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Showing posts from April, 2012
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RIVER  PHOENIX 本名は リヴァー ジュード ボトム と言うのですよ。何と言っても「スタンド バイ ミー」(86)の少年冒険団のひときわ光る美少年でした。 両親がヒッピーだと苗字は自然賛歌に変えられるわ 南米の街角で 歌や踊りを踊って生活費を稼がなくてはならないやら 彼の生き方もそのうち 映画になるでしょうね。 フェースブックにリヴァーの事を載せて “ 弟のホアキンと余りに似ていないから牛乳配達のせいかも ” と書いたら “ へえー 実の兄弟とは知らなかった!!” と言うオドロキの反応が数個あったので ああ時代は遠くなったのだなーと ちょっとがっくり。そして せめてここに 私めが見たリヴァーの健気で 繊細で 才能にあふれていて ハリウッドの 誘惑に墮ちてしまった 悲劇的な短い人生を紹介したいと思った次第。 初めて会ったのは「モスキトー コースト」(86)でハリソン フォードの息子を演じた時。漂流する父親と子供達のドラマで とっても良い映画です。近眼で眼鏡をかけたハリソン パパが大波に眼鏡をさらわれた後も 平気で舵を取っていたのが近眼の私めには不思議だったのが思い出されます。 黒髪でジプシーのような野性的な母親と一緒に現れた当時16歳のリヴァーは 輝くようなブロンドに透き通った青い眼 長身に長い手足とトロイ ドナヒュー の再来のようでした。また古いお話ですが ともかく 人気スターになる事間違いなしのグッドルックスと恥ずかしげな表情が実に初々しかったのを思い出します。 「旅立ちの時」(88)は私めの一番大好きな作品。 リヴァーがピアノ少年になって 政治活動家の親の為にまともな生活が出来ず 隠れ家で 紙に書いた鍵盤で必死に練習する様には涙が出ます。この役でアカデミー賞の候補になったほどの 激演でした。 「インデイ ジョーンズ/最後の聖戦」(89)では再びハリソン フォードと共演。超娯楽作品に出る様になり リヴァーはスーパースターに。 「マイ プライベイト アイダホ」(91)の時は 共演のキアヌ リーヴスと大いに気が合ったと楽しそうで 公然とドラッグ中毒者の役の為にちょっと試したよー 等と二人でふざけたりしていましたが。 「スニーカーズ」(92)の会見の前にホテルのバーでぐびぐびと強いお酒を飲んでいる姿を目撃
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ROBERT  DE  NIRO デニーロ ファンはここから先はお読みにならないで下さい。 別にロバート デ ニーロに喧嘩を売られた訳ではないのですが 喧嘩になる方がまし と言う程に この偉大な大スターのインタビューは退屈でつまらないのです。うーうー とか あーあー とうなってばかりいて まともな言葉が出てこない、面白いことを言おうとしているのではなく この俳優の中の俳優は 台本がないと せりふがないと 頭の中が真っ白になってしまうのです。ロバート デ ニーロと言う男の役の準備はしてないのです。 “べつに” とか “特別な事はしてない” とか “分からない” とか “そうかも” 等と答えるばかり。機嫌が悪いのではなく 見事に口下手で 会見は 無口で押し黙っていれば そのうちあきらめてくれて そのうち終わる とばかり考えているのです。 そうです。男は実行、黙って勝負、役の事をくちゃくちゃ くっちゃべるのは 風上にもおけない奴ばかり と言う気骨の人なのです。 「レイジング ブル」(80)での30ポンドの増量で実在のボクサー、ジェイク ラ モッタになりきってしまう役作りはオスカー賞を受けました。これ以来 俳優達が体重を減らしたり 増やしたりして そののめり込みぶりを見せるのが 一種の流行にもなってしまいました。 イタリア系マフィアものでマーチン スコセッシとは8本も一緒に組みましたが 「アナライズ ミー」(99)頃からコメデイーに興味が出てきたようで 「ミート ザ ペアレンツ」(00)など本人の堅苦しいキャラクターを逆手に使って のジョークはおかしかったですが ちょっとやり過ぎでは?と言う声も。 しかし自分で始めた トライベッカ 映画祭とか私生活でもお金が必要なのでは という好意的な理由もあるようです。 スコセッシもデ ニーロからもう少し甘くボーイッシュなレオナルド デイカプリオを愛でるようになって 次々と自分の作品に使う様になりましたし。 さてデ ニーロですが 最近では自分で監督 出演を手がけた「グッド シェパード」(06)が良かったと私めは思います。マット デーモンのCIA エージェントとその妻になるアンジェリーナ ジョリーと言うメガ スターを配置したにもかかわらず 全くヒットしませんでしたが スパイの仕事の困難さを見せ
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SHARON   STONE ハリウッドでも知能指数の高さで知られるのはジェイムス ウッズとシャロン ストーンだそうな。実にお二人ともシャープでどんな話題にも物怖じせずに シャリシャリせり出して どんどんしゃべります。記憶力も抜群で 頭の良さを ひけらかすのではなく もう自然体で 優秀なのです。 ウッズの方はともかく シャロンはその上にミスコンテスト優勝 一流のモデルとしてもならした美貌とスタイルと言う武器が備わって ちょっと普通の男性には 1990 「トータル リコール」の頃。 手の届かないB&B (ビューテイー アンド ブレイン)の女王でしょう。 初めて会ったのは「トータル リコール」(90)の時。 “ アーノルド(シュワちゃん と言う表現も古いですが)との格闘のシーンが たくさん会って 彼の体は大型スーツケースみたいに四角くて 固くて 毎日 痣だらけになったのよ。普通の人の体と違って 柔らかいところがほとんどないのだから! でもジョークが大好きで とっても楽しい人。 この時 プレイボーイ誌に 堂々のヌード ピンアップ が載って 騒がれたのを思い出します。 「氷の微笑」(92)では何回か会見をしましたが ある日 日本から来た記者達用の会見があって あの有名な 足を組み替えるシーンを指摘して 某女性記者が “ シャロンさん。今日はパンテイーを穿いてますか?” と質問したのには驚きました。私めもショッキングな アウト オブ ブルー (天から降ってきたみたいな 不意の角度から)の質問をするので 知られてますが こういう 下品な そして 魂胆が見え見えの質問は 頼まれても しません。 当人は 悠然と 艶やかに “ ご想像にお任せします” なんて答えてましたが。 ともかく 頭の切れる人ですから 会う度に “ あら 髪の毛の色を変えたのね。とても似合ってるわ ” 等と覚えていてくれる会話を交わすのが 政治家の習慣みたいで その外交センスには驚くばかり。 ヒラリー クリントンにも似ていますし 彼女の歯切れの良い話し方 物怖じしない姿勢 公平な考え方 等を思うと女性の政治家にぴったりではないかと。 脳の手術をしたり、新聞記者の夫とも別れ、養子を穫って母親になり と苦労が続いていますが アメリカで言う 東海岸出身の ヤン
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JEREMY  IRONS 「ブライズヘッド リヴィジテッド」(1981)でのジェレミー アイアンズ はひたすらに繊細で 相手役の貴族の放蕩息子になるアンソニー アンドルーズとのホモセクスアリテイーが底に流れる若き日の友情は強烈でした。真っ裸で屋根の上で日光浴をするシーン、オックスフォード大での酒浸りの日々、アンソニー扮するセバステイアンの家に招待されると 家族用の教会まで付いている広大な屋敷はまるでお城のよう、父親はローレンス オリヴィエ、母親はジーン シモンズ、と言う豪華キャストの英国が誇る大河テレビシリーズでした。 アイアンズは古き良き時代の俳優のタイプで 実に気取っていて スタイリッシュで エレガントにして 良い意味での虚栄心のかたまりです。 “ 私は自分をキャラクター俳優だとは思ってない。メークをして化けるのは嫌いだから ほとんど素顔で出たい。他人の振りをするより自分の中の何かを使って 役を演じている。” “私は背が高く 痩せている。洋服が映える体だ。私の顔は非常に英国の顔で つまり現代風な顔ではない。昔演劇コーチに言われた。もし私が30年前に生まれていたら 巨大なスターになっていたろうとね” こういうコメントを平然と言ってのける態度と自信がしっくりと身に付いているのが アイアンズの最たるところと言えましょう。 始めた会ったのは 「ミッシヨン」(86)と言うロバート デ ニーロと共演した18世紀のブラジルのジャングルが舞台の宣教師達の苦難の話で 何とも 高慢なドラマでした。48歳のアイアンズは 無駄な脂肪が全くない体と鋭い顔 のいかにも自己鍛錬のマスターと言う感じでしたが ビロードのような声と ハイ イングリッシュのアクセントはとびきり優雅にして セクシーで 30歳ぐらいにしか見えなかったのを覚えています。 色々な映画で会見を重ねてきましたが 「ライオン キング」(94)のパーテイーで近くにいた彼に “ スカーの役の声はぴったりでした。” と言うと “ アニメのキャラクターだが スカーは私にそっくりだと思った。ありがとう。” と優しく答えて そっと肩を抱きしめてくれたのです。白いひらひらとしたシャツに 細い同色のズボンが リボンの騎士のオスカルのようで とてもロマンテイックな貴重な思い出です。 「戦慄の絆
