TONY RANDALL

TONY   RANDALL



1920年2月26日オクラホマ州のタルサに生まれ,2004年5月17日にニユーヨークで亡くなったトニー ランドールを覚えてますか?

わたくすが小さい時はドリス デイとロック ハドソンのロマンテイックコメデイーにお邪魔虫の役で出てきては,優越感たっぷりのオーソリテイーなトーンで皮肉たっぷりの台詞を言う役をしていて,何とも懐かしく思い出されます。

例えば「恋人よ帰れ」(61)や「花は贈らないで」(64)などなど。都会的で気障で,もっとイノセントでキュートなロックとドリスを光らせて,陰でしっかり支えていました。

本名は Anthony  Leonard Rosenberg と言うユダヤ系の名前で、当時は必ず,もっと覚えやすく,素性を分からなくする芸名を使う習慣がありましたから,トニー ランドールと言う,軽くて,シンプルな名前にしたのでしょう。大体ロック ハドソンも Roy Scherer Jr.  でしたし,トニー  カーテイスと来たら  Bernard Schawartz と言う本名だったのですから。

裕福な画商の父親に付いて,旅をしたために学校を23回も替わった挙げ句,13歳の時に両親が離婚,やっと母親とオクラホマに落ち着き,ここで大好きな劇に出るようになったのです。名門ノースウエスターン大で演劇を学び,次は演劇コーチにつき,着々と基礎を整えて,41年にブロードウエイに進出。42年には招集され,通信兵として重宝され,大尉にまで昇進と、かなりスムースな頭脳タイプなのでした。

53年映画デビュー,軽いコメデイアンとして,ここでも前進を続けます。そこでドリスとロックをからかう役回りを手がけ,後にわたくすが初めて会った時は「恋人よ帰れ」(LOVERS  COME  BACK)のリメーク「恋は邪魔者」(03)に主演のユワン マグレガーとレネー ゼルウエガーと一緒に記念出演と言った感じて顔を出したのでした。


83歳でしたが,顔の色つやもよく,昔の事を鮮やかに思い出しては,ユーモラスに語って,そこらにロックとドリスが居るような気分になるほど。


1995年に50歳年下の妻を迎えて,子供をふたりも作ったツワモノです。96年には耳鳴りの病気にかかり,これを研究する会を精力的に支持するようになったそうですし,ノースモーキングのモットーを貫いて,大変な禁煙運動家だったと言います。
それでも会見の翌年に心臓手術から肺炎を併発して,84歳で亡くなりました。
想い出の会見の内容のテープとメモを探し出したら,今度はしっかりトニーの楽しいおしゃべりを紹介します。
こう言うハリウッドの往年のスターに会えただけでも,貴重な宝物と言えましょう。

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