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Showing posts from February, 2013
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GARY   SINISE 「フォレスト ガンプ」(94)でトム ハンクス扮するフォレストが戦争に行って,爆発から助け出した隊長のルーテナント ダンが両足を失い,死んだ方がましだったと叫ぶ彼を支えて、フォレストは健気に彼の再生を助けると言うエピソードを覚えていらっしゃる筈。ゲーリー シニーズはこの役を快演して,アカデミー賞助演賞の候補になりましたが,最近はテレビで大活躍。中年をすぎた女優がケーブルテレビで成人用ドラマで活き活きと活躍しているように,男優も,やはり映画用のアピールが失せて来ると同様にテレビで味のある男をにんまりと演じる機会が回ってきます。 1992  「二十日鼠と人間」 名前が発音しにくいですよね。シナイズ,とか,シニセ,など初めて会った「二十日鼠と人間」(92)の時に発音を聞いたら ‘シニーズ’ と答えてくれました。 イリノイ州のブルーアイランドに1955年3月17日に生まれたゲーリーの父親は高名な映画編集者だったとか。 大学を出たゲーリーはシカゴでステッペウルフと言う劇団を結成。サム シェパードの「トルー ウェスト」やスタインベックの「怒りの葡萄」などを上演します。ジョン マルコビッチも参加してブロードウェイまで進出。 大柄なジョンを使って,ゲーリーは「二十日鼠。。」の映画化を企画し,自ら監督と主演を果たしました。頭の回転が遅い巨人とすばしこく,シャープな小男の相棒コンビがカリフォルニアの農業地帯でもろもろの事件を引き起こす物語の原作もジョン スタインベック。 「フォレスト ガンプ」の身体障害軍人のルーテナント ダンが有名になり、ゲーリーは「LT. DAN」と言うバンドを結成して自分はベースギターを担当,その延長でゲーリーは世界中の基地を訪問して慰安するUSOのメンバーとして大活躍をします。その功労で大統領からプレジデンシャル メダルを受けたのが2008年,オバマの最初の歳ですね。 「白いカラス」(03)などの意欲作に顔を出してますが,現在は「CSI:NY」と言うテレビシリーズでニユーヨークの刑事役を生々しく演じてエミー賞を獲ったりとお茶の間の人気者になってます。
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MELANIE     LAURENT 「イングロリアス バスタード」(09)で,ナチの将校 (クリストフ ヴァルツ)に嫌みたらたらで,尋問されるフランス女性を熱演したメラニー ローランは1983年2月21日パリ生まれ。 父親は俳優,母親はバレエ教師,といかにも文化的家庭に育った美しさだけでなく,反抗心のようなものがふつふつをしています。 「グロリアスー」のインタヴユーで,フランスのレジスタンスを演じる事を聞いているうちに、 「私はユダヤ人なのよ!」と突然言い出して,記者連中はあれ?っと首を傾げたのです。 もちろんヨーロッパにユダヤ人はたくさんいますし,金融界や政治界だけでなく,芸能界でも威力を放っていますが,彼女のものの言い方が,やけに好戦的だったのでした。 タランテイーノの映画は,おふざけ三昧ですが,ユダヤ系アメリカ人の兵隊達がヒットラーの首を狙いに行く,と言うプロットの中で,彼女の役は,劇場を燃やし,ナチの総統も火あぶりにしてしまうと言うもので,彼女なりのナチに対する憎悪がこもってました。 08年には短編を書いて、監督してますから,綺麗なだけの女優じゃないのよ,と言う気迫がすてきでした。 2009 「イングロリアス バスターズ」 クリストファー プラマーがオスカー賞を獲った「人世はビギナーズ」(10)ではゲイ宣言をして勝ち誇った父親の自信のない息子(ユワン マグレガー)の恋人役を演じて,ここでも要を得ない男のおしりを押す逞しい女性を見せてます。
