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Showing posts from November, 2012
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米国西海岸も まもなく12月1日。 年の暮れは映画賞レースがスタート。と言う訳で最後の映画鑑賞と出演者のインタヴユーをしにニユーヨークに一週間行ってきます。 レオ デイカプリオ、ヒュー ジャックマン、ラッセル クロウ,アン ハサウェイとホビットの連中などなど。 目が回りそうに忙しいので,1週間ばかり お休みします。 ではでは。 風邪にお気をつけて。 2012 「テッド」のテッドとわたす。 成田陽子
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JOAQUIN   PHOENIX 昔の名前はリーフ フェニックス。 「ホアキンなんて学校で誰も読めない名前だったから、葉っぱのリーフに変えたんだ」 本名はホアキン ラファエル ボトムと良い1974年10月28日にプエルト リコのサンファン生まれ。 誰もが訝しがる様に、ブロンド、青い眼、テイーンが好む甘いルックスの4歳年上の兄、リバーと全く異なる、奥まった黒い目、傷がある唇に真っ黒な髪とよく見ると肩が少し左右で違うような体つきなど,見るからに問題児のようで、人を避ける表情のホアキンは本当に同じ両親から生まれたのかしら? もっとも3人の妹達もみんなラテン人の様に黒い髪に、褐色の肌ですからリバーがひとり変わっているのですね。 ともかく今年はホアキンのカムバック作「ザ マスター」(12)での演技がオスカー候補と騒がれています。 2008年に「俺はこれからラップ歌手になる。俳優は辞めた!」と突然宣言して、風変わりな彼の又もやの奇妙な言動と我々は驚いたりしませんでした。 結局、ケーシー アフレック(ベンの弟)が監督した「アイム ステイル ヒア」(08)と言うフエークのドキュメンタリー映画にラッパーに変身しようとするホアキンの姿を出したと言うやれやれ何ともお粗末な企みでした。ちなみにケーシのワイフはホアキンの妹なのですよ。 2007「RESERVATION  ROAD」 97年の「U ターン」以来、10回以上会見してきましたが、いつも「俺、こう言う場所苦手なんだー」「早く終えてタバコが吸いてーよー」「もう俺のことそんなに聞いてどーするんだよー」と言う沈黙の叫びが体からサイレンサーの様に飛び出してきます。 93年10月31日、ハロウイーンの夜、ドラッグ過剰使用で急死したリバーの横で、助けてくれ!どうにかしてくれ!とわめいていたホアキンの声が救急隊本部に録音され、そのテープが公開されたときは誰もが胸を突かれました。 以来ホアキンは絶対にリバーの話をしません。あれから20年近く。まだ傷跡はしっかりそこにあるようで、それがホアキンのトラウマになり、マスコミやファンに対してひねたり,いじけた態度を取るのでしょう。 「グラデイエイター」(00)での疑心暗鬼のエンペラー役はオスカー賞候補になり、「ウオーク ザ ライン」(05)ではジョニー 
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DEBRA   WINGER ちょっとかすれ気味で、お腹の底から出てくるような声が良いですね。デブラ ウィンガーの。デブラって日本語ですとちょっと響きが悪いけれどデボラ カーと同じ名前の源なのですって。ヘブライ語で “蜂” を意味するそうで、デブラの場合は彼女がユダヤ系なのと母親が、デブラ パジェットが大好きで、生まれたばかりの娘に同じ名前をつけたのですと。 1955年5月16日 (ひえー、わたしめの母親と同じ日に生まれたと今、気がつきました)オハイオ州クリーブランドに生まれて、今年57歳。 大学では犯罪学を専攻していたと言うのも、いかにも彼女らしいこと。遊園地でのアルバイトの最中、トラックから落ちて重傷を負い、入院、数ヶ月目が見えなくなったそうでこの時女優になるべしと決意したのですって。 76年 テレビシリーズの「ワンダーウーマン」の妹役、ワンダーガールの役でブレーク、映画では「アーバン カウボーイ」(80)でスターに。 2008  「レイチェルの結婚」 何と言っても「愛と青春の旅立ち」(82)のリチャード ギアの白い海軍の制服とのロマンス ドラマが有名です。 そして「愛と追憶の日々」(83)では母親役のシャーリー マックレーンと激論を交わし、この頃から凄い才能の女優だが、現場での折り合いが誠に難しい、と言う評判が立ちます。