YOKO NARITA'S HOLLYWOOD

ハリウッドのスターをインタヴユーして37年!!     ツーショットと来たらどっさり ざくざく。最近は映画の記事も減ってきて発表してないお宝が貯まる一方。貯金は減る一方ですが、ともかく つたないブロッグ で全く為にならないお話と とっておきの古い写真とか新しいものも載せていきたいと思ってます。
ご連絡は  kazeto77yoko@gmail.com
まで。よろしく!

Thursday, December 27, 2012

師走です。気をつけて道路など歩きましょう。

年末年始を日本で過ごすために,母の所に行ってきます。

お馬鹿な日本のテレビを見て,お鍋やおせちをたくさん食べてきます。

と言う訳でしばらくブログはお休みします。

良いお年を!
成田陽子

Wednesday, December 26, 2012

SACHA   BARON   COHEN


サーシャはアレキサンダーを縮小した名前で,サーシャ バロン コーエンは敬虔なユダヤ教信者、両親はイスラエル出身,1971年10月13日にロンドンで生まれたサーシャはオーソドックス ユダヤ教の家に生まれ,アッパー ミドルクラスの家に育ち,私立のボーデイングスクールから,イスラエルのキブツ生活を経て,ケンブリッジ大で歴史を学ぶと言う,典型的学業優先、のユダヤ系秀才なのです。

だからこそ,あの無礼きわまりない,呆れてものも言えないような,下品を通りこして、常識では不可能な喜劇を創作しては,演じてしまう根性と自信があるのでしょう。

又の名を,アリG,ボラット,ブルーノと使い分け,会見にも,役のまま出てきます。


2007 「スウィニー トッド」
2012 「レ ミゼラブル」
初めて彼を見たのは英国のテレビ番組「ダ アリ G ショー」(2000)でサーシャはアリ Gと言うギャングスタラッパーになりきって,知名人から政治家まで,無知蒙昧を装ってインタヴユーするのです。予期せぬ傍若無人な質問にユーモラスに答えようとする知識人も,彼の執念深く,何度も馬鹿な質問を繰り返すやり方に終いには怒り狂うのです。

それがサーシャ,いやアリGの狙いで,それが分かっていても,我慢の緒が切れてしまう,そして観客はアリの野獣的な取り組みに,エリートに対する羨望や恨みを晴らした気分になると。

「ボラット」(06)はカザクスタンから来たジャーナリストと言う名目で,アメリカの生活に顔を突っ込んで,大げさに感心したり,我が国のしきたりでは,と居間で大便をしてみたり,とおふざけがエスカレートしてきます。

この時、初めてあったのですが,もちろんボラットの格好と態度で現れ,女性記者の質問には答えないから,前もって男性記者に代弁してもらうように頼むこと,などとボラットが住む東ヨーロッパの異文化を利用して,知能犯の自分はメークと衣装の陰で,せせら笑っているのでしょう。

こう言う方法をとること自体,サーシャの巨大な自己PR欲と傲慢さを見せているのですが,次の「スウィーニー トッド」(07)では,主演のジョニー デップやテイム バートン監督に敬意を表して,ちゃんと普通の格好で現れ,まともに答えるのです。

そういう変幻自在な姿がユニークとは言え,又,「ブルーノ」(09)ではオーストリアのゲイのファシヨン ライター,ブルーノになりきって会見に登場。プレゼントと巨大なペニスの形をしたケーキを持って現れ,この時はゲイとペニスのジョークばかりして,まともに答えませんでした。

「デイクテイター」(独裁者)(12)の時も金ぴかの中近東の独裁者風制服にもじゃもじゃのひげを付け,ピストルを携え,セクシーな女性の武官を二人侍らせて登場。
初めから終わりまで,妙なアクセントで,無知蒙昧な独裁者をオーバーに演じてました。

社会風刺と言えるのか,ここまで極端に,破廉恥に演じることにプロとしての力を感じるのか,ま,何とも言えませんが、もうたくさんと言う気がします。

新作「レ ミゼラブル」(12)では深刻きわまりないジャン (がんばる!)バルジャンやジャベールの場面からのガス抜き用お笑いおばか喜劇シーンに出てきます。

2012 [THE DICTATOR]
ワイフはアイラ フィッシャーと言うオーストラリア人の女優で07年から3年間,ユダヤ教を学び,信者になってから10年に結婚,女の子が二人います。

Monday, December 24, 2012

ALBERT  FINNEY


「アメリカ人なら,感心するかもしれないが,英国でサーと呼ばせるのは,スノッブの他の何ものでもないと信じている.ミスターでたくさんだ」
と言って騎士の称号を断ったと言う,アルバート フィニーは,オードリー ヘップバーンに向かって「ビッチ」と言った世界中でもたった一人の男性だそうな。
もちろん映画の中の台詞ですが。「「いつも二人で」(67)と言うロマンテイックな映画です。

おまけに「アラビアのローレンス」(62)の主役も蹴ったのですと。法外な金がかかるのは,バカバカしいと。ピーター オツールが手がけて,結果的には良かったと思いますが,アルバートの勇ましい言動には定評があるのです。
「アラビアー」の代わりに出たのが「トム ジョーンズの華麗な冒険」(63)でした。そして若き26歳のアルバートの華麗にして,セクシーなこと!