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SANDRA   BULLOCK デビュー当時から知っている女優達の生き方を目の当たりにしていると それぞれの性格や育ち 知性 等で色々進路が変わっていくプロセスが何とも興味深くて それこそ私めの “しめしめ特権” と言えましょう。 87年の「ハングマン」からサンドラ ブロックに会ってきてもう25年ですもの。大口開けて 大きな声で話し からからと豪傑笑いをする 大胆で 変な意識をしない 楽しい若手だった。母親がドイツ人のオペラ歌手 父親はアメリカ人で演劇や音楽の声の出し方を教える先生 と二つの文化と躾けの厳しい家庭に育った為か そのげらげら態度が相手に対する思いやりと自分を大したものではないと常に客観的に見る姿勢からのものだとすぐに理解できた。 歌の方はレベルの違いを叩き込まれて 全く自信なし と言っているが 父からは 車の修理から 台所の配管工事 上等なペンキの塗り方 家の増築工事 はたまた 電気配線 と言う日曜大工を遥かに超える技術を叩き込まれ それが又 自分でも大好き と言う実に役に立つ技術の持ち主なのも面白い。 後に何軒か邸宅を持って 自分で建築現場で 色々指図したとか。 「スピード」(94)からめきめき 逞しいタイプの女優として人気街道まっしぐら。クラシックな美人ではないけれども ユニークなルックスとコミカルな雰囲気が相まって  アクション映画でもリアルな動きを見せ ヘミングウェイと恋に落ちる看護婦役 をした「ラヴ アンド ウオー」(96)では静かな佇まいを保つため 日頃の 騒がしい自分を鍛えたと自慢したり 「恋は嵐の様に」(99)のようなロマンテイック コメデイーでは共演男優 (この時はベン アフレック)を立てながらも オリジナルな女性をしっかりと打ち出して サンドラ色は安定していた。 「完全犯罪クラブ」(02)で共演したライアン ゴスリングと年上の女 (16歳の差)のロマンスが発展したが サンドラには 余りゴシップがない。 余りあっけらかんとして 暇があれば 大工仕事をしたり とこか男っぽいために こそこそと情事をしたりするなどとんでもないと言うタイプなのです。 ま 入れ墨だらけのカリスマ バイク メカニックと結婚しましたが サンドラが 勇ましい南部の奥方が黒人のフットボール選手を自宅に置いて 名選手
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WALTER   MATTHAU ジャック レモンの事を最初の回に書きましたが レモンとウオルター マッソーが組んだ「おかしな二人」(68)に始まるオスカーとフェリックスのでこぼこコンビシリーズで私めは 俄然 マッソーのフェリックスが好きでした。ずぼらで いい加減で 細かい事を気にしない大男はおそらくマッソー本人とは異なるでしょうが 2度だけ会った印象では あの耳の垂れたブラッド ハウンド犬そのもので 大型犬の忠誠心に溢れているような  何とも愛すべき俳優でした。本人も言っている様に レモンの方は はせわしく すべてにこだわる ナーヴァス エネルギーの持ち主だったのでオスカー役 と全く同じだったのでは と懐かしく思い出されます。 どこから見てもニユーヨーク出身のユダヤ系に見えますよね。でも 実際は1920年にニユーヨークに生まれてますが 何と父親はカトリックの神父で宗教迫害でロシアから米国に来て そこでユダヤ人の女性と結婚したとか。 ともかくあのしつこさと巨体で相手を言いくるめる弁護士とか教授の役をすると 圧倒的な存在感で 画面からはみ出してきそうでした。 その最たる例がビリー ワイルダー監督の「恋人よ帰れ! 我が胸に」(66)でのいやみな弁護士役でした。これでオスカー助演男優賞を受けています。 “演技などと言うものは 何となくするもので 無理に役に自分をねじ込むとおぞましい雰囲気が出てきてしまうのだよ” などとあのしわしわで あごと首の境目がないような顔で真面目に言ってましたが どこかおかしくて ユーモラスな俳優でした。ユダヤ人の言葉  イェデイッシュ(ドイツ語がなまったような ヘブライ語とは違う庶民的な言語)で立て続けにジョークを飛ばしては ひーひー笑って 全てが喜劇的 な人となりを見せてました。 特にバーブラ ストライザンドとの不仲は有名で「ハロー ドーリー」(69)で共演した時から 彼女の口うるささにうんざりして “ ストライザンドの才能などチョウチョの糞みたいなものだ” とか “ 次に共演するとしたら ぜひ 「マクベス」ですね。あの女優の不協和音とメガロマニアックな性格はマクベス夫人にぴったりだから” 等とほざいておりました。 “ ロバート レッドフォードがする役を僕もしたいのだがね” としれっと言うところが おかし
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BEN AFFLECK 97年の「グッド ウィル ハンテイング」は親友のマット デーモンと組んでの心温まる映画でした。実際にハーヴァード大に行ったマットを立てる様にマットを天才的な頭脳を持つ主役に、自分は気のいいあんちゃんと言う二番煎じの役に甘んじ 二人のパターンはそのまま今も続いているような。 グッドルッキングなのに目がひとつ弱くて 後から「アルマゲドン」(98)、 「デアデビル」(03)などのアクションものに出ても ちょっと頼りがいがないのですよね。人はとびきり良いのに 土壇場で 逃げ出してしまうような。 初めて会ったのはマットと一緒に「グッド.. 」の時でまあそのはしゃぎぶりと 興奮は大学のフラタニテイーそのままでした。 バークレーに生まれてますが 育ちはボストン。ボストン訛りを話し、メジャーリーグのレッドソックスの熱狂的なファンで海外のロケとソックスのビッグゲームが重なると友人に試合経過とスコアを国際電話でチェックするそうな。 マットは基本的に知能的で静かに冷静に行動するタイプ。ベンはフィーリングで動くようで 二人の衝撃のデビューから15年ぐらい経った今 マットは一線級のスター、彼は そこそこのクラスで それでも二人は仲良く いつの日かの再共演のアイデアを交換しています。 グエネス パルトローとのロマンスとか派手に婚約などしてジェニファー ロペスに振り回されたりと女性にはモテモテでしたが 2005年に可憐派 (?)のジェニファー  ガーナーと結婚、現在3児の父で同じく結婚して父親のマットとよくハワイ等に合同バカンスに行くようで 何とも微笑ましい友情です。 「ゴーン ベイビー ゴーン」(07)はベンが監督をした映画でボストンを舞台にモーガン フリーマンが良い味を見せる 面白い誘拐ドラマですし 「ザ タウン」(10)は彼が監督、主演のアクション スリラーで 例の大大好きなレッドソックスの試合中の場面を是が非でも入れたいと必死の説得で 本物の試合と名物スタジアムを背景にスリリングな銃撃戦を展開します。 2010 [ THE TOWN] オリジナルなストーリーとジェレミー レナー (「ハート ロッカー」)とベンの演技が光る良い作品に仕上げてあります。 又今度古い写真と一緒に懐かしいエピソードを書きますね。