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GEORFFREY      RUSH 「シャイン」(96)のラフマニノフを憑かれたように弾く天才・自閉症 ピアニストの役でアカデミー賞を受賞したジェフリー ラッシュは職人風役者です。 1951年7月6日にオーストラリアのクイーンズランドに生まれ,ヨーロッパに渡ってロンドンとパリで演技を学んだジェフリーは,シドニーで売れない時代にメル ギブソンと安アパートを共有して,もてるメルを指をくわえて眺めていたとか。 ジーン ハックマンとダステイン ホフマンの安アパート共有話といい貧乏俳優達の友情話は,身につまされて、ほろりとしますね。 この2組のルームメイト俳優達は今でもしっかり結びついているそうな。 メルと違って、どう見てもマチネーアイドルのルックスではないジェフリーは,着実に性格・脇役俳優の道をたどり,「オスカーとルシンダ」(97)から「パイレーツ オブ カリビアン」(03)の船長役まで,オーストラリアの独立系映画にもハリウッドの娯楽大作にも出て,安定した境地に入るようです。 2005 「ミュンヘン」 一方,もててもてて困ったメルは余りのスーパースターになった為に、もともとの傍若無人さが酒酔い運転での暴言やどう見ても利用されている愛人に訴えられたり,など不必要に野次られてと、余り平和で無さそうな生き方をたどっています。 ジェフリーの映画でもっとも好きなのは,ジョン ルカレの原作の映画化「テイラー オブ パナマ」(01)。 007のスタイリッシュなピアース ブロスナンがここでは頽廃した英国のスパイの役、パナマの仕立て屋のジェフリーとのコントラストと知的勝負がスリリングにして面白く、あのハリーポッターのダニエル ラドクリフが息子の役であどけなく出て来ます。 「シャイン」で少年時代のピアニスト,デヴィッド ヘルフゴットを演じたノア テイラーと厳しい父親役のアーミン ミュラー シュタールの場面で,お風呂に入っているノアが余りがみがみ言われて,うんちをもらすのが妙に鮮やかに記憶に残っています。こう言うシーンを私めのパートナーは全く覚えていないのも無意識的な排除なのかな,と考えさせられました。 「英国王のスピーチ」(10)でのジェフリーは祖国オーストラリアからロンドンに来て,風変わりなスピーチ セラピーを英国王に授ける実在の人間を愛情豊かに演
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MONICA   BELLUCCI 友人の写真家 (スイス人)がイタリーのウンブリアのチッタ デイ カステイーロ(城の町)にある古塔に住んでいて,そこの村人達は,モニカ ベルーチ を恨んでいるとか。 「イタリアの宝石」と称される美人女優のモニカはこの村で生まれたと言わずにベルージャ生まれと言いふらしていると。ベルージャ大学に通って将来は司法の仕事をしたいと言っていたものの,美貌が認められてモデルに,そして女優にと言う路線をたどったそうですが,どこかにしがらみがあるのでしょうか。ベルージャとかタスカニーの方が高級感があるからかも。 1964年9月30日に生まれたモニカは「アパートメント」(96)で注目され,次の「ドーベルマン」(97)と2本ともフランス人俳優のヴァンサン カセルと共演,99年に二人は結婚します。 イタリー語、フランス語,スペイン語と英語を流暢に話す為,ハリウッド映画にも進出。 「ドラキュラ」(92)や「マトリックス」(03)などに出演して豊満な体とエキゾテイックなルックスで他の女優達とは異なるエネルギーを発散しています。 「マレーナ」(00)での戦争に行った夫を待つ逞しい女性の役は,先輩のソフィア ローレンを彷彿させる映画でした。 「イリヴァーシブル」(02)では全裸になって,凄惨なレイプシーンを演じ,共演は再び夫のヴァンサンだった事もあって,スキャンダラスな話題を呼び起こしましたが、 「裸は私の道具。女優なら表情から手や指,体中の部分を利用しなくちゃ。裸になると感情も裸になるし,とても自由な気分になるのよ」 「ブラザース グリム」(05) と全く動ぜず,ハダカ万歳派なのでした。 二人の娘が生まれた夫とはずっと一緒に暮らすとマンネリになるし,けんかばかりするとかで,彼女はローマに,ヴァンサンはパリに住むと言う別居暮らしをしていますが,二人とも激しい性格の持ち主ゆえ、それでも時どき,嵐が吹き荒れる様子です。
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JESSE    EISENBERG ジェシー アイゼンバーグに初めて会ったのは「イカとクジラ」(05)の時。17歳頃でしたが童顔なのとナード(おたくっぽいタイプ)なので坊やのようでした。当時は妹のハリー ケイト アイゼンバーグが子役として有名で,おしゃまで,とびきり生意気な彼女に「お兄ちゃんも映画に出なさい!」と押され気味で,頼り無さそうな兄貴だったのを覚えています。 父は大学教授,母親は道化師と言う愉快な遺伝を受けたユダヤ系の家に1983年10月5日,ニユーヨークで生まれ,地元の映画人制作大学,ニユーヨーク大でもちろん映画科に入り,脚本を書いたり,アングラ映画を監督したり。 