ショーン ペンの女性版と言う感じで、タフで頑固、仕事の上では妥協をしない、と言うデブラは、さらにボブ ケリーと言う州知事とロマンスを展開、その2年後にはテイモシー ハットンと駆け落ちをしてしまうと言う、スキャンダルの女王となりました。 マックレーンとデブラは両方オスカー賞にノミネートされ、マックレーンが受賞し、「私こそオスカーにふさわしいのですよ」とデブラを暗に叱責したスピーチをして又々騒がれたりもしました。 ジョン マルコヴィッチと共演した「シェルタリング スカイ」(90)は普通のハリウッド映画とちょっと変わって映画化は不可能とされるポール ボウルズの原作をイタリーのベルナルド ベルトリッチが映画化した不思議な映画。原作者のボウルズがバーに居る謎の人物をして登場し、ナレーシヨンも担当しています。 デブラのトラブルメーカーの原因は例の事故の後遺症と言う声もありますが、「ブラック ウイドウ」(87)
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GUY   PEARCE オーストラリア人と思われてますが、実は英国はエリーに、1967年10月5日に生まれ,3歳の時にオーストラリアに引っ越してきたそうな。10代の頃はボデイービルに熱中し,16歳のときは地区大会で優勝。それ故の筋肉質の肉体美なのですね。 同じようなパーフォーマンスと言う訳で,演技熱も高まり,劇団に所属。オーストラリアの超人気テレビシリーズ「ネイバーズ」のレギュラーになってアイドルの地位を得ます。 私達が彼の名を聞いたのは「プリシラ」(94)で砂漠を行くおんぼろバスの旅芸人,それも男3人が女装してのミュージカル,と言う設定でガイが最も若くて美しい女性(?)になった時。歳を取った先輩にテレンス スタンプの妖怪のような芸人,もう一人はヒューゴー ウイーヴィングと舞台はオーストラリアでも3人の男優とも英国生まれと言う奇妙な状況でした。 それからハリウッドでブレークしたのが「L.A. コンフィデンシアル」(97)で演じたロス市警の刑事役。同僚にラッセル クロウも居て外人組がのしているキャストでした。 「メメント」(00)は今だにはっきり分からない謎解きストーリーですが,クールな主役振りを見せて,一種のカルト映画の域に達しています。 2010 「英国王のスピーチ」
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FRANKA   POTENTE ドイツはデュルメンに1974年7月22日に生まれたフランカ ポテンテ(パワーと言う意味)の名前は先祖がシチリアからの移民だそうでその誇りと意気を見せてのイタリアン苗字なのだそうな。 何と言っても「ラン ローラ ラン」(98)での繰り返し繰り返し走っているローラのオリジナルにして,軽快な映画で世界中の注目を引いた,ちょっとファニーフェースの女優を覚えているでしょうか。 この映画の監督,トム テクヴァも若手の新鋭として評価を得て,私生活では主演女優とグッドルッキングの監督はロマンスを展開。 フランカはミュンヘンの演劇学校とニユーヨークのリー ストラスバーグ インステイテユートで演技をじっくり学んだ 後,再びトムの「プリンセス & ウオリアー」(00)と言うドイツ映画に主演。 そしてハリウッドデビューはジョニー デップと共演の「ブロウ」(01)と言うドラッグ取引のサスペンス映画でした。風変わりなルックスとぶっきらぼうな物腰がキュートなだけのフェースがはびこるハリウッドでは新鮮で強烈な存在感を見せたのです。ジョニーもフランカの陽気な人柄をいたく気に入ったようで,撮影の合間にドイツ語をたくさん教えてもらったと自慢してました。 「ほとんど悪態をつく時に利用出来るタイプの会話だったけれどね」とにんまりしてましたが。 マット デーモンの女友達の役を得て「ボーン アイデンテテイー」(02)と「ボーン スプレマシー」(04)に出演,ローラ ランで見せた切れの良い動きのアクシヨンを披露してます。 2012 「COPPER」 02年にトムと別れ,イライジャ ウッドなどとの交際があったのち、目下はアメリカとベルリンを行き来しつつ、1歳の娘,ポリーと暮らしているそうな。 当人はほとんど素顔で会見に出てくる程飾り気が無く,知的で、ユーモラスな素敵な女性です。 現在はテレビシリーズの「コッパー」と言う時代劇の警察官のドラマで,何と買春宿のマダムと言う,はまり役(?)を得て,楽しそうに快演中。血気流行るコップ連中の相談役を兼ねて,女丈夫振りを見せています。
