Posts

Showing posts from May, 2012
お知らせ 今日(5月28日)から6月6日までロンドンとエジンバラに行ってきます。 スコットランドは2度目ですが 私めのあだ名はボニーと言って 生まれたときから 祖父が付けてくれた 西洋かぶれのものなのですが。 ともかく ネッシー等でおなじみのハイランド  を行くと ロッホ ローモンドと言う湖があり “ ボニー ボニー バンクス オブ  ロッホ ローモンド。。。” と言う有名な歌の舞台で 昔 大英帝国はスコットランドの兵隊を最悪の戦地に送り 帰ってくるチャンスがないもののお国の為と出兵していく兵隊さん達を歌った歌なのです。低い安易な道を選ばずに 高い道を選んで スコットランドの誇りを見せよう と言ったテーマでそれを知ると泣けてきます。 オーストラリアの兵隊達が 「ガリポリ」(81) (メル ギブソン主演 ピター ウィアー監督)に行かされた様に大国は必ず 外部の兵隊を 激戦地に先行させるのが 常なのです。 と言う訳で 行って参ります。しばらくお休みします。
Image
BILL    NIGHY 沈着冷静なジェントルマンのようで 実はかなり おちゃらけおじさん なのですよ。 ビル ナイは。ナイヒ ではなく ナイ です。 今年のゴールデン グローブ賞の席で レッド カーペットをすたすたと歩いてきたビルは 私めを見つけると 手を取って 握手ではなく 手の甲にキッスをしてくれました!!! 5年ぐらい前に ブレンダン フレイザーが同じ様に手にキッスをしてくれて このノーテンキ役が実物にも近い彼が 何と優雅な事をするのかと嬉しく驚きましたが ビルの場合は さすが エレガント!と感動しました。周囲の女性の誰にもしなくて 私めのところに直行して キッスをして 元気かい? と親しげにです。ハハハ。自慢します。誇りです。 「ステイル クレイジー」(98)で初めて会って ひょろひょろの長身 日陰生活風の 青白い顔 ソフトな声 とびきりドライなユーモア 全てはチャーミングでした。 長い指の手をいつも 握っていたり ポケットに突っ込んでいたり 絶対に 手を広げて いる瞬間がない事に気がついてますか? 私めは 一種の関節炎だと思ってました。ジエイムス コバーンなど大勢の白人俳優達が苦しむ難病で ひどいときは 車椅子生活を強いられます。 ところがビルのケースは 遺伝で Dypuytren's contracture  と言う症状で 指が内側に曲がってしまうのだそうです。 彼が出てくるシーンを見て いかに上手に手を隠すか も興味深い点です。 “ 物書きに憧れて 高校生の頃 パリに言って 本を書いてやろうと意気込んだが 数週間で書けたのは 題名だけ。その上親から手配が来て 英国移民局の局員に強制送還 されてしまった。次は俳優だ と演劇学校に入ったのさ” と淡々と言うビルは この映画の歌も振りも全て自分でやったのですと。音楽に掛けての 知識は相当なもので やっぱり彼もロックンロールなのでした。 次に会った「ラブ アクチュアリー」(03)でもロートルのロックンローラーで盛大な パーフォーマンスは全て彼のアイデイアだそうな。 “ シエイクスピアの役もロックンロールも同じ様にやりがいがありますよ。どちらも オーヴァーにするとよろしい
Image
SUSAN    SARANDON 「アトランテイック シテイー」(80)で魚屋の仕事の匂いを取るため 台所の流しの前で 上半身裸になって レモンをこすりつけるシーンはスーザン サランドン 33歳 セクシー盛りの時 。 既に老いたバート ランカスターが酸いも甘いも知りつくしたやくざの役を秀演の 2000年 フランス人 ルイ マルが監督したヨーロッパのムードが漂う アメリカの鄙びた リゾート地の人物画でした。 スーザンに初めて会ったのは 「イーストウィックの魔女たち」(87)。すでに セクシーな演技は女優の声が高く でも当人は 美しく見える事など2の次で 政治活動や社会活動に没頭しているアクテイヴィストの立場を前面に持ってきてました。ちょっとこわいぐらいに。 “ あなた達! 何をしているの! しっかりしなさい! ぐたぐたしている時間があったら 社会に貢献しなさい!” といつも叱咤している感じなのです。 「ロレンゾのオイル」(92)ではイタリー系の女性を演じて そのアクセントに付いて聞くと “ そう言う質問をするあなたこそ アクセントがあるじゃない!” とちょっと的外れのおちょくりをして 私めは少しばかり 傷ついたのです。 頭の回転の速さを全く隠さず ぶしつけにものを言うのが 彼女の強みですが 同時に 人をひるませもします。 1993年のアカデミー賞授章式で テイム ロビンスと一緒にプレゼンターとして 舞台に上がり 台本に無い政治演説をしてかなり批判され しばらく招待されませんでした。 主演作ごとに会見してますが 時々 全くメークもせず 普段着で現れたりして 2009 「ラブリーボーン」 そこらのおばさんのようで 広報係達を慌てさせるのも 彼女ならではの 反逆精神では と見ましょう。 2000年のテレビドラマでの会見には 愛犬を連れて現れ  “ 私より遥かにデイーヴァで写真を撮るときなど 前でポーズをして 出しゃばるのよ !” とご自慢でした。 1988年から2009年まで20年間連れ添ったテイム ロビンスと別れてからは ニユーヨークにピンポン スタジオを設立して 普及に忙しかったりするうちに ピンポン コーチと仲良くなった噂が出て さすが妖婉さも 相変わらずなのです。 2011年には ヴァテ
Image
JAMES   MCAVOY 2005年の「ナルニア国 物語 第1章」のファウヌス(半人半ヤギ)ミスター ツムナスで人気が出たスコットランドはグラスゴー出身のジェームズ マカヴォイ はソフトな顔立ちの そして中身も とびきり 繊細で 優しい33歳。 “ 僕は5フィート7インチ(西洋では低い方)で真っ白どころか 青色の顔色だけれど 醜いとは思ってない。でも絶対にブラッド ピットではないのだから 無謀な期待は持ってませんよ” としおらしい事を言う。実際 華奢な体つきで 波打つ髪 古風な顔のマカヴォイは 古典劇から出てきたようにクラシックな立たずまいの俳優なのです。 翌年の2006年はマカヴォイの獅子奮迅の年で まず 「ラスト キング オブ スコットランド」では ウガンダの独裁者 イデイ アミンに仕える医師の役を熱演。アミンの情婦に手を出して 凄まじい拷問を受ける 場面は 妙に猟奇的で ゲイに受けそうでした と言うのは 勝手な解釈で アミンを演じたフォレスト ウィテカーはオスカー賞を取ったほどに 衝撃的な映画でした。 