2010  「ソーシャル ネットワーク」 「ソーシャル ネットワーク」(10)でハーバード大の大学生,マーク ズッカーバーグと言う彼にぴったりの役を得て,パジャマパンツとツッカケでキャンパスをほっつき,彼女にふられた動機から,友達同士がコンピューターのページで結びついて,そのサークルを広げて行く「フエースブック」のアイデアを思いつき,同級生達を使って資金を集め,瞬く間に人気を得て行くと言うおたく天才を演じ,しっかりオスカー主演賞にノミネートされたのです。 細身で,ソフトな顔にくしゃくしゃの髪のジェシーは、 「僕はフェースブック 嫌い!」 などとうそぶいていました。 美男でないだけに,かえって役も舞い込み,女性にも持てると言う近寄りやすいタイプで,照れながらも,自分の意見や主張を通すのがこれからの発展を期待させます。 2011  [ PIZZA BOY ] 天才の役を演じたすぐ後に「ピザボーイ」(11)と言うへっぴり腰のピザデリバリー係の喜劇に出て,10分以内に届かないとお代はもらいませんとか言うルールの為に,とんでもない事件に巻き込まれる、おばかボーイを演じるあたりが何とも可愛いではありませんか。
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STOCKARD   CHANNING 「グリース」(78)でブロンドで良い子ちゃんのオリヴィア ニュートン ジョンに対抗する女番長組のリーダー,黒髪にくわえ煙草のベテイ リゾー(名前からしてネズミのようで,いやはやの高校善悪明朗区別)を演じたストッカード チャニングを覚えていますか? 1999  「ウェストウィング」 既に当時33歳!で高校生をしっかり演じたストッカードはデビュー時には,ほんものもデビュタンテにして、エリザベス テイラーにそっくりの美貌とハーヴァード大を首席で卒業の頭脳!!と騒がれたのです。 1944年2月13日に船会社の社長を父に,英国人にしてハイソの母親,ニユーヨークのリッチな家で育ったストッカードは良家の子女としてエレガントな全寮制のお嬢様学校に通い,女性用のハーヴァード大,ラドクリフ大に入学し,優等生として卒業。20歳で結婚し,これまで4回結婚して,子供は無しと言う,テレビのソープドラマになりそうな、東部のエスタブリッシュメントの生活を送って来ました。 女優になろうと67年ボストンのシアター カンパニーに所属し,持ち前の自信と自己軽視のスタンスがコメデイアンヌとして活きて来ます。 例の「グリース」での30歳を過ぎての女子高生役が一種のパロデイーとして,ストッカードのレッテルになっても全く意に介さないしゃあしゃあとして性格が魅力のひとつでしょう。 「私に近い6人の他人」(93)はウィル スミスが高級なスーツを着て,僕はシドニー ポワテイエの甥で,と言って勝手にマンハッタンのシックなアパートを訪れ,ドナルド サザランドとストッカードのリッチカップルが振り回される洒落た喜劇映画でした。原題の 「SIX  DEGREE  OF SEPARATION」と言う言葉が流行って,特にケヴィン ベーコンに結びつく映画関係者が多くて,世界中の人がどこかでベーコンにつながっているがごとくに,話しの種に。 彼女の生い立ちやジェットセッターのセンスを利用して,「ストッカード チャンイング ショウ」(80)と言ったテレビの番組もありました。 当人はけたけた笑う気さくで,人生は楽しく過ごさなきゃ!と言う姿勢が伝わって来る陽気な人で,エリザベス テイラーに似た美貌は相変わらずで、小柄でちょっぴり太めなのもリズと似てました。 「ウェ
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PAUL   BETTANY ラッセル クロウの相手役を続けて好演して,ぐんと評価を上げたポール ベタニー。ラージャー ザン ライフ,大げさな大物を演じる事にかけては,今他に見えないクロウを引き立てながらも,しっかり演技を光らせての 「ビューテイフル マインド」(01)での幻の親友役, 2006  「ファイヤーウオール」  (ハリソン フォードの敵役) 「マスター アンド コマンダー」(04)では剛胆なクロウ船長を陰日向に支える船医の役。英国の海軍の愛国心と海への愛情,誇り高き大英帝国の制服などなど私めの大好きな映画のひとつです。ちと太めのクロウの横で,スレンダーなポールが良いコントラストを見せてました。 1971年5月27日英国はロンドン生まれ。両親も祖母も俳優と言う家に育ち,演劇学校からロイヤル シェイクスピア カンパニーの舞台,と王道を進みました。 映画デビューは「ベント」(97),すぐに主演作が舞い込みます,「ギャングスター・ナンバー1」(00)で,殆ど白子のようなブロンドに長身が,どこに居ても嫌でも目立つ武器となって、ハリウッドで重宝されます。 おまけに「ビユーテイフル。。」で共演したジェニファー コネリーと恋に落ち,03年に結婚。金髪と黒髪の美男美女カップルとして,絵になる存在になってます。 「子供には英国のアクセントと文化を教えて行きたい。ニユーヨークに住んでいるから,大西洋をひとっ飛びでロンドンに行ける」 とやはり祖国への愛情は強いようです。 「ダヴィンチ コード」(06)や「プリースト」(11)などでは,ブロンド髪を異常性に利用した悪漢なり,超現実の世界の神父など怪演して,このまま怪奇俳優になるのでは!と心配しましたが,「ヴィクトリア女王」(09)などでは時代劇の衣装がよく映える貴族といったエレガントな役も手がけて,オーソドックスな英国アクセントも格調を加えています。