アルバートに初めて会ったのは「ミラーズ クロッシング」(90)の時。マンチェスター出身らしい,気取らない,それどころか,自己軽視が当たり前になっている姿勢が,事の他,新鮮でした。普通のスターの様にエージェントに仕事を頼まず,自分で連絡やギャラの交渉もするシンプルな生活を貫いている姿勢も頼もしいなーと感心しました。

「ビッグ フィッシュ」(03)の時はユワン マグレガーと共演して,二人でアメリカの南部のロケを大いに楽しんだ話をまるでパブにいる様に、ゆるゆると笑いながら,披露してくれて、これが英国人同士の気の置けない会話なのだなーと感じ入ったり。
このところハリウッド映画にぶっ続けに出ています。オーシャン12」(04)「ボ−ン」シリーズ (07と12)などなど。
2003 「ビッグフィッシュ」
そしておかしいのは最新のボンド映画「スカイフォール」でスコットランドのボンドの叔父貴(血はつながってないようですが)の役で,激しいテンシヨンのボンドと全く対照ののんびりじいさんを演じて,珍しく家族的なシーンを見せたり,今までに無い奇妙なスピードとバランスを展開します。

Sunday, December 23, 2012

CHER


本名はシェリリン サーカシアン ラ ビエーとアルメニアやインデイアンなどの血が混ざった長い名前です。

シェールに初めてあったのは,「「イーストウィックの魔女たち」(87)でジャック ニコスソンを相手に魔女を演じた時。まだ整形手術も初めの頃で,長めの顔と長い黒髪,それにかなりの長身で,舞台映えする,歌舞伎の女形のような性別の分からない妖しげな魅力がありました。

18歳でソニー ボノと結婚し,「アイ ガット ユー ベイビー」などの大ヒット曲を出した歌手でしたが,81年に
ロバート オルトマン監督の舞台に出て,そのままその映画化に出演。タイトルは「Come Back to the Five and Dime, Jimmy Dean, Jimmy Dean」日本語の題は「我が心のジミー デイーン」(82)。

1990「恋する人魚たち」
「マスク」(85)も良かったし,「月の輝く夜に」(87)のシェールは,ニコラス ケイジを相手にお互いに人並みから外れた同志の愛情を新鮮に映して,アカデミー賞を受賞。この授賞式の黒いレースのスケスケの衣装は,まるでレビューショウのフィナーレに階段から降りて来る羽飾りの踊り子のようでした。オスカーの歴史に残る斬新な?ドレスとして有名です。


「ムッソリーニとお茶を」(99)の会見では,独特のしやがれ声で,ケラケラと笑いながら、
「50歳を過ぎると化け物っぽくしないと注目されないのよねー。ハリウッドは中年女優が目の前に立っていても,後ろの若いぴちぴちを観察しているのですもの。一人暮らしにもなれて、さばさばしているわ」
と女帝のごとくと言うか,丸山明宏のようでした。

一番最近 会ったのは,ラスベガスの「ファイナル ツアー」で2009年でした。彼女の「引退ツアー」は,「閉店出血大セール」で,何度も繰り返し,もう業界のジョークでもありましたが,この時は
「もう63歳,階段を唱いながら降りたりするのが怖くて」
と正直に告白。もっとも舞台の上では,常に若い美男子のダンサーがシェールにくっ付いて,転んだりしない様にエスコートしていましたが。

この時ちょうど「バーレスク」(10)と言う映画を撮り終えたところで,7年ぶりの映画出演でした。

「デジタルで顔を若く変えてもらえるかと思ったら,主役のクリステイーナ アンゲラの引き立て役だから駄目ですって!!」
などと相変わらず 自己否定のジョークを連発。妙に自己主張をしないで,自分を客観的に見る,実に頭の良い人なのです。
翌年「バーレスク」公開の前に再び会見がありましたが,観客 (と言っても記者連中)が前に居ると,すぐにショウマンシップが発揮されて,楽屋裏話ふうのジョークが飛び出て来る楽しいスターです。
2009 ラスベガスの舞台裏
ちなみに1946年5月20日,カリフォーニア州エルセントロ生まれです。

Saturday, December 22, 2012

RUPERT   FRIEND


ルパート フレンドは英国はオックスフォードシャー1981年10月1日生まれの31歳。
端正な正統派2枚目ですがまだまだあまり名前は知られてません。せいぜいが「プライドと偏見」(05)でミスター ウィッカムを演じて,主役を演じたキーラ ナイトリーと親しくなり,美男美女の新カップルとしてパパラッチに追いかけられ,二人のじゃれあっている写真が世界中に出回った事ぐらいでしょうか。

スター女優の美青年ボーイフレンドと言う扱いに辟易したルパートは,自ら制作,脚本を手がけた短編映画を作り,二人で共演したりして,誇りある古典劇俳優の才能を見せましたが,結局はその直後に二人は破局。

「ヴィクトリア女王/世紀の愛」(09)では勝ち気な女王をエミリー ブラントが好演,ルパートは女王の永遠の愛人にして夫のアルバート公を演じて,ルックスのみでなく,演技力もそれ以上と言う力を見せました。当時の華麗な軍人の制服や宮廷の衣装が良く似合うクラシックな顔と姿もタカラズカに迫る美しさ?

同年の「わたしの可愛い人シェリ」ではミシェル ファイファーに愛される年下の愛人と言う役を再び美しく愛らしく演じて,コスチューム ドラマのプリンスがおはこの様になってきました。

しかしここに来て じゃーん!前のページのクレア デーンズが主演して,目下アメリカのナンバーワン人気テレビドラマ「ホームランド」に登場! それもミステリアスにして暴力的で,タフで,頭が切れるCIAの腕効きエージェントと言うアメリカ人の役。
ダミアン ルイスがどうもモスレムに洗脳されて,テロリストになったらしい米国軍人を演じて,又もや英国人俳優がアメリカ人の政府の役人とは。主要キャストにここまで英国製を出すのもびっくり。
2009「ヴィクトリア女王 世紀の愛」
でもプリンスのイメージをかなぐり捨てて,ルパートは執念を燃やす調査官として,画面に濃く出てきます。