次が私めの大好きな小作品ですが 知性と暖かさがあふれた大学生のドラマ 「スターター フォア テン」。タイトルは英国で人気があったクイズ番組で それぞれの大学から選ばれた物識り学生がチームを組んで 東西南北の難問に答えていき 勝つとその大学に 賞金が入ると言う いかにもイギリスらしいノーブルなショウです。 マカヴォイ君はおきまりの貧しい家の秀才 近所のだちは不良のドミニック クーパー、 ガールフレンドの一人はユダヤ系でレベッカ ホール、キャプテンで博識で金持ちの子息 2007  「つぐない」 をベネデイクト カンバーバッチと目下注目の若手スターがごっそりと出演していた。 ドラッグびたりとかミュージシヤン志望の若者の生態の映画が多い中 勉強に励む大学生 の生活は新鮮で 健やかでした。 もうひとつ「ペネロピ」と言う豚の鼻を持った女の子 (クリステイーナ リッチ)の映画にも潔く共演してます。 「つぐない」(07)は召使いの息子でありながら ご主人様のお嬢様に恋をする、そして その二人の逢い引きを盗み見ては ふてくされるお嬢様の妹の浅はかさの為に マカヴォイ君はレープのぬれぎぬをきせられると言う
Image
JUDI   DENCH 私めが最も好きな そして尊敬しているジュデイ デンチの最新作 「ザ ベスト エキゾテイック マリゴールド ホテル」(12)は久しぶりに彼女の 普通の優しい女性の 知性と感性とたっぷり見せてくれます。 夫を失い それまで仕事をした事の無い主婦だった彼女がインドの老人ホテルで豪華な余生を と言う広告を見て一大決心をしてなけなしのお金を集めて参加。ビル ナイ、マギー スミス、トム ウィルキンソンと言った英国のシニア スターもそれぞれの問題を抱えて この激色彩、激騒音、激交通がどよめくインドにたどり着き もちろん ホテルは 古ぼけた ぼろいビルで ここでいかに環境に順応していくか と言うドラマです。 「007」でのボンドのボス役、「恋に落ちたシェイクスピア」(98)「アイリス」(01)「あるスキャンダルの覚え書き」(06)「ナイン」(09) などなどデイム ジュデイの役は 王侯貴族、知識人、エキセントリックにしてチャーミングな芸術家と言ったものが多いのに 今回は 何の才能も無いと思っている未亡人が 世界でも有名なインドの電話交換手(日本の事はよく知りませんが アメリカで技術の質問を受ける料金相手払いの電話はほとんどインドの国で答えているのです。ですから妙な アクセントで 不必要にていねいで 要領を得ない 事で疎まれています) の会社で電話マナーを教えると言う格好の職を得るのです。 あのシエイクスピア女優にしてアカデミー賞受賞者 そしてエリザベス女王から “サー” 騎士の勲章 (女性の場合はデイムですが)を受けたデイム ジュデイがインドのマス コミュニケーシヨン システムの発音や話方を整えると言う設定が何とも愉快。 もちろん映画の彼女は単にお行儀の良い ロウアー ミドルクラスのおばさんですが。 始めてお目もじしたのは 「ヴィクトリア女王の至上の愛」(97)と言う女王と馬番 の愛を描いた作品。 最愛の夫  アルバート公を失った女王は公の御贔屓のハイランド ホースマン、ジョン ブラウンに会い 彼からいつまでもめそめそするなと励まされているうちに 愛が芽生える と言う身分を超えたロマンスで 女王は自分の事を “ ミセス ブラウン”と呼んだそう。 原題は それ
Image
KEVIN   COSTNER フェースブックにケヴィン コスナーの一番セクシーな映画は 「追いつめられて」(87)ー原題はもっとスリリングに「 NO WAY OUT  」と言いますがー と書いたら 大勢の人が そうだ! そうだ! と同意して 今更ながら 当時の ケヴィンのファンが多かった事に嬉しく思いました。 同時に 日本では コストナーと書いたりする事に 雑誌社の記者や元英語の先生達が反応.長い事 ユマ サーマンと書いてあったのを なんとか ウマ に訂正したり こちらでは カスコ と呼ぶ スパーストア を日本では カストコ  と言うとか。 もっと苦労なのはフランス語の名前を英語圏で語るとき  シャルル ボワイエ は チャールズ ボイエーとか。 家のドイツ人は わたしめが クルト ユルゲンス(ドイツの映画スター) とか カルト ワルトハイム (オーストリア人で国連総長だった)と言う度に 大笑いするのです。   2000 「13デイズ」 ともかくケヴィンには 「アンタッチャブル」(87)で初めて会見.野球選手として大学の奨学金を得ただけに 体育会系の爽やかで 単純な ハンサムボーイ でした.大して苦労せずに スポーツで認められ グッドルックスから俳優の道も (不遇時代 とか書かれてますが どこにスタンダードを取るかで違いますし) それなりに認められ 「再会の時」(83)では彼の場面が全てカットされ 死体の手のみがスクリーンに残った と言うエピソードもあります。 声がボーイッシュで甘く 女性にモテモテ その上 女性記者には何やら 意味深な事を言って よからぬ期待を煽ぐ傾向も 20年ぐらい前はありましたが 糟糠の妻と離婚した直後には (「パーフェクト ワールド」(93)のとき) 会見でおいおい泣き出したりとセンチなところもあって 可愛いと言うか 自然体なのです。 西部劇に情熱を持っていて まずは「シルバラード」(85)、「ダンス ウィズ ウルフ」(90)では監督も兼ねてオスカー賞を取ったし その後も「ワイアット アープ」(94)などなど 良い味の映画に出ています。 何度も会ってますが 「メッセージ イン ア ボトル」(99)のワン オン ワンのインタヴユーでは時間がなくて予告編のみ見て 映画を見ないま
Image
HILARY   SWANK セクシーからほど遠いいけれど 男勝りの覇気が溢れていて きりりと潔くて 清潔で 女親分になってくれたら頼もしいヒラリー スワンク。水前寺清子の行進曲 ソングが出てきそうな。 少女のときは水泳の選手でワシントン州第5位に選ばれたほどの泳ぎ手だったそうで やはりそのスポーツ根性が女優になっても芯に潜んでいるよう。 初めて会った時 ロスアンジェルスにやってきても 仕事が無く母と二人で 安いトレーラー暮らしをしていたと言ってました。94年の「ベスト キツド 4」 と言うカラテ キッドの女の子版に出た時でした。体はガチガチに固い感じで 髪は長くとも 大きな歯ばかり目立つ ハリウッドのスターレットとは全く違う 山から出てきたばかりの野生の娘のようで 張り切ってものを言うのも 男の子 のようでしたね。 それが5年後の 「ボーイズ ドント クライ」(99)での女性の体を持ちながら 男性として生き 胸にサラシ(?)を巻き ズボンの股間を膨らましたりして可愛い女の子に恋をする役にぴったりでした。 