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MADELEINE   STOWE 1990年の「リベンジ」。若く颯爽とした海軍パイロットのケヴィン コスナーがメキシコの大悪党、アンソニー クインのヴィラを訪れ,ここで若い妻のマデリン ストウに会い,言うまでもなく,若い二人は熱い情事を繰り広げ,後半は題名とおりの復讐劇となって、 マデリンはエイズをうつされ,修道院に引き取られ,探しに来たケヴィンの腕の中で息を引き取る,と言うアクシヨン悲恋ドラマでした。 監督はトニー スコット,少し前に「トップガン(86)」で海軍パイロットを鮮やかに描き,ケヴィンは「追いつめられて」(87)(ノーウェイアウト)で白い米国海軍の制服を来たロシアのスパイ役と伊達な海軍パイロットがもてはやされた頃でした。 この時マデリンが小川真由実そっくりなのにびっくり。長い黒髪に。うりざね顔,肌が臘のようにつやつやで,黙ってそこに居るだけで,周囲の男どもを魅了する魔女っぽい力を持っていました。 次の「「ラスト オブ モヒカン」(92)では将軍の娘と言う役で,インデイアンのシンパ(?)ホークアイと言う名の白人男,ダニエル デイ ルイスと恋に落ちます。この映画でマデリンは一躍 スターに。 それから主役の盲目のバイオリニストを演じた「ブリンク」(94),女性西部劇「バッドガールズ」(95)などに出ましたが、 喜劇俳優のブライアン ベンベン(面白い名前です)と結婚して,あまりスターの座を維持することにこだわらず,自分が手がけたい企画に情熱をかけるようになります。 父親はアメリカ人の技師,母親はコスタリカ人 (それ故のエキゾテイックなルックス),1958年8月18日にロスアンジェルスに生まれたマデリンは、小さい時からコンサートピアニストを目指し,ホロヴィッツなどを教えたと言う高名なロシア人の先生につき,このマスターが高齢で亡くなったときから,彼女はピアノが弾けなくなったそう。 南加大に入り,ここで演劇に打ち込むようになり,美貌もプラスになってテレビのちょい役などを試み、ずんずんとハリウッド街道を邁進。 2012 「リベンジ」(テレビシリーズ)極悪女の役です。 素顔の彼女は,情熱的で,目をギラギラとさせて,やりたいこと,特にハイチの難民問題などの福祉活動に身を投じる革命家のような使命感を持った女性です。スクリーンの上で
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SIMON  PEGG 見ているだけで,おかしいと言うアドバンテージを持っているサイモン ペッグはイギリス人独特の抑えた喜劇がとびきり上手です。 がはがはと転げ回って,大げさに騒ぐジム キャリーや頭の回転の遅さをお笑いにするアダム サンドラーたちのコメデイーは感情露出度過剰なアメリカ人にぴったりですが,どうももう少しひねこびた,島国根性の我々には 同じ古い島国の英国のお笑いの方が面白いと感じるのでは。 1970年2月14日のヴァレンタイン デーに英国のグロスターで生まれたサイモンの本名はサイモン ジョン ベッキンガムとなんだか宮殿のような,サッカースターのような 名前です。 16歳の時に「グッド サード レッグ」(好調の第3番目の脚)と言う意味深な名前のバンドを結成し,ハーモニカを吹いていたとか。 コックニー訛りで学校も行かずに喜劇の舞台に出た様にも見えますが,実はしっかりブリストル大学で舞台芸術などを学び,卒業してからスタンダップコメデイアンの道をたどる,と言うインテリなのでした。 2011 「宇宙人ポール」 「ショーン オブ ザ デッド」(04)と言うゾンビがロンドン中を徘徊していると言う喜劇にサイモンは脚本から参加。 小粒ながらぴりりとユーモアが利いたユニークな映画としてヒットしました。 フラットメート(ルームメートの英国版)のニック フロストと組んでテレビ時代から映画までずっと一緒にアイデアを練り,共演しているのも,微笑ましい友情を見せてます。 「英国人は感情を見せないことを誇りに思っている。だから激情に襲われそうになると決まってカーテンの向こう側に行ってしまう。それを効果的に使って喜劇にするのが英国風と言うのだよ」 と言う説明をしてくれた様に,床を転げ回るぎゃーぎゃー笑いはやはり英国でも違和感を感じるようです。 「スターウオーズ」の大ファンで,何事も “フォース” のせいにするそうな。 「ホット ファズ」(07)と言うドジな警官の喜劇も彼の小柄な体と懸命な表情で生真面目な警官のおかしさが何も言わずとも漂ってきます。 新「スタートレック」(09)シリーズでは,スコッテイー役を熱演,「宇宙人ポール」(11)ではアメリカの西部を観光する英国人のお上りさんをニックと共演,愛情と皮肉にあふれたアメリカ人観察記でも