先日アメリカ人俳優がうなだれて,良い役をほとんど英国人かオーストラリア人の俳優に獲られてしまう! 
と嘆いてましたが,ジムで筋肉を付けるのに励んでいるアメリカ人と長いこと演劇学校でハムレットやオセロなど演じてきた英国人の演技力の巾と深さのちがい。
それとアメリカ人にはエージェントや広報係が寄生虫の様に貼りついているため,ギャラが高いのです。
ちょうど一昔前のプロ野球の様にアメリカ人のスポーツ選手も俳優もエージェントがチャンスをつぶしている観もあります。

Thursday, December 20, 2012

CLAIR   DANES

クレア デーンズ

「ロミオ&ジュリエット」(96)でロミオのレオ デイカプリオの相手役をして,一躍有名になって,当時はレオファンから羨望と妬みの目で見られたクレア デーンズはニユーヨークのアーテイスト一家に生まれ,小さい時から,野望をたぎらせていたそう。

テレビシリーズの「アンジェラ・15歳の日々」(94−95)に主演した時に,初めて会ったのですが,当時15歳の彼女は髪の毛,全部をピンカールの様にとめ,肌色なので裸のように見えるドレスを来て,軍隊ブーツを履くと言ったアングラ ファシヨンで現れ,口をとんがらせて、
「将来はジョデイー フォスターの様になりたい。自分を小刻みに売りたくない。演技力で勝負して行く」
と力んでいる姿が,ボーイッシュで可愛かったのを覚えています。

1979年4月12日生まれですから,今33歳。
「ホーム フォア ザ ホリデー」(95)では憧れのフォスターが監督を手がけ,後に彼女にならってイェール大学に入学,オリヴァー ストーン監督の「U ターン」(97)、「めぐりあう時間たち(02)などの良質の映画を選んで出演。
2009年には英国俳優のヒュー ダンシーと結婚、
最近はテレビでの活躍が光っています。

まず「テンプル グランデイン」(10)では自閉症を抱えながら,見事に生きて行く実在の女性を演じてエミー賞を受賞。
そして現在人気ナンバーワンの「ホームランド」(11−)では中東専門のCIAエージェントを激演。余りハードに働いて精神安定剤を服用中と言う不安定な状態の時に、捕虜になってから凱旋帰国した米国軍人(英国人俳優のダミアン ルイス)が実はモスレムに改宗し,テロリストではないかと疑いながらも,ベッドインなどしてしまい,猜疑心と恋心に揺れ動く独身キャリアウーマンをヴィヴィッドに見せてます。

今朝クレアに男の子が誕生と言うニュースが入ってきたので,さっと書いて見ました。
2007「スターダスト」
グレートと言う名前をつけると「グレートデーン」になるわいな,と犬好きの妄想で勝手に偉大な犬種を思った次第です。

Tuesday, December 18, 2012

RYAN  REYNOLDS

カナダ出身のグッドルッキングのだんトツがライアン レイノルズでしょう。
同じカナダ人で同じ名前のライアン ゴスリングももててますが,それより演技力に集中力を払っているようですし。

メイド イン カナダは今いち激しさに欠けると言われますが、ブレンダン フレイザー,マイケル J フォックス,ジム ケアリーにセス ローガンなどなど,まあどちらかと言うとミルクトーストのグループですね。

しかしまあレイノルズ君のもてもて様は凄いものです。
年上のサンドラ ブロックと交際したり,突然,あのホットなスカーレット ジョハンセンと電撃結婚をしたかと思うと
2年足らずで別れ,すぐに次のホット女優,ブレーク ライブリーと交際中でなく,ゴールインしてしまうのですから。
まだ小粒ですが,結婚好きにかけては,エリザベス テイラーのようです。

2009「あなたは私の婿になる」
私めの歯医者さんのアシスタントもライアン様々で,「ちょっと寄り目じゃない?」などと言おうものなら,良い歯まで抜きそうなのです。

1976年10月23日カナダはバンクーバー生まれ。
オールアメリカンのスポーツマンの爽やかさが特長ですから
ロマコメに重宝され,「グリーン ランターン」(11)でアクシヨンヒーローの主役に。
同じ頃に公開された,やはり緑色のヒーロー「グリーン ホーネット」(11)(主役は同国人にして喜劇俳優のセス ローガンと皮肉な偶然)の方が遥かにヒットしましたが。

ともかく素顔は,あくまでも軽快な好男子で,頭も良くて,パーフェクトなのです。
しかしあれほどの美女たちが熱中するのは、なんとも不可解!

Monday, December 17, 2012

MELISSA     LEO


目下大評判の「フライト」(12)はデンゼル ワシントンが,ドラッグはするわ,アル中だわ、女遊びはするわ,と勤務寸前まで,遊んでいる機長を,見事にリアルに演じているのですが,最後の方の裁判のシーンで登場するメリッサ レオが又かっこ良いのです。航空機構の弁護士ってな役なのですが,真っ赤なスーツを着て,科学的なデータをもとに機長をやり込めて行きます。非情でなく,バランスの取れた道徳観でデンゼルを追求してく姿は,まるでペリー メイソンのごとくで,どちらに転んでも我々は拍手を送りたくなる二人の息詰る競演なのです。

メリッサ レオが一般の人の目に留まったのは「フローズン リヴァー」(08)でしょう。カナダとの国境の、川が凍り付く(ゆえにタイトルになっている)寒い街で,知り合いのインデイアン(いやネイテイヴ アメリカン)の女性と生活費を稼ぐために,違法移民をカナダからアメリカに運ぶ仕事をしています。彼らの生活は貧乏のどん底で,夫に逃げられたメリッサは,息子の世話に、ほとんどのこってないエネルギーを使いますが,もちろん息子はぶーたら文句ばかり。