この時のインタヴユーでもまだ貧乏生活をしているけれど心は錦ってな事を言って さばさばとしていましたっけ。 97年にはロブ ロウの弟のチャッド ロウと結婚したのですが新婚のお嫁さん と言う雰囲気はほとんどありませんでした。チャッドはドラッグ常用者となって お決まりの苦労が既に始まっていたようです。 アカデミー賞を受賞しレッドカーペットで大胆なドレスを着て注目を浴びていても いつもどこか場違いの雰囲気を漂わせ そのぎこちなさが微笑ましかった。 いつも男勝りの女性と言う役どころがぴったりのヒラリーが「マリー アントワネットの首飾り」(01)と言う映画で時代劇の衣装を着て 宝石をじゃらじゃら付けた姿は いやはやでした。知り合いの脚本家が オーストリアのハプスブルグ家のお姫様 シッシー (エリザベス、昔ロミー シュナイダーが演じて大好評でした) の役をヒラリーにしたいと言うのを聞いて仰天した事もありました。 2度目のアカデミー賞を獲った「ミリオンダラー ベイビー」(04)も彼女の為に作られたようなストーリーでしたね。1年間近くボクシングのトレーニングを してほどんどプロの女子戦に出られるほどになったと言うスポーツのど根性、
Image
PHILIP   SEYMORE   HOFFMAN 場面盗みの名人でした。「セント オブ ウーマン」(92)でのいじめ同級生、 「ツィスター」(96)での竜巻追いかけ男 「ブギーナイツ」(97)でのポルノ撮影助手と金髪小太りでにたにたしながらも チラッと凄味を見せて 主演俳優たちを食ってしまう。愛嬌のある顔がまた 画面を和らげて 私はデビュー当時から注目しておりました。 1999   「リプリー」 初めて会ったのは 「ツイスター」でまだ29歳の若造でした。人なつこくて 良い育ちをしたのだろうな と言う優しい性格が見えて 一緒に馬鹿な冗談を言い合ったり。 次に会ったのは トロント映画祭で「リプリー」と「フローレス」と「マグノリア」の3本に出演した99年のこと。パーテイーで昔の友達の様に飲んで お下品な話題も交わして大いに楽しみました。 後にロスでの会見では このおばばの私を “ ハーイ セクシー!” 等と呼んでくれて こちらは照れたりする始末。別に魂胆が会って お世辞を使っているのではなく いたずらっ子なのです。 “みんなが僕の事を 太っちょの 真っ白で 黄色い髪のあいつと呼ぶ。たまさか 知能が低いと思われる。そりゃあ 僕はシャープとは見えないものね。それでも一度ぐらいは 魅力的と言われたい。せめてキュートと言われたいのだが まだ誰もそう言ってくれない” と文句を行っていたが これはどちらかと言うとへそ曲がりの自己宣伝と受け止めよう。 「ラヴ リーザ」(02)と言う弟のゴーデイーが脚本を手がけた映画の頃から ハリウッドの人工的な人間関係 浅薄な姿勢 等に疑問を持ち始め ブロードウェイの舞台に本格的に取り組み 「かもめ」や「トルーウェスト」などでトニー賞 の候補になったり。 そしてあのお茶目なフィリップは影をひそめ 眉を寄せた真剣演技派のホフマンと 変化したのです。 2005年の「カポーテイ」でアカデミー主演男優賞。小男でゲイのトルーマン カポーテイを180センチ 太り気味のホフマンが微妙な細工と演技で見事に リアルに仕立て上げ これで映画界のヴェテランとなった事に感激しました。 ほとんど同時に英国俳優のトビー ジョーンズがサンドラ ブロックと組んで カポーテイを演じ こちらの方が遥かに
Image
HUGH   JACKMAN 初めてヒュー ジャックマンに会った時 骨っぽい体の長身 細い顔 オールバックにした髪 眩しそうな表情 など全てが 若い時のクリント イーストウッド そっくりで それを指摘すると “ そう よく言われます。とても光栄です!” と恥ずかしそうに 話してました。 2000年の 「X ーメン」でウルヴァリンの役をダグレイ スコットが降りた 為に演じて注目されたときです。歌とダンスが得意で ミュージカル 「オクラホマ」に出ていたと やおら立ち上がって “ オー ホワット ア ビューテイフル モーニング!” と朗々たる声で歌うではありませんか。 2002「ニユーヨークの恋人」 その瞬間から イーストウッドのイメージが消えてしまいましたが ショウマンシップの塊なのだなーと感じ入りました。 それから主演作の度に ちょっと歌ったり アクシヨン入りの立ち回りを見せたり と既にスターになっても とびきり軽い乗りで 色々なパーフォーマンスをしてしまうのでした。 ブロードウェイのワンマン ショウ 「ボーイズ フロム オズ」(03)で オーストラリア出身のミュージカルスター ピーター アレンの半生を華麗に も哀しく演じてトニー賞を受賞しましたが 余りに もアレンになりきって演じた為 同性愛だったアレンにだぶって ヒューの性的嗜好まで 問われた事もありました。 この舞台を見に行きましたが まさに水を得た魚の様に ぴょんぴょんとステージ狭しと飛び回り 金色のラメの衣装も 似合って 映えて 見ごたえ 充分。 優しい眼を持っている 実に優しい人で どんな時でも サービス精神にたぎり 国を挙げての歴史大作(?)「オーストラリア」(08)に主演した時 撮影中の彼をシドニーに訪れました。埃だらけのセットで 汗まみれのヒューは カウボーイの役 華麗な衣装をまとったニコール キッドマンは英国上流社会の 貴婦人で優雅に横座りで馬に乗り と言う設定のロマンス。 汗を拭いながら 合間 、合間に “ 水はいらないか? 日陰に移動した方が良いのではないか?” 等と聞きにきます。  夜の食事会でも テーブルを回っては 全員をハッグし ウェイターを呼んでくれたりと仕事の疲れなど全く見せずに 張り切るのでした
Image