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VERA   FARMIGA うりざね顔に,真っ白な肌のヴェラ ファーミガは両親共にウクライナ人,それも生粋のウクライナ愛国人で,同じ言葉を話し,同じ文化を共有する地域で暮らしていたため,ヴェラは6歳まで英語は話せず,ウクライナ語を使っていたそうな。 1973年8月6日,ニユージャージ−州のポサイックと言うところで生まれたヴェラの父親は教師,母親はコンピューター技師だったと言います。隣から何マイルもある農家に育ったと言うならともかく,知的職業の親が全く英語を教えないと言う閉鎖的な環境が不思議ですね。 ともかく内気だったヴェラは高校までウクライナ学校で郷土の踊りや歌を学んだとか。将来は眼科医になろうと思って、シラキューズ大学に進んだものの,演技によって自分を他人にすると積極的になったり,馬鹿なことを言ったり出来ると言う突破口を発見。 ブロードウェイの舞台からテレビ,98年が映画デビュー,「デイパーテッド」(06)ではレオナルド デイカプリオ,マット デイモンなどを診察する警察の精神科医の役を演じてます。 「縞模様のパジャマの少年」(08)ではユダヤ人の収容所の少年と仲良くなるドイツ人の少年の母親を好演。翌年の09年に「マイレージ マイライフ」で航空会社のマイルを稼ぐのに躍起になっているジョージ クルーニーと色々な空港で待ち合わせては,束の間の情事を楽しむセクシーなキャリア ウーマンの役をしっとりと妖しく演じてアカデミー賞助演賞にノミネート。 この頃の会見では臨月のお腹で現れ,当人は平然としてましたが,こちらの方が興奮させない様になどと気を使ってしまいました。泰然として,ミステリアスな微笑みを浮かべて どことなくモナリザを思い出させます。 「ハイヤー グラウンド」(11)では監督も兼ね,難しい宗教の信者たちのドラマを手がけて,好評でした。 2011 「ハイヤー グラウンド」 趣味はピアノとペットのアンゴラ ゴーツ(やぎ)に目がないそうで しとやかで優しく,日陰を好みそうで、おそらくとびきり強情なタイプではないかと察します。
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VINCENT   CASSEL アメリカ人もやっとヴァンサン カセルと呼びますが,知らない人はヴィンセントと呼ぶでしょうね。 シャルル ボアイエはチャールズ ボイエーでしたし。 1966年11月23日おフラーンスのパリに生まれたヴァンサンは俳優になるべくの運命をたどっています。 父上はジャン ピエール カセルで1932年生まれ,フランス映画のヴェテラン,「パリは燃えているか」(65)や「三銃士」(73)など数多くの映画に出ています。母上は敏腕ジャーナリスト。 ヴァンサンはサーカスとダンスの学校に行って修行を積んだ様に,その風貌からも想像出来ますでしょうが,前衛的で,挑戦的なアングラ風なスターです。 監督,俳優のマチュー カソヴィッツと親しくなり,彼の長編「METISSE」(93)に父親も一緒に出演。 「憎しみ」(95)では屈折した,しかし好戦的な若者を熱演して注目を浴び,セザール賞にノミネートされます。 顔が逆3角形で,どこかに歪みと言うのか,奇才の風貌の為に,ハリウッド映画では,凶悪なロシア人,異国から来た危険なプレイボーイと言った役が多く,マシュマロのようなアメリカ人スターと並ぶと断然,存在感が違います。 1999年にイタリーの女優,モニカ ベルーチと結婚,二人の子供がいますが,彼女も壮絶なグラマー美人でありながら,体当たり演技で勝負の女優ですから,しょっちゅう別れたの,戻ったのと言う噂は絶えません。 2010「ブラック スワン」おふざけが又何となく怖いのです。 「イースタン プロミス」(07)のロシア人マフィアの役など,ちらと浮かべる、ほくそ笑みさえ機関銃より恐ろしい武器でした。 2010「ブラック スワン」 「ジャック メスリーヌ」(08)は実在のフランス人ギャングを描いた問題作で、フランス人が発音すると“ジャック マリーン”と聞こえますが,ともかくパブリック エネミー ナンバーワンと言うレッテルを貼られた凶暴な男で,アメリカにまで渡って悪事を働くのです。 2部作と言う長い映画ですが,彼のパワフルな悪ぶりはショーン ペン以上で,悪者の波乱に富んだ生き方が我々凡人のファンタジーをこれでもか,これでもかと刺激してくれます。最初の映画は「キラー インステインクト」と副題が着いてます。映画からの写真
