズ」と言うバンドを作ってロングヘヤーのチャズがリードシンガーだったとか。 バーの用心棒など189センチの体を活かしてのタフな仕事をしながら,俳優になるべくオフ ブロードウェイの舞台に出ていたのが1980年代。 1986年に「ブロンクス テール」を仕上げ,ワンマンショウとして劇場で上演,この時から7年後に映画化となりました。 25万ドルと当時にしては高値でスタジオが映画化の権利を買い取ろうとしましたが,チャズは自分が主演しなければ手放さないと拒否したのです。彼の頑固で揺るがない姿勢が,スクリーンからも感じられました。 翌年ウッデイー アレン監督に抜擢され「ブレッツ オーバー ブロードウェイ」(94)の主役に近い役を得て,堂々のオスカー賞にノミネートされたのでした。 この頃のチャズは天下を取ったような勢いで,大柄に丸い顔,頭が良く,チャーミングな彼は映画のテレビに忙しい売れっ子でしたが,本人は自分の立場を心得ている配慮の深い紳士でした。インタヴユーでもさりげなく,決して押し付けたりしないで,自分の意見を知的に話し,女性に対しては,培われたに違いない経験と自信のある態度を取って独特の性的魅力が感じられました。 重く低い声にあの体格ですから,それからの役はマフィアの幹部,殺し屋,不良弁護士などばかりで、ハリウッドのステレオタイプの枠にはめられてしまい,たまさかの脇役で良いところを見せるぐらいしかチャンスはありません。 結婚は安定しているようで,長男にダンテと言う名
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DANE    DEHAAN 期待の新人です。「ローハイド」でクリント イーストウッドを大物になると読み,「スターター フォア テン」でジエイムス マカヴォイやベネデイクト カンバーバッチが人気が出るとプロのスカウトも音を上げるわたくすの眼識が又目を付けたのがデーン デハーン。 変わった名前は父親がアムステルダム出身のオランダ人でデーンと言ってもデンマーク人ではないのです。1986年2月6日ペンシルヴァニア州のアレンタウン生まれ。父はコンピュータのプログラマー,母は家具商の重役と言う全く芸能界に関係のない家庭に育ち、何となく演劇に興味がわいてテレビのドキュメンタリーに出たりしているうちに,彼のユニークな雰囲気が認められ、 ブロードウェイの「アメリカン バッファロー」の代役を貰ったりしているうちにHBOテレビの「イン トリートメント」(08−10)のゲイのテイーン役を受けて,存在感と哀愁を見せ,一躍スポットライトを浴びるようになります。 次は「トルーブラッド」(08−)と言う人気テレビドラマの若き吸血鬼の役を演じてセックスアピールが話題になり、 「アミーゴ」(10)で映画デビュー,クリス クーパーと共演して良い味を見せ,禁酒法時代のギャング映画「ローレス」(12)ではトム ハーデイーとシーラ ラブフと共演,そして今年の話題作 「ザ プレース ビヨンド パインズ 宿命」と言う3代に渡る悪い種のストーリーではライアン ゴスリングの息子役を演じ,怒りと口惜しさで引きつった顔が実にリアルで,こちら迄寒々としてくる吸引力のある演技を見せてます。 「ギルバート グレープス」の頃のレオナルド デイカプリオにそっくりで,ほんのりと漂うニヒルな影が現代のトラブルを抱えた若者やくにぴったり。故ブラッド レンフローや目下ドラッグでリハビリ中と言うニック スタール(「イン ザ ベッドルーム」)らのエッジーで危険信号を発するタイプですから,祖母に近い年齢のわたくすとしては,ドラッグなどに溺れないようにと願うばかり。 なんともう結婚していて,「クロニクル」(12)で共演した女優のアナ ウッドと去年2012年6月30日に挙式したそう。 来年公開の「スパイダーマン」に出演,その後は「キル ユア ダーリングス」と言うダニエル ラドクリフがアレン ギンスバーグを演じる1940年