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DAVID     THEWLIS デヴィッド セーリスと日本語で書くとセールスマンの様に聞こえて、THの発音を表記出来ないのが困ります。 1963年3月20日英国はランカシャー,ブラックプール生まれですから、ただいま49歳。両親はおもちゃ屋を経営していたとか。何となくひょうきんな彼の育ちが伺えます。 この時代の若者らしくデヴィッドの最初の情熱はロックンロール,「ドアー66」と言うバンドのメンバーでした。でも舞台の上で他人の振りをすると言う楽しみを覚え,演技学校へ。 93年のマイク リー監督の「ネイキッド」での文字どうり,裸になっての熱演でカンヌ映画祭男優賞に 輝き,次の英国若手演技派と注目されましたが,選ぶ作品はほとんど,低予算の独立系,おまけに役によって全く別人のようなルックス,どころか体型まで変えてしまう全身カメレオン型俳優ですから,よっぽどの映画オタクと映画で飯を食う輩以外はまず彼の名前と顔を同時に知らないでしょう。 「ハリポタ,アズカバンの囚人」(04)以来,ハリポタの 2011 「もう一人のシェイクスピア」 ルマス リピン教授役を得て子供達にはおなじみのおじさん俳優になってますが。 「セブン イヤーズ イン チベット」(97)はブラッド ピットが有名なオーストリアの登山家になって,チベットを訪れると言う映画でした。デイヴィッドは彼の相棒役で 私めが好きな映画でしたが,主人公がナチ支持者だったと判明してユダヤ系がマジョリテイーのハリウッドでは総スカンをくらい,ブラピが彼の過去など知らなかった,などと弁解して,後味の悪い過去があったのです。この役を手がけた為にデヴィッドは,中国入国永久禁止なのですと。 ブラピもそうなのか聞いた事はありませんが,リチャード ギアもチベット運動で中国からシャットアウトされてます。 「縞模様のパジャマの少年」(08)と言うユダヤ人の収容状の少年と近くに住むドイツ人の少年が塀越しに仲良くなって,お互いに洋服をとっかえごっこして起きる悲劇,と言うプロットを少しだけ聞いてもぞっとする映画ではドイツ人の父親を柔らかな雰囲気で好演,塀の内側も外側も人間は同じ と言う世界を見せています。 少し前までは,かなりダークな雰囲気も持ち合わせていましたが,この頃はさっぱりとして,
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ROMOLA   GARAI ロモナ ガライと言う変わった名前の若手女優は,ぽっちゃりとした肉付きと時代劇にしっくりの古典的なルックスを持った私めの御贔屓です。 香港生まれの英国人,1982年8月6日にロモナが生まれた時はまだ英国領でした。 ロモラと言う名前はローマの創立者,ロムルスの女名だそうで,まさにローマの女性の大理石像にふさわしい立派な肉体の持ち主です。 ひい祖父のバート ガライは1924年にロンドンに有名なキーストン プレス エージェンシーを創立,ヨーロッパの写真家なら誰でもガライと言う名前を知っているとか。父親は銀行家,母親は著名なジャーナリストと言うハンガリー系ユダヤ人の知的な家庭に育っています。8歳の時にロンドンに戻ったロモラは,父親の仕事の為に再びシンガポールやインドなどに住み,16歳の時にロンドン シテイー オブ ガールズに入学,それからロンドン大学に進学,英文学を専攻しつつ,学校の舞台劇に出る様になります。 ここでスカウトに見つかり,「ラスト オブ ザ ブロンド ボムシェルズ」(00)と言うテレビ映画のジュデイー デンチの若い時と言う役を演じました。17歳のロモラはここでエージェントを雇い,プロの女優としてスタートする決心をしたのです。 「ヴァニテイー フェア」(04),「エマ」(09)などの時代劇の脇役に出た後,「エンジェル」(07)では華々しく主役をこなし,同年の「つぐない」(アトーンメント)では嘘をつく妹(シアーシャ ローナン)が成長した時のブリオニー役,(後に歳を取ったブリオニーをヴァネッサ レッドグレーヴが演じています)をふくよな顔で演じて、少女時代と老女時代を演じた細めの女優達と全く違うところが何となくおかしかったですね。 それからBBCテレビシリーズの「エマ」(09)のタイトルロールを 勇ましく,優雅に演じて,ロモラのクラシックルックスはますます有名になったのです。 2012 「THE   HOUR」 目下BBC テレビシリーズの「ジ アワー」(11−)で1950年代のテレビ局の女性プロデューサーと言う役をぴちぴちのスーツに身を包み,ヒールの音をこだまさせて局内を闊歩して,古き良き時代のキャリアー レイデイーのセクシーなスタイルをじっくり見せてくれます。ちょうどドリス デイか、キム ノヴァクのよう
