CUBA GOODING JR.

CUBA   GOODING   JR.


愛嬌で勝負しているように,常に陽気で,けたけたと笑って回りをポジテイヴな渦に巻き込むようなキューバ グッデイング ジュニアです。
初めて会ったのはキューバがアカデミー賞助演賞を受賞した役の「ザ エージェント」(96)の時。
当時26歳の彼はハリウッドで働くのが楽しくて楽しくてならないと言う元気とやる気がむんむんでした。
「ザ エージェント」
「トム(クルーズ)と共演なんて,うちの家族は卒倒しかねなかった。それも彼と絡むシーンがたくさんあって,色々と即興の台詞が飛び出たり,予期しない動作を見せたり,お互いに刺激を分かち合って,とびきり楽しい現場だったのだよ! トムのプロ意識とエネルギーにはたまげたね。永遠に使える電池みたいなんだから」

アカデミー授賞式で舞台の上に立ったキューバが「制限時間一杯にしゃべります。時間を越したらカーテンを閉めても良いけれど,僕は感謝のスピーチを続けます!」と言って,上気した顔で誰にも彼にも「アイ ラヴ ユー!」と言ってから,金の像を床において,飛び回って躍り上がって喜んだのもいかにも彼らしい楽しい想い出です。
今でも授賞式スピーチのトップテンにリストされている歓喜の爆発の瞬間でした。

1968年1月2日ニユーヨークのブロンクスで「ザ メイン イングレデイエンツ」と言うバンドのリード歌手のキューバ グーデイングを父に,「ザ スウイートハート」と言うバンドのヴォーカルの母を持って生まれたキューバは小さい時から歌って踊ってが大好きな,一時もじっとしていない男の子だったそう。両親は同時に有名なハーレムのアポロ劇場のマネージャーもしていたとか。
1972年にロスアンジェルスに一家で引っ越し,高校を4回も転校したにもかかわらず,キューバは3回も級長に選ばれたと言う人気者にして,優等生でもありました。高校では日本のマーシャル アーツに凝っていたと言うのもうなずけます。
流行のブレークダンスが上手でロスアンジェルス五輪の閉会式でライオネル リッチーの歌に合わせて,得意のブレークダンスを踊っていたのですって。
高校時代のスウイートハートのサラと結婚,二人の子供を持った今も幸せな家庭を送っていると言うのも,彼の安定した性格が原因のひとつでしょう。
色々な役を演じてますが,スピルバーグ監督が直接に頼んできた「アミスタッド」(97)の出演を断ったのも有名な話です。
「ハリウッドの天才から役を申し込まれて,雲の上の気分だった。しかし役が奴隷と聞いて,断らずを得なかったんだ。自分の信念に忠実に生きたかったから,奴隷の役だけはやりたくないと心に決めていたのだよ。アカデミー賞を獲ったから驕っているなど言われたけれど、そんなことはない。後で後悔など絶対にしません!」

「僕はラジオ」(03)と言う映画では知恵おくれのラジオと言う名前の若者を激演,エド ハリス扮するフットボールの監督との交情を描いたドラマでした。


新作「バトラー」(13)の役はあまり大きくはありませんが,ホワイトハウスに勤める主人公フォレスト ウイテカーの執事のボスの役を潔く,リーダーシップをたぎらせて好演。ともすれば生真面目すぎるウイテカーの横でちゃかしたり,励ましたりするコミカルな存在が良いバランスを作っています。


2013 「バトラー」

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