2012「フランシーヌ」
鏡など覗く余裕も無いような彼女は髪を振り乱し,鼻水垂らさんばかりに働き続けて,国境保安官をやりすごすのです。

この,見ているだけで、しもやけが出来てしまうオリジナルの映画でメリッサのおばさんパワー爆発が見もの。

1960年9月14日ニユーヨーク生まれですから今52歳のベテラン、下積み生活が長かっただけに,貧乏な新人たちを自分の家に置いてあげたりする賄いのおばさん的世話好きな性格が覗けます。
昼メロで腕を磨いたあと「ホミサイド/殺人捜査課」(93)と言うテレビシリ−ズで人気が出てきて,徐々に映画の脇役をこなしてきました。

「21グラム」((03)とか「メルキアデス エストラーダの3度の埋葬」(05)などなど。

「フローズン リヴァー」の人間味溢れる演技でアカデミー賞候補になり,「ファイター」(10)のボクサー兄弟(と数人の娘たち)の母親役で堂々のアカデミー賞助演女優賞を受賞。

最初のアカデミー賞サーキットで,地味な女優と繰り返していわれ,2回目のアカデミー狙いの時は,自分でカメラマンや衣装係を雇って,豪華なセッテイングを背景に,セクシーにして,ゴージャスなドレスを着た写真をとってそれを業界紙に配ると言うマーケテイングを試みましたが、最初に見た時はのけぞりました。実にさまになってないと言うのか,ラスヴェガスの雰囲気で,ああこの人は根っから,センスが無いのだなーと返って親近感を持ちました。

写真でご覧のとうり,華がないと言うのか,美しく見せる事にずぼらと言うのでしょうか,会見に現れても誰も気がつかないほど、普通の人の空気なのです。

「色々な映画の小さな役をするのが楽しくて。まるで旅芸人の様に,今日はシカゴで,明日はメキシコと,朝目が覚めると,まず自分はどこに居るのか,確認しないと。

「フライト」では科学音痴の私に,ボブ ズメキス監督は
暗記すれば良いと言って,長い専門用語の台詞は,全て全く理解しないままに,すらすらと言ったのですよ。たった1日か2日の仕事でしたけれど,もの凄く緊張しましたね。でもデンゼルの反応が素晴らしくて,こちらもぐっとレベルが上がって,手応えのある演技が出来ました」

髪の毛の色によって人々が違う反応を示す話が面白かったので紹介しましょう。
「私の髪は赤毛なのですが,人々は赤毛を悪女のシンボルだと敬遠するのですよ。だから外を歩いていると顔をそむけられます。ある映画でブルーネット(黒髪)にしたら,他人が微笑みながら、おはよう! とか こんにちわ!と挨拶してくるではないですか。ブルーネットは優しい女性に見えるのですね。又違う映画で,ブロンドにしたら,他人がわざわざ近寄ってきて,笑いながら、私の手を握って,今日は美しい日ですね! とか,お茶でもどうですか? なんて聞いてくるのですから! デイトの相手を捜すのだったら,赤毛では難しいと痛感したのですよ」

Sunday, December 16, 2012

IAN  MCKELLEN

「リチャード3世」(95)の大悪君主から「ロード オブ ザ リングス」(01)の賢人ガンドルフ,そして「X−メン」(00)の大悪漢マグネトと長身と貴公子的ルックスが画面に登場すると思わず膝まずいてしまいそうなオーラを放つイアン マツケラン。

1939年5月25日,英国のランカシャー生まれですから現在73歳。「ロード..」3部作はニユージーランド ロケ約2年,新シリーズの「ホビット」(12−)も3部作でニュージーランド ロケ18ヶ月と言う長い島流しにも,嬉々として参加するリーダーシップに溢れる冒険魂の持ち主です。

ご存知でしょうが,英国演劇界で初めて公式に自分はゲイであると発表したのが88年,世界中の演劇界はゲイで溢れているとは言え,役が狭まれる,ファンが離れる,ダブルライフのスリルを楽しむ,などなどの個人的理由から,わざわざカミングアウトする俳優はまだまだ少ないのです。

ルーパート エヴァレットも続いて、公式にゲイ宣言しましたが,当時の解放宣言をひる返して、今は「主役を目指していたら,隠れていたまえ」と警告しているのですから。

アメリカや西洋の街でレインボウ カラーの飾りが電柱などについている通りはゲイ フリー 地区だったご存知ですか? 私にも親しいゲイの友達が居て,そう言う情報は彼らが教えてくれるのですが,まだまだ嫌がらせや,暴力を振るう思慮のない人々がごまんと居る訳で,公共の立場の人には難しい判断でしょう。


2012 「ホビット」(THE HOBBIT:AN UNEXPECTED JOURNEY)
さてイアンは,同性愛者の権利を守るために情熱的に活動し,英国では初めてゲイとして騎士の勲章を授かったのが
1991年。
運命の皮肉は,イアンがカミングアウトしたBBCラジオ番組の司会者も騎士受賞のリストに乗っていた事。この司会者が,大変な保守主義者で,ゲイと言う言葉を使わずに,あいつらと言ったために,ゲストのイアンが怒って,「私もあいつらの仲間です!」と答えたのが始まりだったのです。

イアンに初めて会ったのは「リチャード3世」撮影中の93年でした。カンヌ映画祭で,会見があり,公開を前にお披露目があったのです。
時代を1930年代のヨーロッパの暗黒時代に移して,真っ黒な軍服姿を着て身体障害者のリチャード3世の姿は,グロテスクにして,壮絶な危機感に溢れてました。

イアン当人は,品格,知性,洗練,寛容,美しさ,の全てを漂わせて,それはチャーミングでした。
「悪役こそ役者にとって,ベストの役なのですぞ」
とウィンクしたのをはっきり覚えています。

次は「ゴッド アンド モンスター」(98)で庭師(ブレンダン フレイザー,大熱演)に無性に魅かれてしまう英国の監督,ジェイムス ホエイル(「フランケンシュタイン」(31),「フランケンシュタインの嫁」(35)などを監督した)を快演して,アカデミー賞にノミネートされた時。