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TOM   HIDDLESTON ロンドン生まれ,今年の2月9日に31歳,貴公子的面持ちがスクリーンに寂寥感を漂わせる新星,トム ヒドルストンは前に紹介したヒュー ロウリー と同じ様に英国エリート育成プロセスの申し子でもあります。イートン校からケンブリッジ大の優等生、RADAと呼ばれる王立演劇アカデミーを出たトムはそれだけで何もアピールしなくても庶民は感心してしまうのです。パブリックスクールのコースは伝統と洗練を養い,同時に分際を知る心得も学ぶので,どこかに格調が漂います。もちろんどら息子や横柄な子息も多いでしょうが。 「戦火の馬」(11)で主人公の少年の愛馬を必ず守って世話を焼くからね,と優しく約束する英国将校の役をほのぼのと演じたのがトムでした。スケッチブックに馬の絵を描いて少年に送る教養が光ります。上官を演じたのが私めの御贔屓,ベネデイクト カンバーバッチで二人とも精巧に仕立てられた制服がよく似合い,乗馬姿も勇壮でした。 馬好きには耐えられない戦場の馬のシーンが暴力的に展開します。スピルバーグ監督の感傷と娯楽意図が交互に出てきて 食べすぎの気分になりましたが。 トムは英国のテレビで注目され,「ソー」(THOR ) (11)で “ロキ” という役を演じて,アクシヨン場面でも鮮やかな殺陣姿を見せました。同じ年のウッデイー アレンの「ミッドナイト イン パリス」では F. スコット フィッツジェラルドをプレイボーイ風に粋に演じています。 今年は売れっ子の年になり,「THE DEEP BLUE  SEA」では人妻レイチェル ワイスの若き恋人役、この映画はほとんど英国版「アンナ カレニーナ」でした。「アヴェンジャーズ」では再びロキの役を手がけて,目下 ロンドンで「ソー 2」の撮影中。 このセットを先日訪れたのですが,主役のクリス ヘムスワースの金髪,野蛮な大男の力づくの戦法と良い対照の漆黒の黒髪に真っ白な顔, 自信にたぎる頭脳戦のシーンを演じていました。髪型が髷が崩れた若殿のようで,雄々しくも,気高く美しかったのが,印象に残ってます。 クリスにはオーストラリア出身のごつさと田舎っぽさがあってそれが彼の魅力になっています。二人のコントラストがドラマを盛り上げていました。 これからのトム ヒドルストン(ちと覚えにくい名前ですが,カンバー
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BROOKE    SHIELDS 我らが国の皇太子さまがその昔,ブルック シールドのポスターをお部屋に貼っていて,さらに彼女が来日の折りには,デート(!)をしたと言う,プリンスと青い眼の女優のロマンスがかなったら,ブルック姫になっていたかもしれないのでした。 後になってブルックにこの事を聞いたら,ほんのり笑って 2011 「プリンスはとっても優しくて,博識な方でした」てな安全なコメントをしてきました。 「プリテイー ベイビー」(78)の少女娼婦役で話題になりましたが,何と言ってもステージママと言う言葉を広めた 彼女の母親の果てしない野望のもとに,11ヶ月の赤ちゃんの時からコマーシャルに出ていたすでにヴェテランの11歳(撮影当時)だったのです。ちなみにこの映画はフランス人のルイ マルが監督で、買春宿に住む美しい少女のブルックが競売にかけられると言うかな猟奇的なものでした。 その母上のテリーも元モデルで,自らの夢を美しい娘になぞらえたのでは。赤ちゃんモデルノブルックが15歳の時のギャラが一日1万ドルだったとか。90年代はじめの1万ドルですぞ。その後もカルビン クラインのジーンズの広告に性的不純本能をモヨオすポーズで登場してマネージャーの母親の常識を問われたり。 その “不沈戦艦テリー” が今年の10月31日に79歳で亡くなりました。長いことアル中で老人性痴呆症だったとか。ずっと前に会った事がありますが,ものすごいエネルギーと迫力のやり手マダムでした。 「母のことを批判する人は多いいけれど,勉強だけは優先だったのです。学校の時間内には絶対に仕事を引き受けませんでした。「ヴォーグ」誌の表紙の撮影が10時と連絡が入ると「ありがとう!では午後の3時に会いましょう」と答えてました。」 その母上のおかげで優等生のブルックは晴れて名門プリンストン大学に入ったのです。 ブルックは1965年5月31日生まれですから今年47歳,テニスのプロのアンドレ アガシと結婚と離婚、のちに脚本家と結婚し、現在2児の母と安定した暮らしを送っている様子。 映画歴を見るとめぼしい作品は余りありませんが,ブロードウェイの「キャバレー」などのの舞台劇に出たり,テレビシリーズで コミカルな演技を見せたりとそれなりに活躍しているようです。かっちりと目鼻立ちの整った