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DIANE   KEATON 「アニー ホール」(77)で世界中を魅了したダイアン キートンは今年の1月5日に67歳。 その36年後もダイアンは相変わらず,アニー ホールの延長を歩いているようです。 2012 「知名人になってしまって、プライヴァシーがどんどん無くなってしまう。だからどうしても高い塀を造って,自分を守らないと。若い時は虚栄心が人並み以上にあったから,期待に応える姿勢を繕っていたけれど,もう怖いもの無し,勇敢に,自分の好きなことをして,好きな事を言うことにしたのよ。答えたくない時は答えない。勝手に書いて下さいとね」 と開き直った態度が,それで又,尊敬されているようです。 1972 初めての「ゴッドファーザー」の時 彼女の本名は ダイアン ホール,生まれたのは東部ではなくカリフォルニアのロスアンジェルス、父親は不動産業と土木技師,母親は舞台が大好きなアマチュア カメラマンと言う裕福な家庭に育ち、演技に目覚めて演劇学校へ。 1970年に知り合ったウッデイー アレンとは合計8本の映画を創っています。彼女のニックネームがアニーで本名がホールと言うことから,例の映画がその時のちょっぴりエキセントリックな,男用の服が大好きな彼女自身だと伺えます。 「ゴッドファーザー」3部作(72,74,90)に出てからアル パチーノと親しくなり,当時の雑誌を賑わせましたが,今だに無傷の独身,娘と息子を養子にして,母親業を楽しみ,大好きなスペイン建築のぼろ家を買っては,好きな様に修理して,立派な家に戻してから売ると言う趣味兼ビジネスは父親の影響も入っているでしょう。 「ミスター グッド バーを探して」(77)や「インテリアーズ」(78)などで光っていましたが,最近はロマンテイック コメデイーがほとんど。 「ダーリング コンパニオン」(12)ではケヴィン クライン(名医の役)の妻で夫婦仲がちと気まずいとき,迷い犬を拾い,山荘に来て,この犬が居なくなって大騒ぎ!と言う何とも裕福な人々の大問題のおばかドラマでした。エレガントな服を着て,趣味の良い家に住み,社会問題を夕食のテーブルで交わす階級の人々の小さなトラブルを見て庶民が楽しむのでしょうが,いやはや何ともの映画で,立派な俳優たちがこぞって出ているのが又,ハリウッドの脚本状況の貧しさを垣間
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THOMAS   HADEN   CHURCH 「サイドウェイ」(04)でワイン通の友人にくっ付いてカリフォルニア州の北にあるナパヴァレーのワインテイステイングをして,通たちが飲まずにワインを舌で味わって,ペっと吐き出して,次のワインを味わっている傍らで,がぶがぶワインを飲んだりして,全く周囲を気にしない野蛮なプレイボーイ(自分ではそう思っている)を好演してアカデミー賞のノミネートされたトーマス ヘイドン チャーチは本人も カウボーイのような朴訥なタイプです。 1960年6月17日 テキサス州エルパソ生まれですから,今年53歳。顔が昔の映画に出て来る脇役・友達役のような古っぽいグッドルックスで、何となく現代のドラマに出て来ると其れだけでコミカルに見えてしまうところが,彼のアドバンテージでもあり,短所でもあります。 金髪の髪もウェイビーで波うったりして,時代を間違えたよう。 2004  「サイドウェイ」 そして彼自身,ハリウッドでそれなりの成功を遂げたものの,例えばテレビシリーズの「ウイングス」(90−95)のレギュラー役など、人々のからからと乾燥した姿勢や願った役は不可能に近く,妥協している自分に嫌気がさして,テキサスに帰って,本格的な牧場を経営,本物のカウボーイになって毎日牛を追い,馬の手入れをしていたそう。 たまに面白そうな役があるとハリウッドに来て,軽く役をこなし,牧場に戻って自然と暮らすと言うゆとりが,彼のスクリーン状の存在を新鮮にするのでしょう。 「ハリウッドにずっと居ると,精神状態がおかしくなるね。自分で距離を保っていても,やはり他の俳優たちの動向が気になるし,心が狭くなって来る。若いうちはともかく,歳を取って,若作りをし,パーテイーなどに気張って出かけるのは,醜いだけ。広大な空と動物に囲まれていると生きている張り合いが満ちて来るのだよ」 「スパイダーマン3」(07)の砂の男,「ジョン カーター」(12)での怪物など,あまり演技力など要らないようなコンピューター仕掛けの役を手がけても,現場の技術を観察したりの楽しみがあると淡々としているところが彼の身上でしょう。
