SALMA HAYEK

SALMA   HAYEK


ちゃきちゃきのラテイーナ ギャル、いつも陽気でセクシーで 肝っ玉があって 丈夫で頼りがいのあるメヒコのセニョリータ、セルマ ハイヤックはこの苗字が示す様に
生粋のメキシコ人ではなく父親はレバノン人の石油会社の重役、母親はスペイン系のオペラ歌手でセルマは1968年 メキシコのヴェラ クルズの港町に生まれました。


恵まれた家庭に育ち “ アメリカの学校に行きたい!さもないとクラスをさぼってみんな落第してみせるから.私のストライキだからね。” と父親に宣言し 見事アメリカのルイジアナ州やテキサス州の寄宿学校に学んだりしたあと 女優になると決意。


95年 「デスパラード」でアントニオ  バンデラスと共演してハリウッドのスターに.もっとも注目されたのは02年の「フリーダ」でメキシコの女流画家 フリーダ カーロを映画がした時でしょう。制作から参加して 眉毛がつながったエキセントリックなアーテイストの役を熱演、当時恋人だったエドワード ノートンが色々とサポートし ロックフェラーの役も買って出て セルマは見事にオスカー賞主演女優賞にノミネートされたのです。


95年に初めて会ってから たびたび会見してますが セルマはいつも自信たっぷり、
情熱的に役作りから メキシコのチャリテイー企画などについて 大声でしゃべります。メキシコ風アクセントも彼女の魅力のひとつでした。


“ もし私より大きなコホネス (男性のタマタマのこと)を持っている男に会ったら
結婚するわ!”


と肝っ玉姐さんぶりを強調していましたが 付き合った男性達は ノートン(99−03)を始め ジョッシュ ルーカス(03−04)とどちらかと言うと 痩せ形 インテリ系で結婚にはいたらずでした。


2007年にフランスの資産家にしてプレイボーイのフランソア アンリ ピノーと婚約 既に妊娠していたセルマは09年にパリとベニスと言う世界的レベルのロマンテイックな場所で豪華な結婚式を挙げ 地球上の女性誌はこぞって 二人(と娘のヴァレンシア)の華麗な式の写真を掲げていました。


先日 「サヴェージス」と言うオリヴァー ストーンの映画でメキシコのドラッグ取引の影の女ボスと言った役で出た時 目も覚めるようなショッキングピンクのドレスで会見に出て 
“ パリにもロンドンにもロスアンジェルスにもメキシコにも他のヨーロッパの街にも
邸宅があるけれど だからって 贅沢な生活に甘んじたりしないわ.私はいつもビジネス優先、母親業は一番大事 と言う基本をわきまえてます。召使いが大勢いるけれど
たまにはトイレの掃除とかお料理とかをして自分のスペースを確認するのよ。”


と毅然とした姿勢で話してました.ドレスのデザイナーは誰かと聞くと 背中のジッパーをはずして “ 覚えてないから勝手に見て!” とさすが デザイナーのドレスを借りて着る必要のない身分を覗かせてくれました.借りたときは 聞かれずとも スター達は やれジヴァンシーだ、シャネルだと宣伝の一役を買って出るのです。


2012  [SAVAGES]
大振りのコホネスを持った女性として ゆくゆくは メキシコの政治家か 社会活動家になって ドラッグ問題に悩むサウス オブ ザ ボーダーに大きな風穴を開けてくれると良いのですが。





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