薄紫のシャツに,ネックレスと言うフェミニンな服装が,ソフトな顔に映えて,とびきりエレガントでした。

「劇場が大好きな両親の励ましがあってこそ,3歳の時に「ピーター パン」の舞台に初めて出て,すっかり演劇熱に取り憑かれ、自由に演劇学校に進学する事が出来たのですよ。女優を志していた母が,私の成功を見ずにガンで亡くなってしまったのが,返す返すも残念です」

と悲痛な表情を見せてたのも印象に残っています。

ケンブリッジ大では,格調高いマーロウ ソサエテイーの会長を務めたり,24個もの舞台劇を制作,監督、主演し,天才的な俳優と言う評判も得ました。彼のアカデミックな背景も肩の力が抜けた,自信に満ちたスタンスの要素でしょう。

いつも紫色を服装の一部に使うのが,イアンのルールのようで,新作「ホビット 第1部」(12)の会見には,紫色のスラックスをはいて現れました。ズボンとかパンツ,トラウザースと言う言葉よりスラックスの響き,ニュアンスがぴったりの柔らかい着こなしなので。

「長いロケに出かけると他の舞台などの仕事に出られないから,かなりためらったのだが,2回に分けてくれてね。一度ロンドンに戻って舞台に出て,良い気晴らしになって,又新鮮な気持ちでニユージーランドに戻ったのだよ。
それに他の俳優がガンドルフを演じるのが嫌だったのも大きな原因だ。私のキャリアーの中で,仙人ガンドルフは大きな位置を占めているのだから!」
とにやりと笑ってました。

前に着ていたヴァイオレット色のシャツ姿の写真を探しますね。

それとこの写真のペンダントは,ニユージーランドの緑色の貴石で,「ロード オブ ザ リングス」以来のテイーム キャプテンの誇り高い勲章なのですって。微笑ましいでしょう。

Saturday, December 15, 2012

TONI   COLLETTE


オーストラリアのシドニー映画祭,1994年6月。ここでトニー コレット主演の「ミュリエルの結婚」(94)を見て,それから監督に会ったのです。その少し前まで有名だったクロコダイル ダンデイーを演じたスター,ポール ホーガンと同じ名前の監督は、P. J. ホーガンと呼んで欲しいにと言ってました。クロコダイルより遥かにすてきな、映画スターのようなルックスの気持ちの良いポールでしたし、あとからトニーに会ったときは,背が高く,手足が長く,すっきりスリムでスマートなのにびっくり。何たってミュリエルは太っちょで田舎っぽい女の子だったので。
役のために20キロ余り太って,ださく変身したとか。

このシドニー旅行は思い出が詰まっていました。まずパートナーのハンスに会った事。もう18年前ですねー。それからこの6月12日はロスアンジェルスで,あの O.J. シンプソンがブロンコの後部席で銃を頭に当てて,自殺するとわめいた日なのです。シドニーのテレビでも延々と生中継をしていました。

さてトニーは1972年11月1日,シドニー生まれ。
「ミュリエル」で共演したレイチェル グリフィスも同じ様に,アメリカに上陸して,同じように着着と女優街道前進を遂げました。
ハリウッドに来たトニーは,M.ナイト シャラマン監督の「シックス センス」(99)の違う世界が見える少年の母親を演じて,見事にアカデミー助演女優賞にノミネートされ,ロンドンやシドニーを行ったり来たりの世界的な脇役女優に成長します。

当人はケラケラと楽しそうに笑う,いかにも太陽とビーチのシドニー生まれで,隣のお姉さんの気さくな態度で,相手の体をばしばし叩いて,冗談を言ったりします。

レイチェルがテレビシリーズのレギュラーになって人気が出てきた様に,トニーも「ユナイテッド ステイツ オブ タラ」と言うコメデイー番組に主演し,09年にはエミー賞を獲得。

最近は「リトル ミス サンシャイン」(06)でのミス 少女コンテストに出る女の子の母親を手がけたり,今年は「ヒッチコック」(12)のヒッチの秘書を軽妙に演じて,独特の変わった風味を添えてます。
1999「シックス センス」
「めぐりあう時間たち」(02)も「ヒッチコック」も50年代が背景で,当時のメーク,髪,ショルダーパッドのドレスがトニーのちょっと長めの顔にとても良く似合って、センスのある着こなしが楽しめます。

今回の写真はスキャナーが壊れたために古いプリントをカメラで撮ったりの苦心作で,彼女のファンのいとこのために
捧げます。もっと他の写真が出てきたら又,追加しますね。

Wednesday, December 12, 2012

KRIS    KRISTOFFERSON


見るからに体制に反抗するリーダーのようなクリス クリストファーソンは、最高レベルのエリートの教養と知性をわざと隠しているようなところが,反逆児たる所以なのでしょう。
「スター誕生」(76)のバーブラ ストレイザンドとの共演がもっとも知られた主演作でしょうが,この映画はこれで3度目の映画化なのです。

クリスはテキサス州ブラウンズヴィルに1936年6月22日に生まれ,父上は空軍の大将で息子を軍人にしたかったそうな。しかし何と言っても反抗児のクリスは,ボクシングやフットボールで活躍したり、勉強にも強く、全米でももっとも優秀な学生に与えられるロードスカラーの栄誉を得て,英国のオックスフォード大に入学して文学を専攻,その後,父親を満足させる為かどうかは分かりませんが,陸軍に入り,西ドイツで4年半程過ごして,大佐の位を得たばかりか、ヘリコプターのパイロットとしてもならす、と言う珍しい進路を取ってます。