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WHITNEY    HOUSTON 1995 [ため息つかせて」フォレスト ウィテカー監督とアンジェラ バセットと。 今年の2月11日に48歳で亡くなったホイツトニーヒユーストンには4回会ってます。ひょろりと背が高くて 細い顔と長い手足は柳腰風 化粧映えがして 実に美しかったし 女優としても雰囲気があったと思いました。スクリーンの上でしっかり画面を所有して 歌手がパートタイムに演技もしていると言う軽い態度ではなかったと寂しく思い出します。 " I ALWAYS LOVE YOU " の曲は 「ボデイーガード」(92)で歌って大変なヒットになりましたが もとはドリー パートンのオリジナルでドリーは巨額のロイヤルテイーを貰ったはず。 お葬式のとき ケヴィン コスナーが大泣きのスピーチをしてましたが そもそもケヴィンがホイットニー をぜひ相手役にと推し スタジオが未経験の歌手が主役をする事に躊躇するのを “僕が面倒を見るから” と保証して さて不安でいっぱいのホイトニーに手取り足取りで コーチ。手持ち無沙汰の時は そばにある雑誌なり コップなりを持ってごらん 等と細かいアドバイスをしてくれたとホイトニーは語っていました。舞台の彼女を抱きかかえて助けるボデイーガードのシーンはセクシーで女性なら誰でもがうっとりとして 私もああいう風に救助されたい!と思うはず。 さて映画に少しばかり自信を持った彼女はアンサンブル キャストの一人として 「ため息つかせて」(95)に出演、ほとんど黒人が手がけた映画で毎日仕事が終わった後 わいわいと食べたり飲んだりとこの上なく楽しかったと会見で楽しそうに話してました。共演のアンジェラ バセットとは先輩として色々教えられ 特別に親しくなり 二人はその後もしょっちゅう会ってはおしゃべりに時間を忘れたとか。 次はデンゼル ワシントンと共演の「天使の贈り物」(96)に出て セクシーな天使(ワシントン)に魅かれる牧師の妻と言うドラマテイックな役どころをしっかり演じ “ デンゼルっておかしな事ばっかりいて 深刻なシーンでも私は笑うのをこらえるのに必死だったのよ!でも本当に素敵で私の大好きなスターの一人で 最初の頃は凄く緊張してしまった。それを見て彼は私を笑わせて 肩の力を抜く様にしてくれたの。凄く感謝して
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DENNIS HOPPER 前に書いたゲイリー オールドマンと状況は違っても デニス ホッパーもアルコールとドラッグ漬りの生活を送った事で有名ですが彼の若い時代は体制に反抗するのとドラッグ使用は同じ目的だったと言えましょう。 ジェームス デイーンと仲良くなった「理由なき反抗」(55)に出演してから 古たらしいしきたりが横行するハリウッドに挑戦と「FROM HELL TO TEXAS」(58)(「向こう見ずの男」)ではヘンリー ハサウェイ監督と衝突して 業界から 追放され (当時の話を色々聞くとハサウェイ自身もサデイステイックだったとか)「イージー ライダー」(69)を監督 主演してアメリカの若者達のヴィヴィッドな生き方を描き ホッパーはニユ−シネマのシンボルとなったのですね。これに気を良くして再び自ら主演、監督を兼ねた意欲作 「ラスト ムービー」(71)を手がけたものの撮影中からアルコール、ドラッグ、銃はぶっ放しとめちゃくちゃな現場となり ホッパーの巨匠気取りは伝説的なものとなったとか。 共演も 「イージー ライダー」から続いてのピーター フォンダにこれが映画デビューのクリス クリストファーソンと破れかぶれの連中が多く 完成作は 支離滅裂、しかし撮影の画面、音楽など 傑作のレベルと言う歴史的な怪作になったのでした。 初めて会ったのは「インデイアン ランナー」(91)の時。ワイルドな面影はほとんど失せて 55歳の年期を見せたベテラン俳優の存在で どことなく恥ずかしそうな 人前でしゃべるのが居心地悪そうに見えました。映画の事より自分のアート、写真とか絵画への情熱を語る時に 満足の表情が伺えたのを覚えています。ショーン ペンの初監督作品だったのでそれだけでも注目された意欲作でした。 最後にホッパーにあったのは 「SLEEP WALKING」(08)と言うシャリーズ セロン主演のスリラー映画で 凶暴な謎の男を手がけた時。 「健康状態はパーフェクト、こういう悪役は馴れた役どころ だから 気楽に演じられるのさ。最近は世界中を回って僕のアートを見せている。けっこう評判で 驚いている。ギャラリーに効果的に作品を並べるのも僕なりのアートなのだよ。」 ちなみに写真集「OUT OF THE 60'S」を87年に出版してい
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TILDA SWINTON 「オーランド」(92)での衝撃的な 女性になったり男性になったりする役はテイルダ スウィントンの為にあったとしか思えないほど 美しくて 近寄りがたくて 超現実的なオーラを放っていました。当時テイルダは32歳でしたが 20年後の今も全く変わらない摩訶不思議な魅力を携えています。 スコットランドの名門の家に生まれ 上流社会の子女が通う学校に行っても “ どうして召使いの子供と違う扱いをするの!” と反抗したりする社会主義の観念を既に持ち  兄弟と同じような行動をとって スポーツにけんかに強くなった おてんばお嬢様でもあり スコットランドの荒野を馬で駆け回って 自然に対しての深い愛情を育んだとか。 しかしそう言う特権階級に甘えず しっかり勉強にも励んで ケンブリッジ大では 政治学と社会学を専攻 それからロイヤル シェイクスピア カンパニー (RSCと略される劇団)に入ると言うエリートコースを辿っています。 「オーランド」で初めて会った時は その背の高さに驚き 全くメークをしない 能面のような 真っ白な顔と恥かしげな態度 そして カーテンを纏ったような ドラマチックにして きてれつな洋服 と全てがエキセントリックで 普通の 部分が全くない ちょっとこわい感じでした。 それから「デイープ エンド」(01)「ナルニア国物語」(03)、オスカーを穫った「フィクサー」(07)など次々に会見をしてきましたが いつも 孤高の人となりを保つ アーテイストなのですね。 もちろん ハリウッド人種のような妙な自己防衛のスタンスなど取らず プライヴァシーでも何でもハキハキ話してくれますが どこか皇族の人と接しているような雰囲気が出てしまうのです。 “小さい時 リボンやフリルがついたドレスを着せられては ズボンの方が良い” と言ったのが微笑ましかった。ちょっとキャサリン ヘップバーンを連想しました。   現在は双子をもうけた夫がありながら アーテイストの愛人 (と言う表現さえ当てはまらない 崇高なものがあるのですが 敢てそう書きます)と暮らし 夫も しょっちゅう 訪れると言う コミューンのような生活をしてるとか。 ハイソサエテイー出身にありがちな わざとレジスタンス風な生き方をすると言うのでもなく 淡々と流れる水に
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ROBERT DOWNEY JR. 1987年の「レス ザン ゼロ」のロバート ダウニー ジュニアはドラッグ 1990年頃   中毒の若者役を鬼気迫るリアリズムで演じ 当時22歳の彼は一躍 エッジー な(ま、崖っぷちの と言ったニュアンスで不安感を感じさせるってな意味)ヤング スターの座に。アングラ映画監督と女優の間に生まれたロバートはニユーヨークで生まれたものの育ちは西海岸のロスアンジェルスでテイーン時代は似たような芸能界2世と一緒に自分こそ次のジェイムス デイーンと鼻の穴を膨らませて 競っていた。 言うまでもなくドラッグはに日常茶飯事でロバートのドラッグ事件は数多く ひどい時は近所の家の子供部屋で寝ているのが発見されたり 84年から8年間も 同棲していたサラ ジェシカ パーカーは彼のリハビリに付き添い かいがいしく世話をしたもののギヴ アップ。ご承知の様にサラはずっと真面目な父ちゃん坊やのマシュウ ブローデリックと後に結婚 「セックス アンド シテイー」でファニーフェースを売り物に人気スターに。ベターな選択をしたと言えよう。 さてダウニーの方はと言うと「チャプリン」(92)でのタイトル役で驚異の 体の動きとペーソスに満ちたチャプリンの姿を再現しオスカー主演男優賞にノミネート。 この時の会見では “撮影の前からチャプリンになりきり 撮影が終わっても なかなか元に戻れなかった。僕には大量のチャプリン要素があると痛感したね” と言ってたが 落ち着かないロバートに相かわらず 何かしているな と思ってしまった。 何回かの会見には 目はどろん 態度は横柄だったり 妙に甘ったれたりという へべれけ直前の状態で現れ 生意気な事をほざいたり もう終わり! 等と勝手な事を言ってよろけたりしていたものだった。 才能が余りある為と常に期待されるが故のプレッシャーとそれをなだめる為の ドラッグ使用だろうが 可哀想とは思えなかった。いい加減にせいと私めは 叱りつけたかったし なめるなよ と憤慨したものだった。 「アイアン マン」(08)「シャーロック ホームズ」(09)と言った イベント アクシオン映画に出る様になって 肉体改造に伴い精神もぐっと安定し スーザンと言うプロデユーサーが妻になり(05)とロバートは今や スーパースタ