DUSTIN  HOFFMAN スクリーンのダステイン ホフマンは時として物静かなインテリの役などして 高邁な雰囲気を漂わせますが オフ スクリーンのホフマンは 何と言うのでしょうか 切りなくおしゃべりをする物識り博士なのです。 役作りはまず知識から とリサーチをとことんし その膨大な資料を共演者などにも押し付けて モーガン フリーマンなどは 脚本だけで充分 と送り返したりしたとか。そう言う訳で 何に対しても巨大な好奇心をぶつけ リサーチに関しては 専門家はだし。 そして会見では とうりいっぺんの質問など無視して 一人で その時の 社会事情とえんえんとおしゃべりするのです。この間は プロバスケットの台湾出身 ハーヴァード大卒のリン選手の事を興奮して話してましたし 映画の事を書くために 遮ろうとするとますます 意地を張ると言う 困ったスターなのです。 とびきり頭が良くて この役を選んだ理由は? 等と聞かれると 退屈でうんざりしてしまうタイプ。よくいますよね。おじさんとか趣味の多いい人とかに。 小柄で頭でっかちですが 実に敏捷な動きをするのは 毎日の様に続けている テニスのせい。いつも真っ黒に日焼けして テニスコートではかなりの腕前とか。 の8月に75歳になりますが 全く衰えないのは 脳細胞と肉体の鍛錬のたまものでしょう。 初めて会ったのは 「レインマン」(88)でトム クルーズの兄貴役を演じた時。別にアカデミー賞をけなしている訳ではありませんが ハンデイキャップのある人間を演じると賞を取りやすい 例えば ダニエル デイ ルイスの「マイ レフト フット」(89)とかトム ハンクスの「フォレスト ガンプ」(94)などなどたくさんの例があります。でも「レインマン」はちょっとしたスリルもあって クルーズも控えめで (ホフマンの共演者はおのずとそうなってしまう) 感動の名作です。 話題はその前の年に出た「イシュター」(87)と言う作品が全くヒットしなかたつことの分析 かつ 弁解でした。ハリウッドでも 巨大予算をかけて 見事にこけたワースト10に入る娯楽大作でしたが。 弁護士になっても しっかり成功する事間違いなしの言葉で相手に勝つ 雄弁にして詭弁の達人と言えます。 ま その後多くの映画でホフマンに会ってきましたが 4半世紀 全く変わらず と言うか ま
Image
CHARLIZE  THERON 2008「SLEEPWALKING」 南アフリカはヨハネスブルグ近くで育ったシャーリズ セロンは94年にロスアンジェルスに来て女優志願の仲間入り.ある時ドラッグストアで小切手の支払いを拒否した店員にありとあらゆるヴォキャブラリーと劇的な動作で反抗していると それの見たスカウトが契約 と大昔にやはりドラッグストアで掘り出されたラナ ターナーの逸話を繰り返したと言われます。 フランス人の父親はアル中である日ドイツ人の母親と大げんかをし 銃が発射され 父は即死 母は自己防衛で無罪と言う悲劇が起こったのが91年。 モデルとしてヨーロッパで活躍したものの 演技に挑戦とセロンのガッツは タダモノではありません。 2011「YOUNG ADULT 」 初めて会ったのはキアヌ リーヴスと共演した「デイアボロス」(97)。アル パチーノが凄腕弁護士を演じてました。 犬が大好きで迷い犬からシェルターの犬と常時5匹ぐらい飼っている事から 犬=愛 で色々話が弾み 以来10数回 会ってますが 癒しの会話が発展します。私の異色の質問にも いつも 笑って答えてくれますし “あなたって とても変わっているけど その強みを無くしては駄目よ” 等と励まされたり。 「モンスター」(03)の女連続殺人魔を演じたときは 孤独感を得るため 愛犬を置いて 一人でモテルに閉じこもり ジャンクフードを食べ続けて でっぷりと太り 醜女メークで大怪演。 時たま訪れた当時の恋人 ステユアート タウンゼント (アイルランド出身の俳優)は こういうむちむちした体の方が 好きだ と言ったそうですが 撮影が終わるなり 持ち前の自制心で スピーデイーにもとのスリムボデイーに。アカデミー主演女優賞を勝ち取った日は まさに栄冠に輝くミス ユニヴァースにも見えました。 “外見がストーリーを語る道具になるのは当然。ニコール キッドマンが付け鼻を付けて 「めぐりあう時間たち」(02)でオスカーを得たり ハリー ベリー がやはり醜いメークをして 「チョコレート」(01)でオスカーを受賞した ことで 美人女優が賞を取るには まず醜くなれば良い 等と言われるけれど メーク以上の演技力の重要さを全く分かってない。憤慨しますよ!” と美し
Image
NICK   NOLTE 今のハリウッドの唯一の反逆児、それも71歳にしてまだ無頼漢を私生活でも 嬉々として実行しているニック ノルテはネブラスカ州オマハに生まれ 父親は 6フィート6インチの巨漢 ドイツ系だったそうな、母親はリベラルな思想を 二人の子供に叩き込んだと。 高校時代にフットボール選手としてならしたものの 練習時にお酒を飲んで クビになった  等などたくさんのノルテの若い時代の悪ぶりがありますが 有名になってからも記者達に平気で嘘の半生伝をでっち上げ どこまでも くそ真面目な姿勢を拒むしゃらくせいの男なのです。 62年には偽の徴兵カードを売って 逮捕され 5年の実刑と7万5千ドル の罰金を課せられたのは実話だそうです。 “ 始めのうちは記者にでっち上げの話ばかりしてきた.赤の他人に 懸命に聞かれるとむずむずして 嘘が洪水の様に出てくるのさ” 初めてノルテにあったのは 「ビバリーヒルズ  バム」(86)、彼が45歳の時。ホームレス男を演じる為に1ヶ月近くも浮浪者を実行して そのまま 撮影現場に現れ 共演のベット ミドラーは2度とノルテと一緒に仕事はしたくないと叫んでいました。 この頃のノルテはパジャマの上にレインコートを羽織ると言うスタイルに凝って 大柄な彼がゆらりと瀟洒なホテルの会見場に出てくると精神病棟から抜け出してきた患者のようでした.もちろんくしゃくしゃの金髪と顔は知られていますからとがめられたりはしませんが 何とも愉快な存在でしたね。 私めがスポーツ記者だった故 “「ノース ダラス40」(79)のフットボール選手役は素晴らしかったと彼の迫力を褒めると嬉しそうに “ 映画はフェイクの連続だけど あの役は かなり真面目に取り組んだのだよ” とにんまり。 どうして俳優になったのですかと聞くと “ 大学時代 友達に連れられて 「セールスマンの死」の舞台を見に行って 電撃的なインパクトを得てね. すぐにパサデナプレイハウスの演劇訓練クラス に入ったのだよ.自分でも信じられない決心だった” それから10数回 ノルテと会見を重ねてきましたが 「白い刻印」(98) の頃は 大男の悲しみを枯れた演技で見せる様になり 本人も自然体になってきて “ 自宅の庭を野生のジャングルのようにしてね、木や
Image