ロードスカラーのOBにはビル クリントン元大統領や異色監督のテレンス マリック等がいます。

次はアメリカの士官養成のエリート大,ウェストポイント陸軍士官学校で教師を務め、それからナッシュビルに住む様になります。
ここでスタジオのトイレ掃除等しつつ,チャンスを狙い,ジョニー キャッシュに自分の曲を見せたところ,全く無視されたとか。ヘリコプターのパイロットの仕事もしていたクリスは,ある日ジョニーの家の庭にヘリコプターを着陸して,自作の曲を手渡して,やっと認められたと言う華々しいエピソードは有名です。
そのうち売れ出して、カントリーのシンガーソングライターとして70年代の初め「サンデーモーニング カミングダウン」とか「ミー アンド ボビー マギー」等数々のヒットを出しました。

「ハイウェイメン」と言うバンドはクリスとジョニー キャッシュ,ウエイロン ジェニングスとウイリー ネルソンと言う凄い顔ぶれのメンバーでした。

映画デビューは「ラスト ムービー」(71)。音楽も担当してます。

トラバドールと言うクラブで唱っているクリスを見て,サム ペキンパーが「ビリー ザ キッド・21歳の生涯」(PAT GARETT & BILLY THE KID)(73)に起用したのが二人の友人関係の始まりです。

そして頭の良すぎる人々の,と言うか,才能がありすぎる人の常として,アルコール中毒に。(ドラッグももちろんです)毎日ジャック ダニエルのボトルを一本半空にしていたのですって。これが1976年頃。ヘリコプターの免許も没収されたとか。



実は私めは観てないのですが,三島由紀夫原作の「午後の曳航」THE SAILOR WHO FELL FROM GRACE WITH THE SEA(76)と言う英国映画に出ていて,情熱的なラヴシーンと英国の海岸の風景が素晴らしいのだそう。ショッキングなエンデイングだそう。とても観たいのですが,ヴィデオやDVDになってないそうで,無いと余計好奇心がそそられます。

バート レイノルズと「セミ タフ」(78)と言う映画にフットボールのプロと言う役で競演,二人ともそれぞれプロ選手のレベルの持ち主だっただけに,迫力,現実感に溢れるゲーム場面でした。

最近はハワイに住んで,たまさかのコンサートに出たり,この間は「ドルフィン テール」(2011)と言う尻尾とひれを失くしたイルカが泳げる様になると言う実話の映画化に,海辺のボートに住むおじいさんと言う役でひょうきんな顔を見せてました。
1991年頃


Tuesday, December 11, 2012

ANDY   GARCIA


キューバ人の情熱と誇りを全身に込めて,いつも格調高く,エレガントに振る舞うアンデイー ガルシア。

初めて会ったのは87年の「アンタッチャブル」で青二才の,しかし根性を秘めた若い警官を演じた時。オールドプロのショーン コネリーが目を付けた,激しい目つきの若者でした。

「ブラック レイン」(89)の会見で、ほとんど号泣したアンデイーの表情は一生忘れません。

ー松田優作の思い出をお話しして頂けますか。
「ユーサクが病気だとは知っていたが,まさかあんなにすぐに亡くなってしまうとは!!僕の映画に対する情熱をユーサクはよく分かってくれて,兄弟のような気持ちをお互いに持ったのだよ。日本人のプライドと愛国心と義侠心が僕のキューバに対する気持ちと似ていて,僕らは血がつながっているねって誓い合ったのだから。撮影現場で彼ほど勇気と情熱を見せるのは,特にハリウッドのマイケル ダグラスとかのベテランの前では難しいのに,ユーサクは,全く躊躇しないんだ。だから僕も凄く力づけられたし,ユーサクがハリウッドに来たら一緒に仕事をしようって約束していたのに!」

と目が真っ赤になったかと思うと涙がぼろぼろこぼれてきて,ほとんど しゃくり上げる程の泣き方でした。こちらまでもらい泣きしてしまいました。


1994「男が女を愛する時」
ちょうど「ラスト エンペラー」(87)でジョン ローンが東洋の2枚目スターとして注目されていただけに,「ブラック レイン」を見た私めは,松田優作こそ,日本の誇る国際スターのチャンスがとうとう来た!と狂喜していたのです! それがあんなにすぐ逝ってしまって。。。

以来アンデイーに会うといつも,あの泣き顔が浮かんで,どうもセンチになってしまうのです。

自分に厳しい分,相手にも厳しく,お馬鹿な質問をしたりすると答えてくれません。いつも良い仕立ての趣味の良い服装をして,典型的ラテン男性の華美なスタイルとかはせず,品の良い、洗練されて知的な雰囲気を漂わせます。

1990年代はじめの会見はいつもビバリー ヒルトン ホテルで行われ,アンデイーは懐かしそうにこう言ってました。
「僕がハリウッドに来て初めてしたアルバイトがこのホテルのウエイターだったのです。だから今だに仲間が居て,お互いに昔話をしたりするのが楽しみ」
このホテルには30年以上働いているベテランのウエイターが大勢居て,アンデイーが来たと言う知らせが入ると,それぞれ挨拶にやってくるのです。殆どが南アメリカ系,メキシコ人ですがキューバ人のアンデイーとスペイン語でオーラ!アミーゴ と懐かしそうに抱き合ってました。

そう言う義理堅さが彼の良いところなのです。

1956年4月12日 キューバのハバナ生まれ。5歳の時カストロから逃れた両親とマイアミに移ってきましたが,教養ある両親のもとでアンデイーは祖国の文化を懸命に学び,少し名前が出てきてからは,キューバの音楽や歴史を広めるコンサートやドキュメンタリーの数々を制作しています。
ドキュメンタリー「カチャオ」(93)では監督も手がけました。
「ザ ロスト シテイー」(05)は1950年の古き良き時代のハバナが革命に巻き込まれるストーリーで,アンデイーは制作、監督,脚本,作曲,主演と文字どうり レイバー オブ ラブ(苦労をいとわず、情熱を傾けた力作)なのでした。大都会ハバナに繰り広げられる、名家の変遷、息子達がプレイボーイだったり,政治活動に巻き込まれたり,恋と裏切りが渦巻く巨編とでも言いましょうか。
余り情を注ぎすぎ,ちと長すぎる138分の大作になってしまいましたが。