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ROBIN   WRIGHT 「フォレスト ガンプ」(94)でトム ハンクスの憧れの女性の役を寂しそうに,格調高く演じたロビン ライト,その少し前の「プリンセス ブライド ストーリー」(87)の美しい王女さま役で映画デビューしたのです。 余り庶民的でなく,愛嬌たっぷりとはとても言えない,ほとんど冷たい印象を与えるので,東海岸のエスタブリシュメント出身かと思えば,テキサスはダラス生まれ。父親は薬品会社の重役,母親は有名な化粧品会社,メリーケイの重役と裕福な家に育ち,クールな美貌を買われて,14歳からモデルとしてパリや日本で活躍。1980年代の雑誌等見ると彼女が出てくるかも。 「ステート オブ グレース」(90)でショーン ペンと共演して,翌年から一緒に住み,96年に正式結婚したのですが、常に満足しなさそうな,取っ付きにくいショーンと妥協を拒むようなロビンとの共同生活は,嵐や地震が絶えなかったに違いなく,何度もけんかのニユースや離婚訴訟を起こした等と書き立てられてました。 二人の間には子供ふたり出来て,娘はデイラン,息子はホッパーとそれぞれボブ デイランとデニス ホッパーの名を取ったのもショーン ペンらしいですね。 2009「50歳の恋愛白書」髪を黒く染めて。 ずっとロビン ライト ペンと言う名前を使ってきたのを 2009年頃からペンの名前を排除したのも,彼女の決意の強さを示してます。 「有名人とかセレブリテイー等と呼ばれるのが,とてつもなく嫌。女優をしている姿をスクリーンで見るだけで,満足して欲しい。日常生活等知る必要は無いでしょうに。 40歳を過ぎた女優が,これからは主人公の母親とか,独立した女性でも,多重人格とか,躁鬱病などを抱えての役ばかり,と不平を言うけれど,私に取ってはそれだけで充分。そう言う役こそやりがいがあるもの。美しく着飾っている女性なんて,今の世の中,珍けな存在でしかないでしょう」 と全くドライなコメントを吐くのも,媚びたりしないロビンらしいですが,その威厳と言うか心意気は大したのもです。 最近のロビンは「マネー ボール」(11)でのブラッド ピットの前妻役 (やけにリッチな暮らしをしている妻でした),「ドラゴン タトウーの女」(11)での失踪した女性役など,小さいけれども重要な存在を見せる役をこなしてい
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SYLVESTER   STALLONE 雷が鳴り,稲妻が走るローマの午後に今年の7月に66歳になったシルベスター スタローンに会いました。そのちょっと前に轟音と共にすぐ近くに雷が落ちたのですが,ミスターマッチョマンに,怖かったですねー,と同意を求めると、 「いやあー,ホテルのフロントの近くにいた僕は,コンシェルジェの腕の中に飛び込んでしまったよ。ワハハハ!」 とふざけてから、 「僕には怖いものはまず無いね。もう全て経験して,どうやって対処して良いか分かるから。小さい時は成績表を見るのが怖かった。悪いと母にこっぴどく叱られるから」 と可愛い事を言うのでした。 今回の会見は「ブレット ツー ザ ヘッド」(12)と言うウオルター ヒル監督の映画のPRで,スタローンは珍しく東洋人と組んで無意味なアクシヨンを繰り広げます。 顔の表面が月か火星の様にぼこぼこで,クローズアップのシーンはやけに暗いのが,何ともですが,目の前の彼はまあまあ何とか一瞥に堪えられるお顔で,整形をしすぎて,めちゃくちゃになったマスクはマイケル ジャクソンとかミッキー ロークと同様、とても凝視は出来ません。こちらの顔まで 溶けてきそうで,と書くと非情に聞こえるでしょうが,私めは彼の才能をこの上ないものだと昔から感心しています。 「ロッキー」(76)はあのテーマ曲と相まって士気を鼓舞してくれる力作ですし,ほとんどの映画をひとりで脚本,監督,主演してきたのも彼が自分自身を良く把握して,しっかり売れる作品に仕上げてきた腕は天才的です。そして自分を単細胞のキン肉マンにカリカチュアして,庶民の同感を得る あたりの巧みな設定,当人は脳細胞が常に激しく作動しているとびきり頭の良いスターなのです。 今回も窮屈そうなスーツを着て,よく回らない太い首を直立し,あの妙に響く声でこんな事を白状してました。 「今まで映画に出る度に,今度こそ最後の映画だと決意を固めて出てきた。だから死に物狂いでアクシヨンをし,全く出し惜しみをしないから,体中の骨が折れる程の怪我をしてきた。今回も同様で筋肉は裂け,骨と言う骨が音を立てて砕けそうだった。しかしスタントマンを使う事が出来ない。別に自我とか,優越感ではなく,自分の役を自分で全うしてこそ やったと言う満足が得られるから。」 今まで何十回と会ってきまし
今 ローマに来ています。天高く,あくまで青く,古跡が 荘厳な姿でそびえています。映画祭に出席しているのですが 余り忙しくないので,気楽に過ごすつもりです。 と言う訳で,16日までお休みにします。 アルヴェデルチ 成田陽子