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OLIVIA     WILDE 見るからに逞しそうな豹のような眼,角張ったあご,脳細胞が詰まった証拠の広いおでこのオリヴィア ワイルドは1984年3月10日にニユーヨークで,オリヴィア ジェーン コックバーンとして生まれ,祖父は,クロード コックバーンと言う高名な作家、父親はジャーナリスト、母親は「60ミネツ」と言う有名なテレビ番組の制作者にしてドキュメンタリー映画の脚本家,伯父も作家,姉は弁護士と言うインテリの家に育ち,父親の故郷のアイルランドのダブリンに行って演技を学び,ここでアイルランドの英雄的作家にして詩人のオスカー ワイルドに傾倒し,芸名をオリヴィア ワイルドと決めたと言う恵まれた環境が彼女の揺るぎない自信のもとではないでしょうか。 人気高校生青春テレビドラマ「OC」(04)でバイセクシュアルのテイーンを熱演して,そのガッツに溢れた演技とパワフルなルックスが注目され,次はエキセントリックな医師が主人公の人気テレビシリーズ「ドクター ハウス」(07)のレギュラーとなります。 82年のリメーク「トロン レガシー」(10)でジェフ ブリジェスと共演して映画スターのポジシヨンを手に入れ,同時にイタリアの王子様と結婚している事が発覚してタブロイドのページを彩ったりもしました。 タオ ラスポリと言うプリンスはローマのラスポリ宮殿の持ち主の貴族で,03年に19歳のオリヴィアと廃棄車のスクールバスの中で,二人の証人だけを招いて秘密裏に結婚したのだそう。 タオ王子はその後、ロスアンジェルスで映画人を支持する協会など創立して,貴族的な福祉活動をしたとか。 プリンセスのタイトルに固執しないようなオリヴィアは,8年後に離婚、その後は色々な俳優とデイトしてはハリウッドの ‘イットガール’ (時のスター)としてもてはやされます。 11年の秋からジェイソン スダキスと言う俳優と交際が始まり,13年1月に婚約を発表。 新作「インクレデイブル バート ワンダーストーン」(13)の会見で,婚約指輪を恥ずかしそうに見せてくれる表情がいつものタフなスタンスと違って,恋する女性の微妙な心理を覗かせてました。 「インクレデイブル。。」はラスヴェガスの魔術師たちのお話で,ステイーヴ カレルがブロンドの長髪にきんきらの衣装で古くさいマジックショウをステイーヴ ブセミと
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BEN   FOSTER 強烈な圧迫感を漂わせる若手俳優のベン フォスターは1980年10月29日にボストンで,ベトナム反戦を叫んでいたヒッピーの両親の長男として生まれました。両親は,ロシヤ系ユダヤ人でレストランを営業,小さい時から演劇に興味があったベンは,12歳でなんと舞台劇の台本を書き,監督,主演して国際トーナメントで2位になったとか。 14歳で既に舞台のベテランとなり,高校を中退したベンは16歳でロスアンジェルスに。 何しろ面構えは太々しいし,異色のスタンスと才能にたぎったベンですから,すぐにテレビ ドラマの役を得て,常にユニークな若手を探している監督たちの眼を引きます。 「リバテイー ハイツ」(99)はエイドリアン ブロデイー主演の上質の青春ドラマで,ここでタブーの黒人の女の子に恋をするユダヤ系の反抗ガキを熱演して,ベンの株がぐんと上がりました。 「アルファ ドッグ」(06)ではドラッグでハイになった状態をリアルに見せるため瞳孔を開かせる目薬を使って,失明の危機もものかわの激演ぶりを見せて,監督のニック カサベテスを感激させたり、 「Xメン ザ ラスト スタンド」(06)のかなり不気味な天使役,そしてベンのクレイジーぶりをフルに見せた 「3時10分 決断のとき」(「3:10 TO YUMA」)(07)です。 ラッセル クロウ,クリステイアン ベールと言うクレイジーぶりではベテランのスターに全く引けを取らないパワフルな演技で,脅迫感と狂気と憎悪に燃える西部劇の新型悪漢を見せてくれました。 