最近のアンデイーは 「オーシャンズ 11、12,13」でラスヴェガスのスタイリッシュな黒幕の親分を楽しそうに演じたり、相変わらず監督業にも忙しく,小粒でぴりりの作品を創っています。

Monday, December 10, 2012

EVA  GREEN

エキゾテイックでミステリアスなエヴァ グリーンは1980年,パリ生まれ。父親はスウエーデン人の歯医者,母親は有名なフランス人の女優,マルレーヌ ジョベール (「雨の訪問者」(69))、エヴァより2分前に生まれた双子の姉のジョイが家族。

女優に等絶対にならないで!と言う母親の忠告を全く無視して,パリの演劇学校から,ロンドンの演劇学校に行ったエヴァをイタリアの巨匠,ベルナルド ベルトルッチが発見。

「ザ ドリーマーズ」(03)が彼女の映画デビューとなります。パリの60年代を背景にパリジェンヌのエヴァを巡ってふたりのアメリカ人の若者とのデカダンな日々,一日中ヌードで,トロア メナージ(3人でのセックス)等にうつつを抜かす内容は,ベルトルッチお得意の新人女優を自由に操縦する手管が功を奏し、けだるい性生活が淡々と展開、かなりの評判になりました。最初はジェイク ギレンホールが若者の役を手がける筈があまりに気軽なセックス描写に恐れをなして,マイケル ピットがピンチヒッターに。

バスタブに全裸の3人が入って彼女の恥毛がゆらゆらするシーンが印象に残っています。

次はリドリー スコットの「キングダム オブ ヘヴン」(05)での王の妹の役。エドワード ノートンがライ病の為に仮面をかぶった王を怪演、鍛冶屋のオーランド ブルームに魅かれると言う役どころでしたが,彼女の活躍した場面はほとんどカッテイング フロアーに,と言う不満の残った映画になったようです。

「007/カジノ ロワイヤル」(06)でピアース ブロスナンから継いだダニエル クレイグのジェイムス ボンドとベッドインだけでなく,心も通じる仲になる英国大蔵省のエージェント,ヴェスパー リンド役を獲得。
初めてのブロンド髪のボンドとのコントラストを見せる為にこの時のボンドガールには、黒髪豊かなアンジェリーナ ジョリーの名前も上がっていたそうな。

豊満なボデイーとは言えなくとも,知性と魔女的な魅力を持つエヴァはいつものボンドガール以上の存在感を見せました。
翌年の07年「ライラの冒険・黄金の羅針盤」では魔女の役を手がけて,一緒のシーンこそありませんでしたが,ダニエル クレイグが主演のおとぎ話の映画化でした。

「良い俳優になるより有名になる方が重要だと言うハリウッドの風潮は嫌い」
「フォトシュートが大好き。ピンアップの写真はドラマテイックな自分を演出出来るから。だから自然なメークで自然なポーズの撮影は面白くないわ」
と言うエヴァはモデルとしてもランコムやデイオールの広告に出ている一流レベルなのです。
「多くの映画が俳優達を無視して、風景に焦点を向けるけれど、もっと俳優達を見せるべき。監督も演劇学校に通うと色々学ぶと思うわ」
などとストレートにものを言うあたりにフランス人の理屈っぽさが覗いています。
2007「ライラの冒険/黄金の羅針盤」
最近ではジョニー デップ主演の「ダーク シャドウ」(12)で彼を吸血鬼にしてしまう復讐に燃える恋人を激演しています。
2003年のデビューしたときの写真を探さないと。ダークな女、悪女のイメージがこびりついてきた現在ですが,当時はまだイノセントな表情が残っていて貴重なショットですから。

Sunday, December 9, 2012

BILLY  CONNOLLY


ちょっと前まで,ビリー コノリーは怒りん坊で悪名高かったのですって。英国人記者の話ですが。

「ミセス ブラウン」(97)でジュデイー デンチ演じるヴィクトリア女王の厩番,ミスター ブラウンを演じた時に始めてビリーの会いましたが,最初から終わりまで,玄人のコメデイアンだし、パブや舞台裏でならしたジョークの連発で,怒りん坊とは全く思えませんでしたが、若い頃の体制に反抗する姿勢を聞くと、さもありなんでした。

何と言ってもスコットランドの労働者階級の街,グラスゴーに1942年11月24日に生まれ,大英帝国が大嫌い,スコットランド独立を叫ぶ、根っからの反逆児なのですから。

バンジョーがお得意で「ハンブルバムズ」(謙虚な浮浪者)と言うフォーク バンドでならし,後にゲリー ラファーテイーと組んで「ベイカー ストリート」を結成,同時にスタンダップ コメデイーでも名を馳せたのです。

今回は新作「クワルテット」(12)と言うダステイン ホフマンが初監督のオペラを中心にした映画に出ていること、
来年(13)と再来年(14)の「ホビット」シリーズに出ていることでニユーヨークはマンハッタンの瀟洒なホテルで会見となりました。

ぼさぼさの白髪にデニムの上着につぎはぎだらけのズボン,まあるい眼鏡に,インデイアン ジュウェリーと60年代のヒッピーの出で立ちで「ヤーホー!ラブリー ツー シー ユー オール!」と現れました。