JUSTIN   TIMBERLAKE 先日メンフィスに行った時 我らがキング エルヴィスの他に 日焼け王 ジョージ ハミルトンが ワンマンショウをしていてやはりメンフィス出身と知り さて今回はぐっと若返って メンフィスに1981年1月31日に生まれた ジャステイン テインバーレイクの登場です。 2011  「イケない先生」 7歳の頃から歌って踊って のど自慢番組で勝ち抜き「ミッキー マウス クラブ」(93−94)のメンバーとして ブリッタニー スペアーズ、クリステイーナ アギレーナ、ライアン ゴスリングと言う才能満タン メンバーと一緒に デイズニーの洗礼を受けてそれぞれがスターになったと言うのは余りにも有名。 初めて会ったのは [NSYNC LIVE AT MADISON SQUARE GARDEN 」(01) と言う特別番組が放映された時。 メンフィスのバプテイスト教会の牧師を祖父に、その教会の聖歌隊のデイレクターが父親と言う家庭に育ったジャステインは当然ながら敬虔で お行儀がよく ボーイバンドのスターとは思えない南部のしきたりを貫くヤング ジェントルマン でした。 “ スパイス ガールズみたいにそれぞれの持ち味だけで人気を得るのではなく それぞれのナンバーの度にしっかりダンスと歌を練習して 完全なステージを 作り上げる。それが僕らのレベルをあげて さらにタフなショウに持っていく” と神妙なコメントをしたかと思うと軽いジョークを連発する生粋のショウマンの20歳でした。 ブリッタニー スペアーズからアリッサ ミラノとの交際、ぐんと歳上でスターレベルも高いキャメロン デイアズとの3年間のロマンスでジャステインの知名度も上がり 同時にジャステインは歌手から俳優としても評価され出したのです。 「アルファ ドッグ」(07)はニック カサヴァテス (有名なジョンの息子) が手がけたハリウッドの悪ガキ達の生態を描いたドラマで鋭い演技を見せ この時の会見では “ 本物の俳優達を目の当たりにして 僕はさらに謙虚になり もっともっと 学ぶ事があると胸が膨らんだ。” と鼻の穴も膨らませていたのです。 「ブラック スネーク モーン」(07)“ 黒い蛇の呻き” というおぞましいタイトルの映画では クリステイーナ リッ

JULIE ANDREWS

Image
JULIE    ANDREWS アメリカの兵隊達のための娯楽映画のベスト10のひとつが 「サウンド オブ ミュージック」で 実際に米国内の基地を訪れた時 屋外の巨大なスクリーンに ジュリー アンドルーズが登場し あの “ ザ ヒルズ アー アライヴ ウィズ サウンド オブ ミュージック !!”と言う懐かしい曲がかかると 満員の客席の兵隊達は わーわーおーおーと盛大に歌って拍手してました。 日本の自衛隊さん達は美空ひばりとかに鼓舞されるのかな などと思いましたが 心が暖かくなる光景でした。 2010   「妖精 ファイター」 いつまでたっても 「メリー ポピンズ」(64)のイメージのジュリーに初めて会ったのは 「THAT'S   LIFE ! 」(86)で 夫君のブレーク エドワーズが監督 映画の上の夫役はジャック レモン 60歳になったレモンが老いを憂い 妻のジュリーはガンの疑いで苦しみ と言う裕福な家庭のホームドラマで 周囲を囲む俳優達はほとんどが実の家族 か親しい友人達  何とペットまで ジュリーの愛犬と言うまさにホームメイド ドラマでした。 あの鈴のような声で ちょっと上ずりがちなところが若々しいジュリーは 夫を立てるのに懸命で夫婦の絆を見せてました.やはり夫君の監督作品 「S. O. B.」(81)で胸をはだけて 乳房を見せた時のショックは相当なものでしたが 結局 またもとの善良で心の優しいメリー ポピンズのジュリーでした。 小さい時からどさ回りの芸人一家に育ち 腰を低くするのが 習慣になっている どこかに寂しさを漂わせる謙虚なスターでした。 ロンドンで大評判になった 「マイ フェア レデイー」の舞台の映画化で より美しく より人気のある オードリー ヘップバーンに役を獲られ この映画で(64)オードリーは   既に「ローマの休日」(53)で脚光を浴びてましたがさらにオールラウンドの大スターに しかしジュリーもしっかりポピンズ役を得て 家族用ミュージカルの女優になったのです。 苦労した子役時代 当たり役を奪われるなどの経験と ま かなり長いお顔という ハンデイーキャップがジュリーの控えめな態度を生み出したのでしょう。 声帯を痛めて 声が出なくなり 98年に手術をして 「プレテイー プリ
Image
JACK    NICHOLSON “ コーヒーはブラック、荒い小麦粉のトーストは心持ちきつね色になるぐらいに焼いて 卵は中が緩く 外側が固い様に作って バターでなくマーガリン ジュースはつぶつぶが入ったオレンジ、出来ればフロリダ産のやつ。。。。”  と疲れた様子のウェイトレスに細かい注文を山の様にだすジャック ニコルソンの 「ファイブ イージー ピーセス」(70)の場面は今もよくパロデイーに使われています。 見るからに狡猾そうで 憎たらしい表情が若い頃のニコルソンのトレードマーク だった。人を食った態度がショッキングにして新鮮で 画面に出てくると 次に何をするか分からない面白さとサスペンスを展開してくれますよね。 若い時の彼にあった事は無いけれど 記者にとっては手強い相手だったでしょう。 50歳を過ぎてからは 横柄なのか 横着なのか それとも非常に繊細なのか  ニコルソンは 会見の度に “老舗ジャック ニコルソン” を開店するのです。 心の窓の眼をひたすら隠す黒い眼鏡をかけて あのにやついた笑いを浮かべ 酸いも甘いも噛み分けた態度で 故意に 二重にも三重にも取れる謎めいた 言葉を選んでは ほくそ笑んでいるような。 ある時 “誰もかもが コンドーム コンドームと強調するが わしは絶対に使いませんよ。使った事も無いね” と言う露悪的なコメントを吐いていた記事があって さてその直後に 「恋愛小説家」(97)での一対一のインタヴユーが舞い込んだのです。普段は余り性的な事やプライヴェートのことでは いやらしいレベル にならない様に質問するのですが この時は思いきって “ 本当にコンドームを使った事が無いのですか?” と質問。 “ ウオッホッホッホ。君ね 僕がそんなくだらない質問に答えるとでも思っているの? ま しかし 教えてあげよう。そう僕はそう言う人口的なものが大嫌いなのだよ。 セックスも食事も自然のままが一番!” と勿体ぶって答えてくました。大人の風格と言うよりいたずらっ子のようでした。 ニコルソンのイメージに沿って演技しているようでもありました。 初めて会見したのは「イーストウィックの魔女たち」(87)で サテンの寝間着を着て群がる美女や魔女と戯れると言うニコルソンならではの役柄で 当時50歳の彼はまだ毛髪
Image
5月10日から6日間 旅行に行きます。 毎日 ブログを書くのが日課になってきましたが 外国まで行って コンピューターに向かうのは余りにも オタクなので しばらく休憩します。 又張り切って書きますから お待ち下さい。 死にそうにバカバカしい 人を食った「デイクテイター」(独裁者)と言う映画の会見でのサーシャ バロン コーエン。2012 5月 成田陽子
Image