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NAOMI WATTS 2000  ごろ 2010 [FAIR GAME] ナオミ ワッツの父親はピンク フロイドのサウンド技師でこのラストネームが最適だったのでは。彼のマニアックな笑い声が「ザ ダークサイド オブ ザ ムーン」に使われているそうな。ナオミが7歳の時に亡くなってしまいましたが。その為に家族が亡くなるトラウマがナオミを襲って彼女が11歳の時に母親はナオミを連れてオーストラリアに移住。 初めて会ったのは あの仰天の演技力を披露した 「マルホーランド ドライヴ」(01)の時。奇才監督 デヴィッド リンチの怪しい物語にぴったりの か弱いようで 恐ろしく逞しい女優志願の役には目を見張るチカラがこもっていました。 “ 売れない時にはお金に困って 四苦八苦したけれど 絶対に 昔の友達のニコール キッドマン (彼女をニックと呼ぶ)のヘルプを求めなかったわ。もちろん ニックは察してそれとなくサポートしてくれたけれど そして私の誇りを傷つけない様にね"  当時のキッドマンはまだトム クルーズ夫人でナオミを招んでは相談に乗っていたそうな。二人はシドニーの女子校のクラスメートだったのです。 翌年からヒース レッジャーと熱い交際が始まりブロンド同士のオーストラリアン カップルとして派手に騒がれる様に。 どこかに線の弱さが見え隠れするナオミは 神経質な女性の役を続けて 例えば 「21グラム」(03)でショーン ペンの相手役を微妙な剛と弱のバランスを見せて ともすれば 独壇場になりがちなペンと堂々の立ち回りを見せていたなど 美人演技派の評判が高くなっていった。 05年からアメリカの俳優 リーヴ シュライバーと交際を始め 翌年には婚約 現在は二人の息子がいる。体の大きい 逞しいタイプの舞台と映画の両方で良い演技を見せるリーヴとナオミの結びつきは安定して 素敵なコンビ。 最近の「J. EDGAR」(2011)ではFBI長官 (レオナルド デイカプリオ) の献身的な秘書を彼に求婚される若い時から しわしわの しかしエレガントな 2011  [J. EDGAR] 老女になるまで ひっそりと熱演している。 ほんの少し険がある美女ですが あまりくだらない事も話さず 自分の領域を わきまえている知的なナ
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DIANE LANE 映画デビューは79年 ダイアン レーンが14歳の時の「ア リトル ロマンス」でパリに住んでいるおませな少女がフランス人の少年に初恋を味わうという懐かしくも 古き良き時代の映画でした。 それからテイーン映画、「アウトサイダー」「ランブルフィッシュ」(どちらも83年)でマット デイロンと共演。 初めて会ったのは「コットン クラブ」(84)の時。ちょうどロスアンジェルス 五輪で街中が沸き立っていました。 79年に美少女スターとして“タイム”誌の表紙を飾った事について “嬉しかったけれど タイム マガジンの格にはそぐわなかったと思うわ。単なる人気者として出ただけで 私のレベルはまだまだタイムの高いクオーリテイーではないもの”と既に物事の本質を見る知性の持ち主だった。 そう言う価値観を持っている為に 美しい女優だけでは満足せずに 色々な映画に出ては試行錯誤を繰り返し フランスの俳優のクリストファー ランベールと結婚して(88年)女の子を授かっても いつもどこか 寂しそうな表情が出てしまうのが 印象に残っています。 2002年の「アンフェイスフル」ではリチャード ギアの妻でありながら 強風のいたずらで 浮気をしてしまうという役をリアルに どこか空虚な胸のうちを繊細に見せて オスカー賞などほとんどの映画賞の候補になり ダイアンの演技力に自信がみなぎってきました。 この年にジョッシュ ブローリンとの交際が始まり すわ!バーブラ ストライザンドの未来の義理の娘候補!と注目され 見事04年にゴールイン。 ジョッシュの 父親がジェームス ブローリンという俳優でストライザンドの夫だからの家族チャートであります。 自信と貫禄が出てきたダイアンはメークもあまりしないで 目尻のしわなどさえ役の上に利用しているような自然な姿勢で映画を楽しむ様になりました。 2010年の「セクレタリアート」ではトリプル クラウンの栄誉を勝ち取る 競馬馬チャンピオン セクレタリアートを育てたペニー チェネリーという女オーナーを熱演。男性ばかりのオーナー社会で女性らしさを保ちながらも 勇ましく 逞しく戦う姿はダイアンならではの役でした。 ちなみに最近の競馬の馬を主人公にした作品で私めが好きなのはこの「セクレタリアート」と「シービスケット」(2003)
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DONALD SUTHERLAND 映画界でも最も多忙な古參スター,一時はあらゆる映画の重要な悪役、政治家、弁護士、謎のリッチマンなどを精力的に手がけていたドナルド サザーランドはカナダ生まれのこの7月で77歳。 目下アメリカで超大ヒットの「ハンガー ゲームズ」ではエリート国の首謀者みたいな役をいつものとうり エレガントに 佇まいで権力を漂わせて演じています。 この写真を撮った日は ドナルドの目の血管が破裂したとかで海賊もどきの黒い眼帯をかけて現れました。長い白髪を眼帯がまるで役のまま出てきたみたいですが その辺りが彼なりのダンデイズムだと思われます。 「KLUTE] (邦題  「コール ガール」)(71)ではジェーン フォンダと共演 (当事 実のガールフレンドだったのです。),  [DON'T LOOK NOW] (邦題 「赤い影」)(73)という私めの大大好きな英国の女流作家ダフネ デユ モーリアの原作の映画化は ベニスで起こる世にも不安な出来事を赤いずきんの女の子などちらほら登場させて その恐怖を頭から取り除く為にジュリー  クリステイーと激しいラブシーンを見せて話題になりましたし 「普通の人々」(80)とか息子のキーファー と共演した 「A TIME TO KILL」(邦題「評決の時」)(96)などなど 良い作品がたくさん。    愛犬ジャック ラッセルの “ポーキー”をどこにでも連れて行き “人間で言えば90歳で僕より年寄りなのに 凄く元気なのだよ!” とご自慢なのでした。数年前のポートレートにポーキーと並んで座っている とっても素敵な写真があったのを思い出しました。 2012 [HUNGER GAMES]
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NATALIE PORTMAN 「レオン」(94)の撮影の時 ナタリー ポートマンは12歳 完成後のインタヴユーでは13歳だったが 頭は鋭く 美貌も完璧で 凄味さえ感じてしまった。 1996「ビューテイフル ガールズ」の時。シャープで可愛らしい。 エルサレムに生まれ イスラエル人の父親は医師、母も教師とインテリの家に育ち 当時は “ 大きくなったら世界中の恵まれない子供達を治療するシュヴァイツアー博士みたいになりたい。そうでなければ不治の病気を研究する医師か 女優より 父の仕事を継ぎたいもの。” と頼もしかった。 それから2年後の「ビューテイフル ガールズ」の時も “マデリン オルブライト長官みたいに世界中を飛び回って活躍する外交官になりたいな。ヒラリー クリントンは 私の憧れ” と今度は政治に情熱を見せ 同時に共演のテイモシー ハットン(ほとんど20歳年上)にお兄さん以上の恋心を見せていたのも懐かしい。 ハーヴァード大では精神学を専攻し 言うまでもなく トップの成績で卒業、この頃になると 女優業を通して “世界中の恵まれない母親と子供達を助ける” 為に独自の基金を設け 実際に何度もアフリカなどを訪れて 積極的な活動を始めている。 という超まじめな生格だけに セクシーさが今ひとつ と役に制限があって ぱっとしなかったっが 「ブラック スワン」(09)のプリマ バレリーナ役 で見事にオスカーを始め ありとあらゆる賞を受賞。 “小さいときバレーをしていたし 今の撮影は技術でカバーしてくれると思ったけど やっぱり自分のベストを尽くさなくては と1年がかりで一応のバレリーナの動きを猛練習 それから体をほぐす為に水泳を毎日2時間ぐらい 孤独感を味わう為と実際に時間もなくて この間は携帯も持たず 友達との接触はゼロ。それでも まだ自分では満足してないのよ” という執念のがんばりやだが なんとこのバレー特訓を助けたフランス人の振付師 ベンジャミン ミルビエと恋に落ち 妊娠。2011年に男の子を出産。 2010 この写真は妊娠初期のもの。柔らかい表情が愛らしい。