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MICHAEL   PENA 両親はメキシコから移民してきた農民でシカゴのサウスサイド(ブルーカラー地区)で工場の仕事を得てもルーツは忘れず,父親は小さな庭にトウモロコシ,トマト、タマネギ等を植えて,近所の人から好奇の目で見られたそうな。メキシコ人といじめられない様にと二人の息子は放課後,家にいる様にと言われ,テレビを見ては英語と演技を見て取り,それが昂じて自分たちの劇を作り始めたのが,マイケル ペナの俳優のスタートでした。 1976年1月13日生まれですから今年36歳。 向上心豊かな両親の支持で地元の私立の名門校に入学,17歳の時,両親の友人にオーデイシヨンをすすめられ、ピーター ボグダノビッチの「TO  SIR, WITH LOVE  II  」(96)の役を得て,ここからマイケルの演技熱が急上昇。 いかにもメキシコ系のルックスを活かして,次々に役を得ます。ニコラス ケイジ主演の「セカンズ」(00)とかクリント イーストウッドの「ミリオン ダラー ベイビー」(04)でのだじゃれを飛ばすアマチュア ボクサーの役 などなど。「クラッシュ」(04)ではアンサンブル キャストとは言え準主役,そして再びケージと共演の「ワールド トレード センター」(06)で勇敢な消防士を激演して マイケルの名前はかなり広まりました。 ロバート レッドフォードが監督,出演した「大いなる陰謀」(07)ではイラクで戦う兵士の役で出てましたが,このエピソードがあまりにもとって付けたようで,国会議員のトム クルーズと彼をインタヴユーするジャーナリストのメリル ストリープの場面だけが印象に残るものでした。風刺と皮肉にあふれて、腹に一物も100物も持つ二人の駆け引きが,両方のスターの持ち味を活かしていました。全く評価されずにに消えてしまった映画でしたが。 と言う様にマイケルは,街のはぐれもの,消防士,兵士と言った現実のメキシコ人の現状を反映する役ばかりするようですが,ここに彼は生の人間の生命を吹き込むのです。彼の表情から,マイナリテー人種だが,俺たちも苦労して生きているのだ!と言う迫力が伝わってきます。 「タワー ハイスト」(11)はエデイー マーフィーとベン ステイラーの冒険喜劇でしたが,ここでもマイケルは独特なルックスを突き出して,自分の出番を決めています。 そ
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KATE   HUDSON 「あの頃ペニー レインと」(00)のケイト ハドソンは新鮮で,可愛くて,イキイキとしていました。79年生まれですから,撮影時は20歳、芸能界ファミリーに育ったにしては、純粋の恥づかしさも漂って それはそれは光ってました。原題は「オルモスト フエイマス」(有名になるちょっと手前)と言って,後にローリングストン誌のライターになるパトリック フィジェットが人気ロックンロールのコンサートを取材に行って,追っかけギャルのケイトに会って,もちろんスターに振られたケイトが自殺を図って,彼が助けると言うシーンで,ケイトがソファに横たわっている図は,「アパートの鍵貸します」(60)でのシャーリー マックレーンをコピーしたのです。 当時新鋭監督だったキャメロン クローはビリー ワイルダーとの会話集を出した程のワイルダー狂で,あのシーンは亡き巨匠へのオマージュですと言ってました。 脇を固める俳優達も素晴らしく,フィリップ セイモア ホフマンのお宅雑誌の編集長、フランシス マクダーモンドの母親、ビリー クルダップのロック歌手 などなど。 さてケイトは言うまでもなくハリウッドの女神、ゴールデイー ホーンとミュージカル/コメデイートリオ の「ハドソン ブラザース」の長男、ウィリアム ハドソンとの間に生まれた娘で,両親は76年に結婚して,80年,つまりケイトが生まれた翌年に離婚、ホーンが後に仲良くなったカート ラッセルを父と信じて育ったそうな。 まさにカルフォーニアの太陽のようなケイトは(共演のとびきり上手だったパトリックはその後さっぱり売れてない)「サハラに舞う羽根」(02)ではヒース レッジャーの恋人役と次から次へ軽い恋愛映画に出て ロマコメのプリンセスのような存在に。 「ママと買い物に行くとほとんど同じようなアクセサリーやドレスを好きになるのよ。だから取りっこしたりする。欲しいとなるとサングラスを一度に5個ぐらいかってしまうのもママと同じ」 そしてママの方もこんな愚痴を言ってました。 「ストッキングとかスカーフと言った小物が見つからない時は,犯人はケイトとすぐ分かる。彼女の部屋に行くとちゃんとあるのだから!」 まあ何ともの物質主義はアメリカらしいですが,彼女の屈託の無さが魅力なのですから。 2000年にロックミュー