ROBERT    REDFORD 永遠の2枚目は今年の8月に76歳 最近は公共の席に出るのを敬遠する様になり グレダ ガルボ 又は 原節子 の域に入っていきそうなロバート レッドフォードに初めて会ったのは85年でした。 当時49歳のレッドフォードはブロンドの髪は豊かに 彫刻の様にシャープに刻まれた目鼻立ち 均整のとれた無駄の無いスレンダーな体 そしてそう言う美男子 特有の無意識に意識してしまう “ 外見より中身ですよ “と言った無駄な抵抗 があって 知性を強調するのも 不必要な試み と見たのです。 映画は おそらく「愛と悲しみの果て」(85)でしょう。メリル ストリープがデンマーク語訛りをひたすら話すかたわらで 英国人の冒険家を演じたレッドフォードはアクセントの台詞を拒否し アメリカのアクセントで通した原題は 「アウト オブ アフリカ」と言うロマンス巨編です。 会見ではいやらしくない程度に気障で 自然が自分の生活に とてつもなく大事なのだとか話してました。 彼が野球を大好きなのは 「ナチュラル」(84)などで知られてますが ブルックリン ドジャース(ロスアンジェルスに移る前のチーム)のスター選手だったドン ドライスデールと ヴァン ナイス高校時代 (54)同級生だったのですって。 2007  [大いなる陰謀」 ご存知ですか? レッドフォードは「ゴッドファザー」に出るのを勧められたそうですがコッポラ監督が ちょっと君ではね と言ったかどうかはともかく この役は アル パチーノに行きました。髪を黒く染めたレッドフォードのマイケル コルレオーネを見たかったですよね。 自宅 というか広大な牧場兼スキー場があるユタ州を若き映画人達の発表の場にしたいと始めたパークシテイでのサンダンス映画祭は今や巨大化してメジャーの映画祭になっていますが 90年頃ここであった時は さすがに自分のベイビーですから にこにこと親分風を漂わせていました。 最後の会見は「大いなるの陰謀」(07)の時。写真もこの時のもので当時71歳でした。 “ 自然に年を取って それなりの老人になりたい。” と頻繁にコメントしていますが やはりどう見ても 顔をいじっているようですし 髪もしっかり染めています。虚栄心と言うのか 職業病とでも呼ぶのか 何となく 複雑
Image
ANDREW   GARFIELD 注目の新しいスパイダーマン、アンドルー ガーフィールドは英国産と思われがちですが 生まれはアメリカのロスアンジェルス でも4歳の時に英国に移り それからずっと英国暮らしのため アクセントも身振りも 表情も 若い英国人俳優です。父親がアメリカ人 母親がイギリス人ゆえです。 小さい時から舞台俳優に憧れていただけに しっかり演劇学校で基礎を学び つまり舞台人としてのマナーやチャーミングな話し方の秘訣 ヴェテランに対する尊敬の心 等を叩き込まれている誠に謙虚でお行儀の良い若手スターです。 2012 4月 スパイダーマン  Tシャツの写真はマイケル J フォックス 初めてアンドルーを見たのはロバート レッドフォードが監督主演した 「大いなる陰謀」(07)と言う社会ドラマで 彼はレッドフォード扮する大学教授の生徒の役を演じてましたが やけに可愛らしくて 私めは同時代の日本の記者に “ 三田明にそっくり!!” と言って大笑いしたものでした。 次の「わたしを離さないで」(10)でのアンドルーははかなくて 風に揺れる風鈴のような響きをスクリーンに映して それはそれは 悲しいドラマを見せてくれました。英国のベストセラー作家 イシグロ カズオ ( 石黒一雄)が書いた原作「NEVER LET ME GO」は辺鄙な場所に集団生活をしている若者達が自分たちの運命を知って 必死で解決法を探す という 一種のSF小説です。 この時初めてアンドルーに会ったのですが 華奢な体に小さな頭のいかにも繊細と言う言葉がぴったりの若手でした。27歳でしたが16歳ぐらいにしか見えませんでした。 次に会ったのは「ソーシャル ネットワーク」(10)でフエースブックの創立者とハーヴァード大での同級生を演じた時でアメリカでぐーんと人気があがったのです。 相変わらず恥かしそうな それでいて 芯には自信がたっぷり潜んでいる感じでしたね。 それからブロードウェイの舞台で 「セールスマンの死」をフィリップ セイモア ホフマンと共演、この有名な舞台劇は数々の名優が絶望に陥るセールスマンの父と 息子を演じてきましたが このコンビは絶賛を浴び リハーサルでホフマンが 突然 アンドルーの唇に接吻する動作をし こ
Image
MERYL    STREEP 2011  [THE   IRON  LADY] 偉大な女優などと呼ばれるのをこっぴどく嫌がるメリル ストリープを好きな人は徹底的に崇拝し 嫌いな人は少し太めの二の腕を見るのもおぞましいと ほとんど食わず嫌いなほどに彼女の映画を避けているようですが 久しぶりにアカデミー賞を受けた「アイアン レデイー」(11)でしたら どちらのタイプも楽しめます。 メークアップと言いアクセントから表情まで英国の元首相 マーガレット サッチャーになりきっているので 画面に登場するのは全くストリープではないからです。 横町のセブン イレブンみたいな店の娘だったサッチャーがオックスフォード大を出てあれよあれよと言う間に首相に担ぎだされ それまでのロウアー ミドルクラスの服装、フリフリ ブラウスとか安っぽい帽子にスーツなどのスタイル 甲高い声 動作 等をアッパー クラスにふさわしい淑女になるようにコーチされるプロセスが面白かったですねー。ロマンスのいきさつも面白かったし。年老いてからの 回想/幻想の繰り返しはちょっと重かったけれども。 “ メークはもう30年近く私を担当してくれる人で 昔と違ってとっても薄くて 2009 「ジュリー& ジュリア」 スクリーンで見るようにずっと自然なもので だからこそ 楽に役作りが出来たのよ。若い頃は役を引きずって家に帰ってからも 頭の中が役の事でいっぱいだったけれど 今は撮影現場を離れたら すっともとの私に戻ります。 サツチャーは家事を自分でしたがって コックを置かずに 仕事で遅くなると デパートで出来合いのものを買って夫と夕食をとったのですって。公邸で夜更けての会議になると夫がドアから顔を出し “ ウーマン! 他の男性方に食事を出しなさい ” と怒鳴ったのですよ。わざと時の首相をウーマンなんて呼ぶところが 彼らしいでしょう。そうするとサッチャーは作ってあったウサギのシチュウなどをだすのですって。私でさえ 家にコックがいるって言うのに。ダウニング街の首相邸の使用人は30人ぐらいで ホワイトハウスは400人ぐらいと何もかもが信じられないほどに小規模で 控えめなのですって。” とストリープは色々な面白い話をしてくれました。 2009  [恋するベーカリー」 そのメークを
Image