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JULIETTE BINOCHE フランスの女性にしてはどこか骨太でお世辞にもシックとは言えない洋服のセンスの持ち主ですがジュリエット ビノシユはマイ ペースで逞しく生きているタイプ。 英語も上手で自分でもハリウッドの映画に出る為に積極的に英語を練習し たくさんのアメリカ映画に出ています。カトリーヌ ドヌーヴ等の1世代前と違って マリオン コテイヤールとかジュリー デルピー、オードリー タトウなど最近の 2002 「シェフと素顔と美味しい時間」美味しそうな?ファツシヨン。 フランス女性はどんどん進出してきますがフランスの男優はまだ踏みとどまっているみたい。 この3月に48歳 「存在の耐えられない軽さ」(88)、「ダメージ」(92)でのジェレミー アイアンズとのカーテン レールにつかまっての激しいベッドシーン、「イングリツシュ ペイシャント」(96)では包帯でぐるぐるのレーフ ファインズの看護をする女性、「ショコラ」(00)ではジョニー デップの相手役と華々しい活躍を見せてましたが 最近はヨーロッパの小作品が多くなったよう。 話も気さくにするし 飾らない人柄がチャーミングですが 今までの会見に 2000 珍しくシックな時。 何度も実に変なかっこうをしてきて それがまた彼女らしいと言えましょう。
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RALPH FIENNES   Ralph というスペルでレーフと読ませるのはアイルランドの習慣でレーフ ファインズはイギリスのサフォークで生まれましたが家族の伝統を守っての誇り高き名前 なのです。 ロバート レッドフォードが「クイズ ショウ」を監督した時 東海岸の名家の息子の顔を持ったアメリカ俳優が見つからず レーフに白羽の矢が当たったと。 2011ちょっとお疲れのレーフ ファインズ ブルース ウィリス、アル パチーノ、ジョン トラヴォルタなどなど当時の人気スター達はどれもブルーカラーの顔で 正統派の オールアメリカンの顔はもてはやされなかったのです。レッドフォードは自分自身かポール ニユーマンをイメージしてたのですが何といっても年を取りすぎていたわけ。 初めて会ったのは「シンドラーのリスト」(93)でサデイステイックなナチの 将校を演じた時.役作りのために太ったそうでしたが会見のときはスリムな長身に上品な 目鼻立ちの繊細そのものの俳優で詩人かピアニストみたいでした。 それから20年 大作の度に会見で会ってきましたが常にエレガントで耳に心地よい声と格調高いアクセントを使う貴族的な存在を見せます。 「ヒットマンズ レクイエム」(08)の原題は "IN BRUGGES"    と言って 英国映画お得意の馬鹿な悪党の喜劇なのですが レーフは悪党の親分の役で 世にも汚い言葉を連発して 彼のイメージとかけ離れているのが凄く効果的で 面白い映画でした。 最近は「ハリー ポッター」の蛇男役で不気味な存在を見せてますが しっかり 創作意欲も見せた「コリオラナス」(11)では初めて監督を手がけ 主演も兼ねて評価を集めてます。 素顔はスターぶらず あくまで アーテイストとしての崇高な姿勢を保つ優雅な人で 時折 自己軽視のユーモアを混ぜての洒脱な会話をしてくれます。
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SCARLETT   JOHANSSON スカーレットという名前にぴったりの華があるヨハンセンに初めて会ったのは 「モンタナの風に抱かれて」(98)、まだ14歳の時.ロバート レッドフォードは馬に乗れる少女を捜して この鼻っ柱の強いスカーレットが獲得。 “私 色々手作りの物を創るのが大好き.今はアクセサリーに凝っていて自分が付けているのは全部お手製よ.友達にも作ってあげたり。” 等とあっけらかんとして 全く緊張したりしない生まれつきのパーフォーマー でした。8歳にしてブロードウェイの舞台に立ったほど 女優精神のカタマリで 見ていても気持ちの良い打ち込み様で 「ゴースト ワールド」や「バーバー」 両方とも2001年では 漫画お宅 や 中年男を誘惑するようなませた女の子 を恐ろしくも 可愛く演じてました。 「ブーリン家の姉妹」(08)ツーショットが今 見つかりません。 2001年頃 まだあどけないスカーレット ウッデイー アレンのミューズとなり 続けて「マッチ ポイント」(05)や 「タロットカード殺人事件」(06)、「それでも恋するバルセロナ」(08) に主演、切れの良い演技とコケテイッシュな姿はアレンの好みにぴったり。 08年にカナダ出身の若手スター ライアン レイノルズと電撃結婚、以来 マスコミから距離を置くようになり さらに2年で離婚してもっと警戒する様に なりました。 2010年のブロードウェイ劇「橋からの眺め」では禁じられた恋をして所有欲 の強い父親と激しく争う娘を熱演してトニー賞を獲得.この舞台を観ましたが 実は私めが大学時代 英語部と演劇部に属していて この劇を英語ですることになりなんとスカーレットがした役を私めがしたのであります.思い出すのも恥ずかしい舞台経験でしたが 感慨深かったのは確かです。 最近は「アイアンマン2」(10)とか「アヴェンジャーズ」(12)などアクションものが多くて何となく寂しいと思うのですが。
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HELEN MIRREN デビュー当時のヘレン ミレンはとびきり蠱惑的で 美しい全裸姿を惜しげもなくさらして跳び回っている画面がたくさんあります.ヨーロッパの俳優はヌードに ほとんど抵抗を持ってませんが ヘレンの場合は 監督も興奮状態でもっと!もっと!と叫んでいるのでは と見られるフシもあったり。 彼女の妖しい魅力と険しい美貌はロシア系ゆえで本名はイリエーナ、それがヘレンになったようで、若い頃はバレリーナを目指していたそうです。 今年の7月に67歳になるのにたるみの全くない体を保っているのはその時の 1994「英国万歳」 鍛錬と女優としての姿勢でしょうが 前に会見で ” 私はズボンが大嫌い.足の形が良くないからズボンをはくとかっこうがとれないの.スカートだとなんとかつくろえるのよ” とよく分からない事を行ってました。おそらくスラックスのヒップから膝の線に 自信がなかったのかも。それから気をつけて彼女のスタイルを見ると本当に 長めのスカートばかり。つい1年ぐらい前ビキニ姿が雑誌に載ってましたが きゅっと締まったウェストと豊かな胸が素晴らしかった。 インタヴユーでのヘレンはがはがは笑いながら 肝っ玉マダムの様に磊落に 気楽に話をして 知的で洗練された女性の極上の見本を見せてくれます。 英国女王、それも現在のエリザベス2世を演じてオスカー賞を受けても ぎたぎたのハンバーガーで知られるダイナーに夫君と通い 最近の映画 「デット」(11)ではイスラエルの猛烈に強靭な秘密警察 モサッドの女スパイ役を蹴ったり 殴ったり 撃ったりのアクション場面も しっかりこなして いや本当に 体当たり演技を喜んでいるようです。
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JAMIE  BELL この3月14日に26歳になった我らが “ビリー エリオット 永遠に!” の ジエミー ベルは今もほとんど毎日 ダンスの練習をしているとか。 男の子がバレエをするって どこか健気で 愛らしくて 勇気があって 母親だったら 抱きしめてあげたくなるけれど 父親だったら やっぱり 首をひねってしまいます.ミュージカルに出てくるその他大勢の男性ダンサーを見る度にどんな 家庭に育ったのかなーと考えてしまうのは私めだけではないでしょう。 ジェミーにはエリオット以来たくさんあってきましたが 勿論リトル ダンサーのイメージをかなぐり捨てるのに夢中で 兵士 とか 小悪漢 ドラッグ中毒者のような役ばかりして その過程も 何とも微笑ましいばかり。 「タンタンの冒険」(11)ではやっと可愛い少年探偵の役 (といっても モデルですが)に挑戦 スノウイーという愛犬と大冒険を見せてくれました. 一番最近の 「マン オン ア レッジ」というアクション ドラマでは サム ワージントンの弟で得意のバレーボデイーを活かしてエレベーター のシャフトから出入りしたり 金庫を開けたりするドキドキハラハラの役を 演じています。 2011  「THE EAGLE」の時 次にもっと写真を載せます。 顔も体もまだ少し少年ぽいけれど 表情や話し方はすっかり男らしく頼りがいのある好青年でこれからもどんどん良い役者に成長して行く事 間違いなしです.