次の「メッセンジャー」(09)では戦死の手紙を遺族に届ける軍人の役をこれ又狂気演技にかけてはハリウッド1のウッデイー ハーレルソンと狂気を抑え,怒りと不満を沸々とさせて競演。 「ランパート」(11)ではロスアンジェルス警察の悪徳警官を怪演のハーレルソンと再びコンビを組み,不思議な車椅子の男と言うあまり大きくないものの,重要な役を演じています。 「コントラバンド」(12)と言うマーク ワールバーグ主演のアクシヨン スリラーでは又もやのすぐに爆発する利口でない安手のワルを演じて,どうもベンの役は今少し,ステレオタイプになりかけてます。 当人はけろりと「役作りの面白さと創作が僕の生き甲斐。ミルクトースト(日常がなんの変哲も無い人間のタイプ)
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FAMKE   JANSSEN ファムケ ヤンセンはオランダ生まれの元ボンドガール,今はアクシヨンドラマで主役の妻やガールフレンド役が殆どです。何しろのっぽで184センチ(なんと靴のサイズは11で,いつも特製なのですと!)もありますから,「テイクン」(08)や「テイクン2」(12)のリアム ニーセンとか「Xーメン」シリーズ(00、03,06)のウルヴァリンを熱演するヒュー ジャックマンのような身長がある俳優でないとコメデイーになってしまいます。 1964年11月5日オランダのアムステルダム生まれですから今年49歳、オランダ語でファムケは「リトル ガール」と言う意味だそうで,ちいちゃんがバスケの選手になったようなものですね。 「二人の姉妹は両方ともブロンドで青い眼なのに私だけブルネットで,小さい時は捨て子かと疑ったりしたのよ!」 とアジア人にはまず無い悩みを白状しているのが何となく微笑ましいではないですか。 大学で経済を専攻したものの,どうも進路を間違えたと84年にニユーヨークに行き,すぐにシャネルのモデルの仕事を得ます。同時にコロンビア大にも通うお勉強好きでもあってオランダ語はもちろん,ドイツ語,フランス語,そして英語がぺらぺらです。 「007ゴールデン アイ」(95)でピアース ブロスナンのボンドの相手役,ゼニア オナトップと言ういかにもボンドガールらしい性的な意味がこもった名前の役を演じ,注目され,低い声とのっぽの迫力でハリウッドの特殊女優になります。 まずメル ギブソンやトム クルーズと言った主演スターたちはリンゴ箱に乗っても釣り合いが取れないファムケとは共演しませんから。 「ボンドガールのレッテルをはぎ取るのにもの凄く苦労したわね。演技など全く出来ないお馬鹿な美人と言う先入観があるから。でも私は慎重に役を選んで,今の私は脇を固めるベテラン女優と言う立場になって,とても満足」 1995 「007 ゴールデン アイ」 それにしても95年のボンドガールのときの写真と去年の12月「テイクン2」での写真と比べると西洋の大型美女の何と言うか男性化,と言うのか,中性化と言うのか,ストレートに言うと男性が女性の格好をしたみたいで,ちょっとたじろいでしまったのです。 2012 「テイクン 2」
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RICHARD   ATTENBOROUGH 童顔で,俳優としては主役より,せっかちな若者役が多かったため,昔の日本での、英語名を覚えやすくするテクニックとしてアッテンボローを「あわてん坊や」と呼んだそうな。 リチャード アッテンボローに初めて会ったのは,チャーリーチャップリンの自伝の映画化「チャーリー」(92)で制作、監督を手がけた時。主演はこの役でアカデミー賞にノミネートされたロバート ダウニー ジュニアでした。動き回らずにはいられないハイパーなチャプリンと同様に激しく動くタイプのロバートの演技はチャプリンがのり移った感じで かなり怖い程でした。 