CLINT   EASTWOOD この5月31日に82歳 (!)になるクリント イーストウッドには数えきれないほど会ってきましたが 何と言っても 古き良き時代の男らしさを漂わせる もしゲーリー クーパーが生きていたら 似たような態度を取るのではないかな 2010  [  HEARAFTER ] と思ってしまいます。無駄口を叩かず 控えめで ドライなユーモアをたまに口に出し 無骨を装っているものの しっかり 美しい女性が影に控えているような。 「ローハイド」(59−65)が大好きで 真面目な “ マイ ネーム イズ フェイバー、トレイル ボス!” と出てくる親分のフェイバーさん (  エリック  フレミング。。。。この俳優は事故で顔を原型が亡くなるぐらい破壊され 完全な整形手術でよみがえったと言うエピソードがあります。だからこわばった顔なのですと)をしょっちゅう困らせる 女性に弱くて けんかっ早いロウデイー イェーツ君は最高でした。 ひょろひょろで 金髪頭が かなり凝った髪型で トロイ ドナヒュー カウボーイ版と言ったら不服なファンがいるでしょうが。 実は今もボックス セットの「ローハイド」全巻をたまに選んでみては にたにたと楽しんでいます。私にとって あの “ローレン  ローレン ローハイド!” と言うフランキー レーンの主題歌とともに 子供の頃の懐かしい想いが胸を横切るのです。 さてさて 嫌いな人はまずいないであろうミスター イーストウッドに初めて会ったのは「ハート ブレイク リッジ」(86)と言う彼が監督 主演した海兵隊 しごきドラマで もちろんクリントは鬼の軍曹役、新兵を訓練し 彼らを戦地に 送り 複雑な心境になると よくあるストーリーですが 雰囲気は最高です。 当時55歳のイーストウッドは既にしわしわで しみだらけでしたが 長い手足 の体は青年の様にしなやかに動いてました。嗄れ声もおなじみで 親しみやすくは無いものの 品格にあふれてました。 2008 「インビクタス」 もっともっと彼については書きたいので 古い写真を探してきてから 又書きます。
Image
 KATE   WINSLET 去年のクリスマス頃 ヴァージン航空のオーナーのバハマの別荘が火事になった時ちょうど滞在していたケート ウィンスレットはオーナーの90歳近い母上を えいやつと抱っこして無事に連れ出したと言うエピソードはいかにもケートです。 巨大ヒットした「タイタニック」(97)では小太りの女性がやせた若者に命を助けられる画像が人々の記憶にしっかり残っているゆえに 何かおかしいではありませんか。 2011 [MILDRED  PIERCE] TV 「乙女の祈り」(94)はあのニユージーランドのピター ジャクソンが初めて監督した背骨が凍り付くようなスリラーで 原題は「HEAVENLY  GAME」。ケートはまだ17歳 (撮影中)でテイーン エイジャーの二人の女の子の世にも残酷な行動は今も鮮烈に 覚えています。 この時初めてケートに会ったのですが まだ乙女脂肪 と言うのか 高校生頃の ぼてっとした体で 英国人らしい それを恥じない ハキハキと答える健康優良児 でした。わたしの安物の大きな偽真珠のネックレスを見て “ 素敵じゃん” と言ってくれたので “ 古着屋で買ったのよ”と答えたら “古着屋って 掘り出し物が多いいから 大好き!” なんて他愛ない会話をしました。 「タイタニック」の余りの騒ぎに この頃からケートは人気稼業制度にうんざりし始め 一応 マスコミとの対応はしっかりこなし 船内にどっと押し寄せる濁流に溺れそうになって 本当にレオ (言うまでもなくデイカプリオ)に助けてもらったのよ!  等とリップサービスを敢行してました。 それからハリウッドの引く手数多のオファーを全て断り 誰も見ないような独立系映画を選んで かなり頻繁におしっこシーンとか全裸シーンなどを勇ましくこなし 無名の助監督と結婚して1女をもうけてから離婚 03年には新鋭気鋭のサム メンデス監督と再婚、男児が生まれて 又離婚 と大人の女優に成長するこやしを 充分に得て 「愛を読む人」(08)で見事アカデミー主演女優賞を受賞。 モデル並みにグンと痩せたのを批判された時は “ 子供を終日追っかけていれば 痩せますし 雑誌の写真は修正だらけなのですよ ” と説明してましたが 最近のストレッチ生地のウルトラ タイトなドレスばかり着る傾向はどうですか
Image
DEBBIE    REYNOLDS 実はデビー レイノルズ とか サリー フィールドと言った隣のお姉さん、庶民派女優は苦手なのです。銀幕に冷たい美女 とか 手の届かないような気高い女性 とか 身震いするような性的魅力を放つグラマーとか 変人 奇人 タイプが出てくると入場料を払う価値があると思うのです。 ローレン バコール とか グレース ケリー とか マリリン モンロー とかオードリー ヘップバーンとか キャサリン ヘップバーン とか 樹木希林みたいな女優達が良いですねー。 LAS VEGAS 1990年頃 既に60歳近くなってのデビーにラスヴェガスで会ったのですが はいやはや 口八丁 手八丁のスタミナ 満タンで 人の前では本能的にパーフォーマンスをしなくてはいられない と言うタイプでした。 彼女がオーナーだと言うカジノの中の小さな劇場で ワン ウーマン ショウをしていたのですが 昔の映画のフッテージや有名な場面を取り入れて その前でめまぐるしく しゃべったり 歌ったり 軽く踊ったりして 私めにはちょっとセンチメンタル ジャーニーすぎました。 その後インタヴユーとなったのですが ショウのままの高揚状態で 聞かれない事を 勝手に 艶めかしい仕草で話し続けていました。 “今までで一番苦労したのは 「雨に唄えば「(52)と出産かしら!” “ 今の映画にはとても出られないわ. だって服を脱がないと駄目なのだから!” 「奥様は芳紀17歳」(54)なんてとびきり可愛かったし 「艦隊は踊る」(55)のダンスも最高! 昔はミュージカルが大好きでほとんどのミュージカルを見てますが デビーはぴちぴちして 跳ね回る若さが見ものでした。 シド シャリースやケイ ケンドールの美しくてセクシーな歌と踊りに胸をときめかせていた私めには デビーはちとチアガール風張り切り娘でした。 アルバート ブルックスが監督 脚本 主演した 「マザー」(95)で再び彼女 会見。もちろんブルックスの母親を演じて この時は既にラスヴェガスの舞台には出ていませんでした。 [MOTHER] 1996  ALBERT BROOKS,  DEBBIE REYNOLDS “ 少し盛りを過ぎたご婦人用のエキササイズ ヴィデオを作ったのよ。タイトルは 「
Image