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RUSELL CROWE この4月7日に48歳になったラッセル クローは男っ気満タンの無頼漢を志しているような時と知性と陰影に溢れた古典劇の役者の時とがミックスした誠に面白い俳優です.まず声が低く渋いトーンで 多少ご面相がまずくとも 太り気味でも 傍若無人でも そんな事はどうでも良いスーパー セクシーな魅力がこちらを目がけて突進してきます。 頭に来てホテルのフロントに電話機を投げつけた とか プロデューサーを壁に押し付けて悪態を吐いた などは 翌日のベスト演技へのフォアプレイとでも言いましょうか.体中で感情を表現する為の予行演習なのです。 94年にシドニーに行った時 父親に打ち明けられずに苦悩するゲイの息子役(!!)を演じた「サム オブ アス」という映画が上演されていて 当人に会ったのです。すでに問題作 「ロンパールーム」でネオナチの役など演じて自信満々の30歳でした。ニユージーランド生まれというのも強がりの理由だったかも。 「クウィック アンド デッド」(95)ではシャロン ストーンを相手に貫禄の カウボーイをひょろひょろのレオ デイカプリオを従えて熱演、その時の会見では ”ハリウッドに来るのが僕のゴールだった” と神妙な表情を浮かべてましたっけ。 それから「グラデイエイター」(00)の逞しいローマの将軍役で世界的な強いタイプのスターに.ローマのエンペラー役のワーキン フェニックスがひねくれた もやし型でラッセルに対する妬ましさ 憎悪 憧憬 底に流れる同性愛 を巧みに見せて 最高のコントラストでした。 同じ年に「プルーフ オブ ライフ」で共演したメグ ライアンとロマンスが始まり 世界的スキャンダルとなり ここからラセッルはマスコミに対して激しく 反抗的になり 実際は 大きな心を持つ 磊落な人なのに 少しでもプライバシー のことを聞くと 席を立ったりします。そのあたりの我慢のなさも 彼の魅力と私めは受け取ってます。 ジョークはシャープでおかしいし 口ずさむ歌は プロ顔負け オーストラリア には広大な牧場があって ここで牛と馬の世話をし 下らない都会の雑音を 一掃するのだそう.大きな子供みたいなラッセルなのです 2010   「ロビン フッド」
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ROBERT WAGNER 1930年2月10日デトロイト生まれですから今年80歳 去年は例のナタリー ウッドのボート事故死の重要参考人として又騒がれてましたが 周囲の人たちが お金の為に蒸し返したようで 結局何の沙汰もなし。 ともかく50年代のワグナーは目を剥くような美少年ぶりで わたしめも 「炎と剣」「折れた槍」「白い羽根」− 3本とも1954年公開− 等の相手役より美しい彼をうっとりと眺めておりました。 裕福な家に生まれたなりのハングリーさが無い 甘いハンサムだったせいもあって 俳優としては2流どまり それにしても 銀幕から華麗な光を放っていました。 後にトロイ ドナヒューが取って代わりましたが 時代はジェームス デイーンの 反抗的で影のある若者タイプに人気が移ってしまいました。 今の映画にワグナーとジャネット リーみたいな綺麗な王子様とお姫様の映画を作ったら コメデイー か ホラー映画になってしまう.何となく悲しいですね。 映画で美しい人たちが繰り広げる楽しいドラマを見て現実をひととき忘れるのこそ 気晴らしのベストなのに。 最近のワグナーは老人用のコマーシャルに出て相変わらずの甘い顔をほころばせ 深い 格調ある声を武器にしてますし、テレビの人気シリーズ NCIS という海軍の特別班の犯罪ドラマに時々 謎の父親役で顔を出して 往年の美男が綺麗に年を取ったシニアのお手本としても注目されてます。 2010 さすがアメリカの栄光の時代に生きていた為 挨拶から紳士的な物腰 女性に対するエレガントな姿勢がしっかり身に付いて その上リッチさがいとも自然で 例えばさりげなく自分の馬で乗馬に出かけるとか ほとんど動かないでテニスをするとか  それは それは 素敵なワグナーに会う事が出来ました。
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GEORGE CLOONEY 有名な歌手のローズ マリー クルーニーが伯母上で売れない頃は彼女の家のクローゼット(といってもアメリカ版はゆうに4畳ぐらいある)で寝起きしていたとか.若い頃はにやけたハンサムであまり売れず下積生活が長かったのが今のジョージ クルーニーの社会活動家の基になっているのかも。 2011 THE IDES OF MARCH 「ER」(1994−)でめきめき人気が出てきたときに初めて会ったが 妙に頭を ぐらつかせて それがちと気障に見えたが 後でこれは緊張すると出てしまう テイックの症状だと説明してくれた.今も時々やっている。 頭の回転が速い上に 堅苦しい状況を嫌うあまり すぐにおちょくったり おばかなジョークでごまかしたりするのが今やトレードマーク.撮影現場で 家で 友達や共演者にいたずらを仕掛けるのでも有名。 親友のマット デーモンが役の為に減量している努力を見て 折しもジョージの イタリーはコモ湖畔のヴィラに滞在中だったため ジョージはメイドに マットの ズボンを毎日 少しずつ つめるように言い 好物のパスタやワインを我慢して いるマットが浮かない顔で毎朝 部屋から出てくるのを見てはほくそ笑んでいたとか かなりの努力と機転を伴ういたずらが大好きなのである。 自分の美貌ぶりにも辟易しているところがあって 映画の役をする時はいっさいメークをしないし 普段もひげぼうぼうで現れたりするのも へそ曲がりの面白い性格です。 テレビのアンカーマンだった父親の影響でしょうか、社会問題に深くかかわり合う姿は今のジョージの効果的なアピールになって スターとか監督という他に アフリカで難民を救い その窮状を国会で訴える立派なアクテイビストでもあります。 ガールフレンドを定期的に換えるのも 一度の結婚に懲りて と釈明してますが 自由の身を大事にしていると見ました。 最近の制作、脚本、監督、主演を兼ねた「 ジ アイズ  オブ マーチ」(THE IDES OF MARCH) が「スパーテユースデー 正義を売った日」という邦題になってびっくり。 大統領選挙のドラマですが 原題の意味は イタリア語で3月15日、この日に シーザーが死ぬと予言者が言い これを無視した当人が本当に暗殺されてしまった為の 運命の日
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GEORGE HAMILTON 1960年の「肉体の遺産」−凄いタイトル!ーを見て強烈にハンサムなジョージ ハミルトンに そして同じファーストネームの ジョージ ペパードのより頼もしいいタイプの両方に憧れを持って30年。ちなみに原題は ”HOME FROM THE HILL" と言い父親がロバート ミチャム、母親がエリノア パーカー、ペパードが 妾腹の息子、ハミルトンは実の息子というMGMお得意のスパー メロドラマでそれはそれはスターパワーにあふれた娯楽大篇でした。 本場ハリウッドで本物のジョージ” 永遠の日焼けダンデイー” に会う事が出来て そしておしゃべりがかなってこれぞ仕事冥利! 面白い事に娘も「ドラキュラ都へ行く」(79)をみてすっかり彼の美男ぶりと コミカルな吸血鬼を好きになって母娘がこういう軽いハンサム タイプを好むのも 興味深いことです。原題は「ラブ アット ファースト バイト」(一目惚れのラブ アット ファースト サイト をもじっている)とずっとウィテイーなのですが。 フィリピンのイメルダ マルコス夫人とのロマンスも彼らしいし プレイボーイとしてたくさんの有名女性と浮き名を流したのも彼ならではの絵になっていたし。 さてハミルトンに会ったのは「ドク ハリウッド」(91)の時で51歳にして 変わらずのスターオーラが凄く スリムな体も日焼けも全てがスタイリッシュ。 注目されるのが彼の美意識を刺激するに違いない自意識も豊かにして もう自然体のスターぶりでした。 1991年頃 ジョージ ペパードは亡くなりましたがこちらのジョージはまだまだ現役で 先週メンフィスに行った時 ワンマンショウを舞台でしていました。 そう彼は1939年にメンフィスで生まれたのでホームタウンでの上演だったのですね.レネー ゼルウェガーが彼と母親のおかしな生活を描いた半自伝ドラマ にでいましたっけ。