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TOBY    JONES 1967年9月7日英国のオックスフォード生まれですから 現在まだ45歳!この方も若い時から,老け役専門とい感じで,画面に出てくると心が和むふんわりとした雰囲気を持ってます。何と言っても究極のベビーフエイス!こう言うタイプが連続殺人鬼等手がけると怖さに異常さが増して,相乗効果が出てきます。 似たようなタイプにアメリカのフィリプ セイモア ホフマンが居て,運命のいたずらか,2005年に同じ役を演じてしまったのです。実在の文筆家,トルーマン カポーテをフィリップは「カポーテ」と言うタイトルの映画で演じて,大柄なのにも関わらず,ゲイで小柄で赤ん坊のような声を出す カポーテを演じてアカデミー主演賞を受賞,トビーは「インフェマス」(悪名)と言う題で演じ,共演にサンドラ ブロックを得ての熱演でしたが,賞はおろか誰も見なかったと言う無視された映画になってしまいました。 トビーのほうが小柄で,顔も姿もカポーテそっくりなのですが,フィリップのハードルの方が高かったこと、アメリカの人気ライターを英国人が演じることへのこだわり,そしてフィリップの演技力がクライマックスに到達したモメンタム等等の理由でしょう。 さてトビーは演劇一家に生まれ,父親は性格俳優として有名なフレデイー ジョーンズ,母親はジェニファー へスルウッド,兄弟も監督や俳優として家業を次いでいます。 名門 アビントン スクール オブ ボーイズで舞台を学び クラスメートに権力のある悪漢を演じると痛快なトム ホランダーやロックバンドのラジオヘッドがいるそうで,当時のこのクラスの光景をタイムトンネルで見たいものです。 次にパリの演劇学校に行ったトビーの映画デビューは「オーランド」(92)でした。テイルダ スウィントンの男女兼役が見ものの豪華衣装映画です。 最近では「ハリポタ」シリーズでハウスエルフのドビーの声を担当して,その奇妙な声に子供達の間で人気がでたとか。 「ペインテッド ヴェイル」(06)と言うサマーセット モームの原作の映画化では,中国で働くエドワード ノートン扮する 理想主義の医師のそばで、白人の嫌な部分を全開するアル中で女たらしの男を怪演してます。ノートンの西洋的なノブレスオブリジの毅然とした姿と現実的なトビーのだらしのない格好の下に潜む心理が見もので
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ANDIE    MACDOWELL 男性の好きなタイプの女性と大概の場合、女性が好きな女性は異なります。アンデイー マクダウェルは1958年4月21日,サウスカロライナ州生まれですから現在54歳。もう20年以上も化粧品会社のモデルをしていますから,女性にもてるタイプなのでしょう。特に最近はオーヴァー フィフテイーの女性をターゲットにした高級品のイメージ キャラクターですから,女性から嫌われる女優ではない筈。ちょっぴり下がり目のところが 優しそうで好かれるのではないかと勘ぐってますが。 ともかく84年,26歳の時,「グレイストーク」と言うターザンがジャングルからロンドンに出てくるストーリーの作品にクラシックな美貌を買われて,初出演。しかし南部訛りが強すぎて,声の吹き替えをしたのがグレン クローズでした。ターザン役はフランス出身のクリストファー ランベール,ターザンを可愛がる祖父は名優,ラルフ リチャードソンが好演,彼の最後の役となりました。 アンデイーは発声練習を重ね,「セックスと嘘とビデオテープ」(89)で体当たり演技を見せて,ルックスだけではないのよ!とアピールし,「グリーンカード」(90)ではフランスのベテラン,ジェラール ドパーデユーと共演,最も有名なのは「フォー ウェデイング」(94)でしょう。結婚恐怖症のヒュー グラントとの絡みはロマンテイックで知的でファシヨナブルで当時の女性達の憧れを集めました。 いつもカーリーなビッグヘアーを好むのは,モデル時代からの顔を小さく見せる習性なのですと。実際にとても小いさいのに。 始めて会った85年の「セント エルモズ ファイアー」からほとんど変わらない髪と体型を維持しているのはさすが。 「若いことを素晴らしいと強調する風潮はいやね。もうベビーブーマーがみんな50代になって,若さへの執念は減ったと思いたいのだけど。トシを取る美しさを理解して欲しいわね」 と言うアンデイーの言葉が妙に印象に残っています。 2011「フットルース」昔の写真を探さないと。 最近は「フットルース」(11)のリメークのように主人公の母親という役どころが多くなってきましたが 相変わらずのすらりとエレガントな姿は同じようなメークをして,カワイコぶった若い娘連中より遥かに魅力的です。