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KATE   BECKINSALE ここに3枚のケート ベッキンセールの写真を載せますが,まず美人,そしてそれを充分に意識してのポーズ,それと髪の毛の豊かさに仰天。まさに発毛剤の使用後です。 初めて会ったのは「パール ハーバー「(01)で海軍の看護婦を演じた時。巨大なプロモーシヨンで,ハワイはもちろんパールハーバーの戦艦の上ででした。ベン アフレックとジョッシュ ハートネットの二人のグッドルッキング海軍士官が凛々しく制服姿を見せ,ベンの搭乗機が行方不明に,戦死と知らされて,親友のジョッシュとの恋が始まると(もしかしたら結婚したかも)ベンが生きて帰って来ると言う戦争メロドラマでした。 2009 「ホワイトアウト」 父親は英国テレビのスター,リチャード ベッキンセール,母親は美人女優のジュデイー ロー,1973年7月26日ロンドンで生まれ,小さい頃は人に女優になるのだろう?と聞かれる度に「ううん。お医者様になる!」と答える程,反抗的だったとか。 その性格で,勉強に励み,文学少女となってたくさんの文学賞を受賞、オックスフォード大に進みます。 ここでフランスとロシア文学を専攻,傍ら演劇部にも顔を出し,テレビや舞台の仕事が面白くなるのです。この頃拒食症にもなり,後にインタヴユーで,この経験をつぶさに語り,真似をしない様にと若者たちに繰り返して説いたとか。 ハリウッドで人気が出て来ると,又彼女のおへそは曲がってしまい,会見の度に 「女優業は一生の仕事ではない。今でもお医者様になる夢は捨てず,大学の医学部に入って,医師になるつもり」 と繰り返し,その美貌とエリート意識に私たちは鼻白んだものでした。 2007 「スノーエンジェル」 「かもめ」の舞台劇 (95)で知り合った渋い英国人俳優のマイケル シーンと生活を始め、99年には娘のリリーが誕生,しかし二人が共演した映画「アンダーワールド」(03)の監督,レン ワイズマンと親しくなったケートはマイケルを捨てて,04年に晴れて結婚しています。映画の現場は誠に危険で,冒険と波乱が展開しますね。 最近は,しとやかな令夫人の外見に似合わず,「アンダーワールド」シリーズなどアクシヨン映画の女主人公役が続いて,今やハリウッドの女傑スターとなった感じ。 新作「トータル リコール」(12)では
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WILLIAM  H.  MACY 飄々としたサラリーマンの顔と姿が「ファーゴ」(96)の殺人を企てる普通のおっさんの役に見事にぴったりでした。 ウィリアム H. メイシーは1950年フロリダ州マイアミに生まれ,大学で後に高名な戯曲家になるデイヴィッド マメットと知り合い,共に劇団を結成。 いかにも大学でアングラ風劇団を創って,マメットのトレードマークの罵詈雑言と野卑な言葉をちりばめる進歩的ドラマに浸ってきたような風貌です。 舞台劇から映画デビューは「ある日どこかで」(80),映画の脇役を巧みに演じて,次は人気テレビシリーズ「ER・緊急救命室」(94−)のレギュラーに。 前に紹介したフランシス マクダーモンドが臨月近いお腹で 凄惨な殺人事件をコーヒーなど舌なめずりしながら,朝飯前の様に扱う婦人警官が出てきた「ファーゴ」は私めの大好きなブラック コメデイー犯罪ドラマで,ここでメーシーのことを初めて知りました。 アメリカの良心を代表するような,毒気の全く無い顔の彼が 一寸した過ちから,殺人を犯し,いざやってしまうと,その証拠つぶしに躍起になる人並みの行動が切なくて、こちらは何となく同情してしまいす。その演技力は素晴らしいものでした。 1996  「ファーゴ」 「役の男に同感しなければ,良い役作りは出来ないね。どんな殺人鬼だって人の子なのだから,良いところを見つけるのは難しくはないよ。それに人殺しをやって,警察に捕まる不安がないのだから俳優って,ごっこ遊びの究極なのだよ」 その後PTAと呼ばれるポール トーマス アンダーソンの 「ブーギー ナイツ」(97)や「マグノリア」(99)などに出て,ひょうきんな中年男の役をユーモラスに演じて,ハリウッドの人気者になったのです。 同じく舞台出身の女優でテレビドラマ「デスパレートな妻たち」に主演していたフェリシテイー ハフマンと平和で円満な家庭を営み,マウイ映画祭に数年前に行った時,二人の子供と家族4人で岩だらけの海岸線をよちよち歩いている微笑ましい光景を目撃しました。 新作「ザ セッシヨンズ」(12)ではカリフォルニア州バークレーの進歩的なカトリックの神父を楽しそうに演じています。