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COLIN FIRTH 「英国王のスピーチ」(10)で見事 オスカー賞を穫ったコリン ファースはそれまでアイルランド出身でもっと威勢の良いのコリン ファレルと間違えられてはていねいに違いますと相手をがっかりさせてきたとか。 今は立場が逆転 コリンと言えば英国王の威厳ある俳優と名前も顔も知られてきました。 2ポスト前のゲリー オールドマンがスパイの役をした「裏切りのサーカス」に触れましたが コリンが84年に映画デビューした「アナザー カントリー」は 「英国王のスピーチ」2010 名門イートン校で芽を出す同性愛と母国への裏切りを描いて ルパート エヴァレットが後に悪名高くなったソビエトとのダブル スパイを演じたのです。 コリンはこの主人公の友達役で舞台でまず演じて映画の役を得たとか。 コリンに初めて会ったのは「恋に落ちたシャイクスピア」(98)で既に格調と 貴族的な雰囲気を漂わせて 話し方もていねいで控えめ、つまりあまり面白くない俳優でした。 「マンマ ミーア」(08)でギラギラの衣装に高いプラットフォーム靴をはいて歌って踊った頃から 肩の力が抜けて 俳優としても くだけてきたみたい。 「シングルマン」(09)のスタイリシュなゲイの教授の役もオスカー候補に。家も家具も洋服もアクセサリーも趣味が良くて その中で苦悩する主人公をエレガントに演じてました。 マンマ ミーア (2008)ギリシャで。 どこかに書きましたが「英国王....」の中で燕尾服を着て夜会に行く前に娘達にペンギンのお話をする暖かいシーンのあのお話はコリンが自分の子供の為に創ったのですって。イタリー人ならではの情熱的な奥方を心から愛しているちょっぴり 尻に敷かれた旦那様でもあります。
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RENEE   ZELLWEGER このゼルウェガーという名前はスイス人の物で父親はスイス人、母親はノルウェイ 人とヨーロッパの2世という訳で普通のアメリカ人女優とはどこか違うパーソナリテイーを持っているのです。 大変に貧しい家に育ったから豚の世話とか当たり前で その辺りが逞しいし しつけが厳しかったため とても気がつく 親切で お行儀もよく 少し知り合いになっただけで 100年前からのお友達のようにくついてきます。犬が大好きで レスキュ−ドッグをいつも何匹か抱えていますし 犬の検疫が厳しい英国のロケの時は家の愛犬達と国際電話で毎日 “会話” を交わすそうな。 「コールド マウンテイン」では山娘 (山男という言葉があるなら 女性用もあるのですよね)を熱演して 見事オスカー助演女優賞を穫りましたが 深窓の 令嬢のようなニコール キッドマンと大木を素手で転がしたり 動かす場面で 二人とも ばっちりかぶれてしまい 何日も ひどい痛がゆさ だったとか。 美人に見えたり 不美人に見えたりするあたりが独特の魅力ですが ブリジット ジョーンズの役の為に30キロ近く太って スイスのハイジのお姉さんみたいに 健康的で 可愛いのに 撮影が終わると すぐにダイエットとエキササイズに まっしぐら. しっかりスリムになってデザイナー ドレスを着こなして レッドカーペットをしゃなりですが もう20回ぐらい会っている経験から 言いますと かなり自分の容姿に自信がないみたい.何となく見ていると 辛いときもあります。   2006 「ミス ポター」の時 男性運がないのも自分で吐露していますが スターって 図太い神経が要るのだなーとつくずく思います。
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GARY OLDMAN イギリスの役者の伝統を踏んでゲリー オルドマンはひどいアル中だった.ずっと前のインタヴーで ”体中の血液がどんどん出血して死にかけた” とかもっと恐ろしい事を平然と白状し こういう地獄から帰ってきたタイプはほとんど天才か 狂人だなと痛感。 90年最初の頃、「JFK」「ドラキュラ」の時は人を食った会見なんてバカバカしくてやってられないぜ!という態度でそれがまた ああいう予断できない俳優の サスペンスにつながり ウマ サーマンなどの大美人女優が結婚するのも分かるような 独特の魅力があった。 何しろ凝るタイプで例えば最近の「裏切りのサーカス」のベテラン英国スパイの役の眼鏡を100軒ぐらいのお店を訪ねてやっと探し当てたとか.それも自分では絶対に言わず共演のコリン ファースが暴露したのです.“ゲリーの執念には驚いた” とね。 [RED RIDING HOOD]   2011 ワタクシの尊敬する友人は大の西部劇、英国スパイもの 等に膨大な知識を持っていて 最近の映画の中途半端なあたりに不満を訴えていらつしゃるのですが 私めも この邦題名にはがっくり. 英国の名優にして怪優でもあるアレック ギネスがずっと昔テレビシリーズ「テインカ− テイラー ソルジャー スパイ」(映画でもこの原題を使っている)でゲリーが演じたクビになるスパイをカルト級の評判にしたので ゲリーはこの役を手がけるかどうか かなり逡巡したそうです。 この変な題は子供用の歌の一種で韻を踏んで色々な職業の言葉を覚えさせ るのですが本当は スパイの代わりに セイラーがくるのです。ま 西洋の 幼稚園の歌まで知るのは大変ですが それを知ると このタイトルのこわさが 分かりますよね。 大好きなジョン ルカレが原作者で彼も英国諜報機関につとめていて 本部がロンドンのケンブリジ サーカスと言うところにある為 業界の隠語で 会社(?)をサーカスと呼ぶのです。 いろいろ書いているときりがありませんが007も “ケンブリジ4” という有名なダブルスパイ(生まれの育ちもエリートのスパイがロシアに情報をあげて後に亡命したり 騎士の勲章を取りあげられたりの現実に会ったスキャンダル)もこのサーカスに勤めていたのです。 2010「ザ ウオーカー」の時。
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ETHAN HAWKE 2 先日書いたイーサン ホークのスペルを間違えていたので直しました.娘が指摘してきて。 色々なところから写真はまっすぐ データはきちんと など助言をいただいて感謝しております。 ファイルを探したらイーサン ホークの写真が2枚出てきました。 おそらく「リアリテイー バイツ」(94)と「大いなる遺産」(98)の頃だと思いますが 私めが同じブラウスを着ているのがおかしいです。イーサンのボーイシュな雰囲気に合わせてなのか、いずれにせよあまり着ない中国風のブラウスを 着ているのは大いなる疑問であります。 1994? 1998? イーサンのファンの方の為にアップします。どちらの髪型がお好きですか? どっちも似合って可愛いですよね。
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MICK JAGGER 1943年7月26日に生まれたミック ジャガーは4歳の時にキース リチャードに会ったそうな.今年で69歳! 「フリー ジャック」(1992)というアクシオン映画のセットで会ったときも 「ザ マン フロム エリージアン フィールド」(2001)というアンデイー ガルシアと共演した映画(なんとミツクはご婦人方のエスコート ビジネスを経営している上に まだ時々現役という片腹痛い役どころ)ともう一つ 映画音楽を担当した時(何の映画だったか全く覚えてませーん)とたぶん合計3回 会ってますがいつも紅茶を注文するのです。 ロング ジョン ボールデイーの ”エヴリシング ストップス フォー テイー” という面白い歌をごぞんじですか.英国人がどんなに忙しくても必ず紅茶を飲む習慣をおかしく歌ってていますが (私めの大好きな曲のひとつ) ミックもとてもていねいに紅茶のカップを取り上げて美味しそうにたしなんで 何かシックで格調が漂ってました。 “表紙に載るのだったらページ17でナニを書かれようとも構わない” と言う自己 宣伝をウィテイーに表現するところがまた憎い。 モーツアルトのドラマ「アマデウス」(84)のサリエリ役にオーデイシオンしたものの落ちてしまい あの F.マレー アブラハムがオスカー賞を穫ったのでした.かなり真剣に俳優を志しているのです。 「ネッド ケリー」(1970)という映画ではオーストラアリアの有名な暴れん坊を主演、ミックのキャラクターを良く活かした誰も見てない作品で 後に本物のオーストラリア人のヒース レジャーが2003年に同じ題の映画 に出て居ます.あの若くして急死した演技も人となりも素敵だったヒース レジャーです.今度ヒースの事を書かなくては! 2001年  ともかくミック ジャガーはヒヨウヒョウとして 足を地につけてないような つかみ所のない楽しい人でした。