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PAUL  GIAMATTI コネチカット州ニユーヘイヴンに1967年6月6日生まれと言うから今年 45歳ですが注目を引いた「アメリカン スプレンダー」(03)や「サイドウェイ」(04)などのころから50歳ぐらいに見える,老け顔がチャーミングな役者がポール ジアマテイーの味わいです。 死んでもジョージ クルーニーやブラピの真似もしないし,ああいう二枚目役を演じたいとも思ってないでしょう。  2010  [BARNEY'S VERSION] 何と言っても中身で勝負出来る知的人間ですから。 それにこんな事を白状してます。 「若いころから老人役ばかりしてきた。イェール大の演劇部にいたときはチェーコフの劇に膝に毛布をかけ,パナマ帽をかぶった車椅子の男と言う役あれば,とりもなおさず僕に回ってきたからね。」 本名がまず,ポール エドワード ヴァレンテイン ジアマテイーとロマンテイックなイタリー系です。二つのミドルネームはそれぞれの祖父の名前から取ったのだそうな。 父親はアンジェロ バートレット ジアマテイーと言ってイェール大学の教授から学長になり,のちにメジャーリーグベースボールのコミッシヨナーとなった、もともとは象牙の塔の人でしたし,母親は 英語の教師, ポール自身もイェール大で文学部を卒業後 (クラスメートにエドワード ノートンとロン リヴィングストンが居たとか),パーフォーミング アート部門で修士号を得て舞台にテレビに役を得て,「誘惑のアフロデイーテ」(95)と言うウッデイー アレンの映画では小さいながらも,ぴりりと小粒の役を演じ,徐々にハリウッド映画の 冴えない男の役どころを拾ってきたのです。 「ポールは隠れた宝物のような俳優だ。こう言う俳優が居てこそ,作品に厚みが付く。」 ととある監督が言ってました。二枚目にとってもポールが横にいると何もせずとも引き立ててくれますし,ポールもシーンを盗んでやろうなどと言う欲望は見せません。最も後で映画を見ると大根役者を支えながら,しっかりいぶし銀の輝きを放っているのが分かると言うものです。 「僕はなぜか痛めつけられた人間を演じる事が多い。「三姉妹」の僕の役は異常な程虐待を受けたあげくに背骨の無い弱い男になってしまったし。そう言うタイプこそ遣りがいがある。弱いあまりに狡いヒステリーを起
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HUGO    WEAVING 「プリシラ」(94)でテレンス スタンプとガイ ピアースとオーストラリアの荒野をおんぼろバスで駆け回る女装グループに参加していたので,てっきりオーストラリア人かと思ったヒューゴ ウイーヴィングは何とアフリカのナイジェリア生まれ,(60年4月4日)なのですって。 父上の仕事の関係で,世界中を点々とし,76年からオーストラリアに一応落ち着き,演劇に目覚めたヒューゴはシドニー シアター カンパニーに。 と言う訳で彼のアクセントは英国とオーストラリアがミックスしたエレガントなもので,流れ者の観もあるワイルドな外見と不思議な調和を見せてます。 もちろん「マトリックス」(99−03)でのエージェント スミスの役で世界中の注目を集めたのですが,当人は全く セレブの世界に興味など無く,風の向くまま,こちらに仕事あればふらりと飛び,あちらへ移り,と言うバガボンドのような暮らしを楽しんでいます。 新作「クラウド アトラス」(12)はマトリックスを監督したワチョウスキー姉弟とドイツのトム タイクワーの3人が監督したせいか,何がなんだかよく分からない幻想的巨編で,ここでのヒューゴの役のひとつが「カッコーの巣の上で」(75)のおっかない看護婦そっくりの女性なのです。 2012 「クラウド アトラス」 金髪に濃いメークで白衣を来て,患者達をいじめます。 ちょっと「プリシラ」を思い出しました。 私めは幻想的空想映画が苦手なので,こう言う文句を言ってますが,大好きな人はとことん大好きな映画のようです。トム ハンクスとハリー ベリーがそれぞれ6役も手がけると行ったトリックもうっとうしいばかりと私はうんざりするのです。 ちなみに、元ワチョウスキー兄弟は今,兄貴が性転換してラナと言う姉とアンデイーとなりました。ラナは朗らかで,良くしゃべり,よく笑う素敵な女性で,今まで長いことマスコミに姿を見せなかったのは,彼(?)が完璧な女性になるのを待っていたのでしょう。 2012 左からアンデイー,ラナ ワチョウスキー,トム タイクワー ヒューゴはまもなく「ホビット」(12)に登場します。ニユージーランドでロケをし,「ロード オブ ザ リングス」とリンクする,空想時代ドラマで,今やニユージーランドの産業の一部となったピーター ジ