KEVIN   COSTNER




フェースブックにケヴィン コスナーの一番セクシーな映画は 「追いつめられて」(87)ー原題はもっとスリリングに「 NO WAY OUT  」と言いますがー
と書いたら 大勢の人が そうだ! そうだ! と同意して 今更ながら 当時の
ケヴィンのファンが多かった事に嬉しく思いました。
同時に 日本では コストナーと書いたりする事に 雑誌社の記者や元英語の先生達が反応.長い事 ユマ サーマンと書いてあったのを なんとか ウマ に訂正したり こちらでは カスコ と呼ぶ スパーストア を日本では カストコ 
と言うとか。


もっと苦労なのはフランス語の名前を英語圏で語るとき  シャルル ボワイエ
は チャールズ ボイエーとか。
家のドイツ人は わたしめが クルト ユルゲンス(ドイツの映画スター) とか カルト ワルトハイム(オーストリア人で国連総長だった)と言う度に 大笑いするのです。


 
2000 「13デイズ」


ともかくケヴィンには 「アンタッチャブル」(87)で初めて会見.野球選手として大学の奨学金を得ただけに 体育会系の爽やかで 単純な ハンサムボーイ
でした.大して苦労せずに スポーツで認められ グッドルックスから俳優の道も
(不遇時代 とか書かれてますが どこにスタンダードを取るかで違いますし)
それなりに認められ 「再会の時」(83)では彼の場面が全てカットされ
死体の手のみがスクリーンに残った と言うエピソードもあります。


声がボーイッシュで甘く 女性にモテモテ その上 女性記者には何やら
意味深な事を言って よからぬ期待を煽ぐ傾向も 20年ぐらい前はありましたが
糟糠の妻と離婚した直後には (「パーフェクト ワールド」(93)のとき)
会見でおいおい泣き出したりとセンチなところもあって 可愛いと言うか
自然体なのです。


西部劇に情熱を持っていて まずは「シルバラード」(85)、「ダンス ウィズ ウルフ」(90)では監督も兼ねてオスカー賞を取ったし その後も「ワイアット アープ」(94)などなど 良い味の映画に出ています。


何度も会ってますが 「メッセージ イン ア ボトル」(99)のワン オン
ワンのインタヴユーでは時間がなくて予告編のみ見て 映画を見ないままに行き
(もちろん主人公が死ぬなどと 特にケヴィンが演じるたぐいの そこはかとなく
ノーテンキ男だと勝手に思ったので)結末の話で “ あれ? 僕が死ぬの知らないの!!” と言われ大あわてしました。そこは気楽なケヴィンですから 大して
2003 「ワイルド レンジ」今度もっと若い時の写真を探します。
気にもせず 次の質問に移動しましたが そばで見張っているアシスタントとかは
色めき立つのです。


「ワイルド レンジ」(03)は1882年の時代設定の西部劇で カナダの自然が活かされて共演の古兵ロバート デユヴァルと馬とたき火の匂いを存分楽しんでる様子が見て取れました。


新作「ハットフィールズ アンド マッコイズ」(12)はテレビ用ですが 
南北戦争の後の二人の古参兵が次第に憎みあうという実話をもとにしたドラマで
久しぶりの馬に乗って駆け回る “デヴィル アンス ハットフィールド” の役
を痛快に演じています。


“ 今の若い人たちは この二人を喜劇コンビだと思ったりしている。僕は今
その辺をストレートにしたいと史実に基づいて作ったのだ。ひげぼうぼうだし
信仰心に厚く 変な訛りでしゃべる。二人が喧嘩を始めたきっかけは 単なる
豚の権利だが 笑っては困る。当時一頭の豚で30日間 家族の食事として
足りたのだから。彼らをアメリカの国民の先達として見て欲しいね。”


57歳のケヴィンはサンタ バーバラで 38歳の2番目の妻と二人の間に生まれた5歳と3歳の息子と2歳の娘と5人で住んでいるが ケヴィンには先妻との間に
3人の成人した子供達 そして プロフットボール球団のピッツバーグ ステイーラーズのオーナーの跡取り娘 ブリジット ルーニーとの間に生まれたテイーンエイジの息子と合計 (我々が知っているだけでも!)7人もの子だくさんの父親
なのです。

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