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BARBRA STREISAND バーブラ ストライザンドはお稲荷さんが大好きなのですよ.あの皮がたまらないと.以前彼女のお屋敷の庭に蒔く水道代が普通の人の月給ぐらいの額だったのを妙に覚えていたり このいなり寿司と良いまことにどーでも良い事ばかりが朽ち果て続ける脳細胞からこぼれてきます。 さて不思議なスペルのバーブラに初めて会ったのは87年の「ナッツ」というリチャード ドライファスと共演した映画の時.薄暗いレストランで写真はお顔の 1987 左側のみ 傍らには香りの良い白い花を置いて.ガーデニア、クチナシ(ヒエーー花の名まで忘れてしまった) 頭が飛び抜けていい人ですから会話はウィッテイーで速いペースで進みます。 肌と手が美しくたくさんの写真にしっかり手を見せているのも心憎い美への 執着でしょうか。 この後自分で監督、制作、主演した「サウス キャロライナ」(91)と 「マンハッタン ラプソデイー」(96)でも会見しましたが最初の作品には ニック ノルテ、次にはジェフ ブリジェスを相手役に選んで しっかり自分の好きな男優とラブシーンを企むのです.こういう風に権力と行使するのって良いですねー.わたくすも制作、監督、脚本、主演が可能なら大好きな男優を狙いますもの。 そしてノルテもジェフもバーブラの才能を褒めちぎるのでした。しばらくして 同じタイプの(しかし上の二人程有名でない)ジェイムス ブローリンと結婚してしまうのですから。 アクロバテイックな歌い方を好きな人はとことん好き 嫌いな人も多いいし ユダヤ系の鼻はほとんどの場合若いうちに整形してしまうのに彼女は頑として誇り高くそびえさせ その為に彼女の主演作を敬遠する人まで居るというのに 毅然として我が道を行く。見習いたい女性の生き方の一つです。
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GWYNETH   PALTROW GWYNETH   PALTROW    2010 " COUNTRY STRONG" グイネス パルトローはエレガントで賢くて演技も上手。 初めて会った「フレッシュ アンド ボーン」(93)の時は19歳で育ちの良い 柔和なお嬢様のようだったけどそれから見る見るうちにスター女優に。 例えばクリスマスにどんなプレゼントをあげたら良いかしら?なんて言うどうでも 良い事を聞いても”うーん.マチスとかピカソのきれいな本とか ろうそくなんて 気が利いていると思うけれど”なんてしっかり答えてきたり とあるプロデユーサーは彼女に別荘を貸したら ベッドのシーツやタオル、台所も しっかりきれいにして帰って行ったと感心していたし 田舎者のブラピにオペラやウェストエンドの舞台の楽しさを教えてあげたり ベン アフレックとデートしている時は先輩としてハリウッドの仕組みを 説いたり ある時は会見にやけに瑞々しい姿で現れたと思ったら 後からベンが 照れた顔で部屋から出てきたり この二人が共演したホームドラマ(題名さえ思い出せないほどつまらない映画)で使った家が当時私めが住んでいたウッドランド ヒルズのすぐ近くだったり 懐かしい思い出がたくさん。 昨日 母親のブライス ダナーに「ザ ラッキー ワン」という映画の会見で会ったら “グエネスの方がお料理も上手だし 小さい時から物覚えが良くてアクセントなど すぐにものにしてしまって。だからこそ『恋に落ちたシェイクスピア」に出た時は たくさんの人が彼女の事を英国人だと思ったのよ.何もかもを簡単にこなしてしまう才能にあふれている娘に感心するばかり” と誇りと愛情に満ちた表情で言ったました.ブライスも69歳とは到底思えない程若々しく品があってハリウッドでは珍しいマナーを心得た究極のエレガントな母娘だなと思いました。 最近のグエネスの活躍ぶりはまたあとで。
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TOM CRUISE 100万ドルのスマイルを嫌な相手にもトイレを我慢しているときでもピカピカと 浮かべるトム クルーズ.今年の7月に50歳になると言うのに 相変わらずの 張り切り120%ぶりで端で見ているだけでこちらは疲れてしまうやら 大口あんぐりで感心してしまいます。 トムとの歴史は長くて複雑.初めて会ったのは「レジェンド」(85)の時.若き外交官のようにそつなく チャーミングな25歳でした。それから次々にヒット作が出て彼のスーパー上昇モードを目の当たりにし 「デイズ オブ サンダー」(90)では敬愛するポール ニューマンに続いてレーサーの役、おまけに共演の ニコール キッドマンと恋に落ち 世界の大将の気分の時 私めは週刊文春の記事の為に1対1で彼に会い “難 読症の状態でレースをするのに具合が悪い事 とか危険はないですか” と質問.トムが字や物が反対に見える難読症でお勉強が今ひとつだったのは 知られていましたし。 2008「ワルキューレ」の時。 トムはむっとしてしばし無言。 “レッツ ターミネート デイス インタヴユー!” しっかりキッスも。 と言って部屋を出て行こうとするのです.こちらは唖然として冗談かと思いましたが トムは真剣で傍らのアシスタントに終わりの合図。 当時の私めはハリウッドの記事を山のように書いていたので このような扱いに 我慢できるか!とこちらも多少頭でっかちでした。 文春の編集長は名物の花田さんで”おーおもしろい!ターミネターで記事にしよう” とトムの驕りぶりを書いたのです。シュワちゃんの同名の映画が流行っていた時でしたから。 勿論それからしばらく私めはブラックリストに載ってしまいました。 そう言うハリウッドの厳しい掟に付いてはまた後日.後にまた違うスターに 嫌な事を聞いて 再びブラックリストされたりとバカバカしい思い出は付きませぬが。 それから1年ぐらいたって トム自身は何しろ政治家のような人ですから 何もなかったように謝ってきました。勿論私めもこちらも悪かったと言って。 今は まずしっかりハッグしてから “お嬢さん 元気?”ときまって聞くのです。 いつかもっとトムとの諸々の話を書きましょう。
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MATT DILLON   マット デイロンは「アウトサイダー」(83)とか「フラミンゴ キッド」(84)「ドラッグストア カウボーイ」(89)などとたくさんの話題作に出て 一時は人気スター街道一目散、キャメロン デイアスとも長く付き合って派手に騒がれていた時期もあったけれど もともと芸術家肌の人ゆえ スターの位置などに全く興味がなくなったようで 今は監督を手がけたり 誰も見ないような独立系作品ばかり選んで 同時期にスタートしたトム クルーズと180度 反対方向に行ってます。 こだわりの人で例えばヴィニールのジャズ レコードを倉庫いっぱいコレクシイオンしたり車を使わないでどこにでも歩いて行ったり 自然体を尊ぶ生き方を選んでいるみたい。 色々な女性とデートしてもゴールインしないし 話をしているととっても面白いけれど どこかに距離を置くタイプなのですね。 弟のケヴィンはテレビの人気番組「アントラージュ」でおばかな売れない俳優を演じているコメデイアンでずっと目立ちだして 今やデイロンと言えばケヴィンの方が有名だし マットと言ったらデーモンばかり。 1989 MATT DILLON 今年の2月に48歳になったマットですが「クラッシュ」(04)の警官役でアカデミー賞にノミネートされた後 あまりスクリーンに登場しなくて 寂しい限り。
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FAYE   DUNAWAY 「俺たちに明日はない」(67)の原題は「ボニー アンド クライド」で私めの ニックネームがボニーだった事とフェイ ダナウェイの圧倒的なオリジナリテイー にすっかりファンに.細い体に左右不対称な危なげのある顔、ブラをせずにブラウスの下でうごめく乳房も計算に入れたスタイルはドリス デイやサンドラ デイの健康的で可愛いタイプがもてた後 とびきり新鮮で衝撃的でもありました。 本人も優しい答えなどトンデモナイとイキガッタ態度で自分の主張を貫く逞しい姿勢を保ち さぞかしトラブルメーカーだったろうなと思ったり。 3回ぐらい会いましたが90年の終わり頃から 整形手術に凝って 顔が引きつり 元の顔でなくなってしまい それまで尊敬したいた私めは 彼女のガッツはどうして自然の顔に自信を持てないのか といぶかしく思うばかり。ハリウッドの若さに対する強烈なこだわりは理解できても フエイに限ってと期待したのに。 1987 Barfly それでもマリア カラスを演じた舞台劇 「マスター クラス」のフェイは素晴らしかった.あの存在感と演技力は外見に関係なく見事に円熟の境地でした。