BEN STILLER

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BEN    STILLER ハリウッドの喜劇スターは余り日本人に人気がありません。 アダム サンドラーは下品で、がきっぽいし ジャック ブラックは独りよがりで、あがいているし。 ジム ケアリーは時どき怖いし、 ウィル ファレルやマイク マイヤーズは騒ぎすぎだし、 ステイーヴ カレルは白けているし ジョナ ヒルやセス ローガンはまだ世界的に知られてないし,濃厚にユダヤ人ぽいし。 2009 「ナイトミュージアム 2」 そしてベン ステイラーですが,彼もお馬鹿喜劇の「メリーに首ったけ(98)や「ミート ザ ペアレント」(00)「ズーランダー」(01)の時は,その真剣さが可哀想でおかしかったけれど,「ナイト ミュージアム」(06)などになると,自意識が表に出て,顔つきが濃くて,あくどい為に損をしているのですね。才能がぎんぎんの為に,その不遜さも垣間見えて,かわゆくないのです。 何と言っても父親も母親もばっちりのユダヤ系コメデイアンで,日本で言えば関西喜劇の感じで,しつこくて,下町下世話ネタ。息子のベンは10歳の頃から自分の映画を創っていた2代目ですから ,躊躇せず、怖いものなしと言った態度です。 「ケーブル ガイ」(96)のときに初めて会って,その時は,軽くて,調子の良い,面白いマルチ タレントでした。 「トロピカル サンダー」(08)で監督 主演した頃はハリウッドのブレーンと言う自信がみなぎって,話しは面白いし,ジョークもつぎからつぎまで出てきましたが,鷹揚さとか,人徳は余り感じられませんでした。 おまけに、これまで賞と言う賞を貰えず,どこかに欲求不満が渦巻いてます。 「ペントハウス」(11)では知力のある小悪人を快演してますが,間を外して,がははと笑う,ずっと上手のコメデイアン,エデイー マーフィーにすっかり場面をさらわれて,間が抜けた存在になっていました。 シリアスなドラマに出ると,迫力はあるのですが,どうしても甘い魅力に欠けるのですね。 これからこの座礁を脱出して,彼のキャラクターにあった作品が見つかる筈。 1965年11月30日ニユーヨーク生まれですから,まだ47歳ですもの。 パトリシア アーケットと1996「アメリカの災難」FLIRTING WITH DISASTER 
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REBECCA    HALL 余りおなじみではないかもしれませんが,知る人ぞ知る,英国の高名な舞台の演出家,ピーター ホールと女優のマリア ユーイングの娘がレベッカ ホールです。 2010 「ザ タウン」 1982年5月3日 ロンドン生まれ,背が高くて,美しいクイーンズ イングリッシュを使い、いかにも育ちの良さそうなエレガンスと乱暴さが雑居している気取らない女優。 ケンブリッジ大に入学するも,2年で中退し,父親の演出する舞台劇「ウオレン夫人の職業」(02)で正式にデビュー,翌年,やはり父親の演出による「お気に召すまま」の演技を絶賛されたそうです。 映画は「スターター フォア テン(10)」(06)が初めてとありますが,貧しい学生のジェイムス マカヴォイが人気テレビのクイズ番組 (タイトルはその番組)に出て最後の質問で倫理的葛藤を味わうと言う青春の甘さと苦さを活き活きと見せた佳作で,レベッカはジェイムスとほのかな恋をするユダヤ系の女子大生と言う役。 この映画には,大学チームのリーダーシップに溢れたキャプテンがベネデイクト カンバーバッチ,ジエイムスの幼友達で,大学などに全く興味がない街のチンピラ小僧がドミニック クーパーと目下の英国の若手スターがはみ出しそうな程大勢出ていました。1980年のローカルカラーも鄙びていて,懐かしく、労働者階級の息子が大学で勉強だけでなく,社会的なスタンスや恋愛を学ぶあたりが微笑ましいのです。 さてレベッカは「それでも恋するバルセロナ」(08)でスカーレット ヨハンセンの親友で,スペインのセックス シンボルのハビエー バーデムを結ばれるラッキーな役を楽しそうに演じてました。ウデイー アレンのヨーロッパ 撮影シリーズのひとつです。 今いち主役がピンと来なかった「ドリアン グレイ」(09)では時代劇の衣装がよく似合って,ベン アフレック主演,監督の「ザ タウン」(10)では現代のボストンの女の子を自然に演じると器用に大西洋を行ったり来たりしています。