CHRISTIAN   BALE 真剣勝負を続けているようなクリスチアン ベールって毅然として 潔くて セレブリテイーなどと言う身分に全く興味がなくて 不必要に笑ったりせず 売名行為など糞食らえ !と媚びない姿勢が今のハリウッドでは たまらなく 2007 「3時10分決断の時」 貴重な存在です。  「太陽の帝国」(87)で上海をさまよう少年役はスピルバーグ監督が4000人の中から選んだそうですが なんか生意気で可愛くないガキっちょでした。 この時12歳ぐらいだったクリスチアンは すぐに人気スターになれると思ったのが 学校に戻れば 嫌がらせをされるわ 妬まれるわ でこれ以来 スターの座に 拒絶反応を持ったのかも。 初めて会ったのは 「ニユージーズ」(92)と言う重ったるしいミュージカルの時。すらりとして 涼しい目鼻立ちの美少年でしたが 影があって アメリカ人の 軽さ 陽気さがなかったのは 彼も英国はウェールズ生まれだったからでしょう。 「アメリカン サイコ」(00)こそ彼の為の映画と言える究極のサデイスチックなナルシシストの類を見ない暴力的なドラマで 朝 鏡の前で男前度を点検する 顔つきが迫力満点!  この人は照れると言う態度がないのではと思いました。 シャープなカットのスーツを着こなし 高級ブランドのアクセサリーをさりげなく見せて そこらのモデルなど ださい田舎者に見えてしまうスタイリッシュな姿でした。 「マシニスト」(04)では60ポンドだか痩せて もう収容所のユダヤ人のような体になっての熱演。この俳優はマゾヒストなのではと思いましたね。役の為に自分の体を “おつう” のように切り刻んでしまうような。 「バットマン ビギンズ」(05)では これまでとは違うマンガチックではない悩む実業家のバットマンとして登場。セット訪問でも なかなか役から自分を切り離せない超真面目な俳優の姿は ロダンの “考える男” を連想しました。 「3時10分決断の時」(07)は1957年のリメークで オリジナルの題は 「3:10  TO YUMA」。貧しい農民が大悪党の手助けをしているうちに 悪人の心理に魅かれていくと言う面白いストーリーの西部劇です。オリジナルでは ヴァン へフリンがクリスチアンが演じた農民の役を、グレン フ
Image
CATHERINE    ZETA-JONES 最近のハリウッドではなかなか見かけない妖艶な美女で唇の端がくるりと上を向いている為に蠱惑度と親近感がググーンと高いキャサリン ゼッタ ジョーンズは 英国はウェールズ産です。リチャード バートンやアンソニー ホプキンズ 最近ではリース エヴァンズ (「ノツテイングヒルの恋人」(99)でパンツ一丁で走り回っていた奇人)などの少し変わった 非常に頑固な人種を生産する地方ではないでしょうか。 初めて会ったのはもちろん出世作 「マスク オブ ゾロ」(98)でアントニオ バンデラスの怪傑覆面男の恋人役をそれまでの “あー 怖い!助けて” と失神する姫君ではなく 勇ましくチャンバラをし 馬に飛び乗る男女同権主義者に仕立て上げた時。 “ ウェールズの人たちは義理堅くて 助け合い精神が強いの。ハリウッドに来たからと妙に浮かれたりしたら すぐに叩かれますのよ。それに私は11歳から舞台に出て 独立精神だけはしっかりありますから 小さな事にへこたれません。 何たって ロンドンでは 屋根裏部屋で 毎晩ツナの缶とパンだけでも平気で暮らしていたのですもの。舞台は私の命だったのよ!” と柳眉を逆立て 鼻息を荒くするのでありました。ゴージャスでした。 9月25日と誕生日が同じと言う会話で親しくなったマイケル ダグラスとその2年後 2000年に豪華絢爛の結婚式を挙げたのもゴージャスな美女にぴったり。 彼女と付き合い始めたダグラスにインタヴユーした時 あのにやけた顔をさらに崩して “ ヨーコ。そうキャサリンと付き合っている。しかしまだ公にはしないでくれ” と頼んできたのを思い出します。 「シカゴ」(02)で念願のアカデミー賞を取った時 巨大なお腹で堂々と歌を歌った様に キャサリンには物怖じと言う言葉はないのです。「シカゴ」の歌はともかくダンス ナンバーの迫力は凄かった。 “ 毎日痣が増えて もう体中どす黒い紫色になって でも小さい頃は体操の選手 だったから運動神経には自信があるの。” と唇の端をあげて 平然を言い放っていましたが よく考えると椅子に体をばしばしぶつける痛々しいダンスナンバーは体操の器具を使っての競技にそっくりでした。 「幸せのレシピ」(07)の頃は既に大女優の貫禄で 名シェフの役がぴったりの少し豊
Image
CHARLTON    HESTON チャールトン ヘストンってトンと言う韻が面白いなとずっと昔の子供の頃に思いました。 「十戒」(56)「ベン ハー」(59)「エル シド」(61)等などほとんど全て見てますが 偉丈夫 豪傑 英雄 大時代風 と言う重い印象が押し寄せてきます。「ダンデイー少佐」(65)はとても良い映画だと思います。ちなみに DUNDEEで DANDY ではありませぬ。 1990 息子のフレイザーと共に。 ペキンパー監督にヘストンは自分の出演料を削っても 監督の好みの映画にして欲しいと訴えたとか。ペキンパーは結局 この映画を自分のものではないと宣言した話題の映画ですが リチャード ハリスとヘストンの絡みが楽しい「MAJOR DUNDEE」でした。ペキンパ−は次の「ワイルド バンチ」(69)を作る事で心ここにあらずだったとヘストンは述懐してます。「ワイルド バンチ」の主役のウィリアム ホールデンの役は始めはヘストンだったとか。いやはやホールデンで良かった 良かった!! バート ランカスターと肉体的 自己中心的 な点で似ていますが ランカスターの方が 遥かにセクシーだと私めは思います。ななんと 「ベン ハー」も 「十戒」もミケランジェロを描いた「華麗なる激情」(65)もランカスターが断って ヘストンに回ってきたとか。 初めてヘストンに会ったのは90年 息子のフレイザー が監督したテレビ映画 「トレジャー アイランド」(宝島)の時。当時のヘストンは66歳。 ドイツ人の女性記者が “ アーノルド(シュワルツネッガー)が知事になったら 応援するか ?” とハリウッド 一の共和党スターに聞くと “ オブ コース。マダム。しかしアーノルドの持論をしっかり聞かないとね” と慎重な答え。 最後に会ったのは 「トルー ライズ」(94)でそのアーノルドと共演した 時と言うのも運命のいたずらみたいでした。アーノルドが知事になったのは 2003年でしたが。 191センチの長身をすっくと伸ばし 1972年からずっと付けていると言う へヤーピースも自然に 古き良き時代のスターの貫禄と誇りはさすがでした。 親友のロナルド リーガンとともに若い頃はリベラルな民主党支持だったのが 二人とも共和党のシンボルの様になったのも興味深い