さて「あわてん坊や」は当時既に69歳,見るからにグッドライフを楽しんでいる赤ら顔で,そばで話したラ,かなり強いニンニクの匂いがしたのを今でも強烈に覚えています。ランチにイタリアンでも食べ,ワインを楽しんだのでしょう。 1923年8月29日,英国のケンブリッジに生まれたリチャードは大学総長の父親,弟デイヴィッドは高名なBBCのプロデューサーにして動物博士と言うエリートの家に育ち,俳優を志してRADA (ロイヤル アカデミー オブ ドラマテイック アーツ、シェイクスピア演劇の名門校)に奨学金で入学,と言うから非常に優秀だったのでしょう。 41年 ユージン オニールの「ああ荒野」で初舞台,同じ年にノエル カワードの 「IN WHICH YOU SERVE」の臆病な水兵役で映画デビュー。 戦争に突入し,リチャードは空軍の映画班に配属され,ジョン ホールでイング監督のドキュメンタリーに出演したりの戦争が終わり,46年復員、 「大脱走」(63)での冷静なリーダー役,「飛べ!フェニックス」(65),「砲艦 サンパブロ」(66)などで準主役を演じて,名前が知られるようになります。 「バタンの鬼軍曹」(64)では英国アカデミー主演男優賞を獲得,監督業には「素晴らしき戦争」(69)でデビューし,「ガンジー」(82)ではアカデミー賞を8部門で受賞と監督としての才能の方ががはるかに有名になったのです。 RADAの会長を始め英国映画,演劇界の重鎮となり、76年にはナイトの称号も得ています。 さて「チャーリー」の原題は「チャップリン」で,この時のリチャードは英国の生んだ最高の喜劇役者についての蘊蓄を並べ,
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DEMI    MOORE 「ゴースト」(90)でのウルトラ ショートカットの髪のデミ ムーアはそれはそれは新鮮でセクシーで可愛い存在でした。ハスキーな声に,日本人好みの小さくまとまったルックス,ストーリーもロマンチックでぬくもりが感じられる画面でした。当時のデミはもう28歳でしたが,まだ20歳ぐらいに見えるぴちぴちさが魅力でしたねー。 2006「ボビー」 それから23年。にんまりのブルース ウィリスと87年に結婚し,3女をもうけて,2000年に離婚,05年に12歳年下のアシュトン クッチャーと再婚し,現在離婚後の養育費用だの,裁判経費だのを若く稼いでいる彼に請求中だとか。若い恋人を持ってから,懸命の若作りがタブロイドの格好の的になってました。デミのキャリアはいつも一生懸命,一心不乱で不可能に挑戦モードで,これがかなりの人にとって,好い加減にして欲しいと敬遠する傾向につながったのでは。 デミは1960年11月11日にニユーメキシコのロズウェルに生まれ,父親はアル中,母親も若くして子供を持ったが為に,親仕事には向いて無く、高校迄に40回!!も引っ越しをする貧乏家庭に育った為に,後にハリウッドに来て,初めてナイフとフォークをちゃんと使って食事をしたとか。 やぶにらみの手術をしてから,ぐんと魅力的になったデミは18歳で最初の結婚をして家庭内暴力の不幸な家を出ます。 そう言う育ちが,デミの果てしない挑戦の原動力でしょうか。 臨月に近いお腹での全裸の写真が雑誌の表紙になった時はそのアイデアのショッキング度で注目され,再び全裸の体に男性の背広を着たように見えるペインテイングをした写真も表紙となって,デミのセンセイショナルなモデリングは女優としては,あまり評価されませんでしたがともかく,噂の中心にはなりました。 「ア フユー グッド メン」(92)で米海軍の弁護士を演じた時は白い制服もきりりと生意気な若手弁護士のトム クルーズと組んで,海千山千のベテラン海兵隊の士官,ジャック ニコルソンをやっつける法廷のシーンは爽快でした。法律用語を一生懸命に覚えて,いつも使っているように話すのに苦労したり,ニコルソンに位負けしない為に頑張ったりしたかいがあって,この映画のデミはとびきり鮮やかで,素敵です。 「スカーレット レター」(95)はナサニエル