凄いスコットランド訛りで,おまけに大きな声が楽しい傍若無人ぶりです。

「デザイナーの服なんて糞食らえ!ですよ。あいつらはみんな制服を創っているのだから。ナチのユニフォームであれ,警官であれ,制服は大嫌い。だから僕は60年代のままの格好をしている。ヒッピーを貫いてます。スーツを仕方なく着るときは花模様の柄のやつを着ますよ」

あらゆる名詞の前に、F ワードをちりばめて,それが又彼のチャーミングな人となりを強調しているのです。

「「ホビット」の原作なんて読みませんよ。トルケンなどと言った作家の本は大嫌い。ああいう本を読む輩は,コーデュロイの上着なんか着ちゃって,胸に古典の本なんか抱えちゃって,ああいうタイプは嫌ですねー」
と気取ったスノッブの真似をするのが又、おかしいのです。

ひとしきりクラシックをおちょくります。
「妻に勧められて,バレーを観に行ったが,昔から男がタイツを穿いてプライベート パーツを巨大に強調して,いやらしい出し物だと思ってたからね。オペラも同様。何から何まで歌って会話するのが、たまらなくおかしいよね。まあ,歳を取って来て寛容度が増えたから,妻のお供はするが」

「英国演劇界のトップに居るジュデイー デンチが僕を目がけて悩ましい態度で寄ってくるから,僕はぎょっとしてね。
どうしたものかと困惑したら,なんとデーム ジュデイーは既に役になり切っていたのだ。「ミセス ブラウン」の時の初顔合わせのときだった。凄いよね。ああいう演技派って言うのは!」

などと言いたい放題。
こう言う芸人魂って,ますます稀になってきて,とっても貴重な存在。ダニエル デイ ルイスも良いけれど,ビリーの
2012 「QUARTET」
ほうが太く長く生きそうな気がしますよね。


Saturday, December 8, 2012

JESSICA   CHASTAIN


私めの独断と偏見で判断すると今度のアカデミー主演女優賞はジェシカ チャステーンに決まりでしょう。

昨夜、ニユーヨークから帰って,あちらでは大勢のスターに会ってきたのですが,ジェシカの「HEIRESS」(女相続人)のブロードウェイの舞台が一番,印象に残っているのです。もちろんこれは舞台ですからトニー賞の部門ですが,彼女のモメンタムが最高。
既にナシヨナル レヴィユーアー賞を受賞の「ゼロ ダーク サーテイー」(12)でのCIAエージェントの役は華奢で女らしさを失わずに,あくまでオサマ ビン ラーデンの居場所を確信して,上司に訴える姿が何とも頼もしく,知力がみなぎって,思わず抱きしめたくなるような,素晴らしい演技なのです。

ちなみに「ゼロ ダーク サーテイー」は軍隊用語で夜中の12時半,オサマが死んだ時間を指しているそうです。

去年(2011)はジェシカの当たり年でした。
「テイク シェルター」ではマイケル シャノンが竜巻が来ると信じて地下壕を掘る夫のそばで,半分あきらめて静観している妻の役。
「ツリー オブ ライフ」では,ブラッド ピット演じる自己中心の夫の横で息子達をかばう妻の役。
「ヘルプ/心がつなぐストーリー」では南部の外見は安っぽくけばけばしくとも,心は優しく,黒人のヘルパーと親しくなる寂しい妻の役。
「英雄の証明」では,監督主演のレイフ ファインズと共演。「コリオラノス」と言うシェイクスピア劇の現代版の映画化でした。
「ワイルド サロメ」ではアル パチーノさえたじたじのサロメの役。
「キリングフィールズ/失踪地帯」では,ヘレン ミレンが演じるイスラエルのモサッドの女性スパイが若かった頃の役をファイトシーンも凄まじく激演。

と6本の映画で,それぞれ主役の男性の邪魔にならない様に,しかし、しっかり自分の位置を保っていると言う難しい演技を見せました。

1977年3月4日カリフォーニア州の州都,サクラメントに生まれ,父親は消防士,母親は菜食レストランのオーナーシェフ、小さい時から踊りや舞台が大好き,ジュリアード音楽院を首席で卒業,古典劇「桜の園」「オセロ」など多くの舞台を経て,映画デビューは08年の「JOLENE」。

今年はまず「ローレス」(12)と言う飲酒法時代のギャング映画でシャイア ラブーフの相手役。

そして「女相続人」の舞台では,魅力の無いウブな金持ちのお嬢様が,資産目当てのハンサム男に振られ,父親は死んだ美人の妻と娘を比べてはため息をつく,と言う境遇から,独立精神を養い,毅然とした女主人になって行くプロセスを鮮やかに打ち出して,舞台の水が合うのだなーと感心しました。美青年役は大評判の英国テレビドラマ「ダウントン アビー」で同じような、しかしこちらは貴族の美青年を演じているダン ステイーヴンス,父親は老獪役者デヴィッド ストラザーンでした。

1949年の映画「女相続人」はオリヴィア デ ハビランドが主役,美青年はモンゴメリー クリフト,父親はラルフ リチャードソンでした。デ ハビランドは美女すぎたもののオスカー賞を獲りました。

その後97年の「ワシントン スクエア」(これが原作者ヘンリー ジェイムスの原題)ではいつもむすっとしているジェニファー ジェイソン リーが女主人公を演じて,アルバート フィニーが父親,ベン チャプリンが求婚者と言うキャストで,かなり楽しめる作品です。

さてジェシカですが,デートなど大学時代から興味が無く、
演劇一本槍,今は3匹の犬と菜食主義の毎日を送っているとか。
「有名なスターなどになりたくありません。顔など知られずに,色々な役で変身し,その人の血となり肉となるのが,私の極上の生き甲斐なのです」


2012 「ZERO   DARK THIRTY」
赤毛のアンを思わせるジェシカの愛犬と一緒の静かな世界を何とか身を以て守ってあげたくなります。
2012   "Heiress"