MAXIMILIAN SCHELL

MAXIMILIAN    SCHELL


ヨーロッパ人ならではの凛々しいルックスです。マキシミリアン シェルは1930年12月8日にオーストリアのウイーンに生まれました。父は劇作家,母は女優、育ったのはスイスのチューリッヒ,ドイツが近隣国を侵略していた為にスイスに一家で移ったそうです。チューリッヒ大とドイツのミュンヘン大で演劇から言語学,音楽を学び,新聞に劇の評論を載せ,スポーツ記者もこなし,さらにはレナード バーンスタインのコンサートでピアノを弾いたと言う劇的な多才ぶりを見せていました。

1962年に舞台デビュー,「ハムレット」や「リチャード三世」の主役をベルリンやボン等で正統なドイツ語で演じ,大層な注目を集めたと言うのがよく分かります。あの端正な顔と生まれつき持っているような劇的効果をアップする才能が良く伺えますから,若い時は凄い迫力でしたでしょう。

ハリウッド映画デビューは「若き獅子たち」(58)。一説にはスタジオは姉のマリア シェルを使いたかったのが,誤解だかが生じて,マキシミリアンが出演。金髪に染めてドイツのナチ青年将校を怪演したマーロン ブランドの同僚役を手がけ,彼の貴族的な風貌が評判を呼び,この時以来マーロンとの交友関係も発展したそうです。

「ニユールンブルグの裁判」(61)はナチスの戦争犯罪を追求するスタンリー クレイマー監督の秀作。東京裁判の不公平さと同じように戦勝国が敗戦国を裁く矛盾を着いて,マキシミリアンはドイツ側の弁護士に扮して熱弁を振るいます。受賞疑い無しと言われたスペンサー トレーシーを抜いて、マキシミリアンがアカデミー主演男優賞から全ての演技賞を獲得,国際的レベルのスターに。

「オデッサ ファイル」(74)では姉のマリアと共演,その後も監督から脚本,制作も手がけて数本の映画を作っては相変わらずの鬼才ぶりを見せてました。

マレーネ デイートリッヒの記録映画「マレーネ」(86)ではインタヴユーと監督を兼ねて、
「マレーネはかなり男っぽく,非常に面白い女性で,馬鹿げた冗談をたくさん飛ばすのですよ」
と述懐してます。
 
1994     LITTLE ODESSA
初めて会見したのは「ミス ローズ ホワイト」(92)と言う映画で,ケヴィン ベーコンの奥方のキーラ セジウイックと共演,ヨーロツパのエレガンスを巧みにしっかり出してます。
1992   MISS  ROSE WHITE
その2年後の「リトル オデッサ」(94)での会見の写真と比べてみて下さい。マキシミリアンのスカーフ,シャツ,上着,ヒゲと全てがほとんど同じで,違いはわたくしめの服装だけ。余程この洋服のあわせ方が気に入っているのでしょう。特にヒゲとスカーフがいかにもヨーロッパのアーテイストの雰囲気です。今でこそ男性がこぞってスカーフを巻いていますが。

「リトル オデッサ」はテイム ロスがロシア系の殺し屋で久しぶりに家に帰るとエドワード ファーロング扮する弟が余りにこの兄貴を慕い,ヴァネッサ レッドグレーヴ扮する母親は重病,そしてマキシミリアンは父親役としたたかな俳優たちが面白い競演を見せてます。

同じ年の94年にテレビ映画会社の女性から「一緒にお風呂に入りたい。君の胸は素晴らしい」とマキシミリアンから言われたとセクハラ裁判に訴えられ,当時64歳の彼と32歳の女性の考え方,ヨーロッパの男性の姿勢の差が話題になりました。彼自身はノーコメントを貫いています。

2002年には「マイ シスター マリア」と言う姉を描いたドキュメンタリーを監督制作して、1926年に同じウイーンに生まれ,2005年に79歳で亡くなったマリア シェルの生前の姿を活き活きと描きました。

ちなみに彼はアンジェリーナ ジョリーのゴッドファーザーなのですって。


 

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